第32話

 十二月十七日、土曜日。

 午後から沙緒里さんと電車で一駅だけ遠出をして、家具量販店に行った。ボーナスが出たから、新しいベッドを買うためだ。

 話し合った結果、今の寝室にダブルベッドを置くことになった。六畳だけど、他に大した家具も無いからギリギリ置けるみたい。アミちゃんの部屋はこれまで通り、半分ほどをわたしの物置として使わせて貰うことになっている。

 店内で実物を見て確かめて――ベッド自体は、すのこフレームのシンプルなものに、すぐ決まった。お互いに異存は無かった。

 問題は、マットレスの方だった。


「やっぱり、柔らかめでしょ」

「いや、硬めだろ」


 沙緒里さんと意見が割れた。

 確かに、今の沙緒里さんのベッドはどっちかというと硬めだと思う。狭い以外に不満は無いし、硬くて寝れないわけでもないし、まあ硬めでもいいや……。大切な人の意見を尊重するためにすぐ折れるわたし、オトナすぎない?


「わたしは硬い方で全然いいんですが……参考までに、理由を訊かせてくれませんか?」


 とはいえ、一応は納得しておきたい。


「柔らかいとな、回復しないどころか響くんだよ」

「何にですか?」

「腰に」


 ああ……。わたしは悲しい気持ちになりながらも、すっごく納得した。沙緒里さんも、まだ若いのになぁ。

 確かに、硬いというかフラット気味のマットレスだと、横になっても腰が沈みにくいようなイメージがある。


「逆に、美香こそどうして柔らかい方がいいんだ?」

「なんとなく、寝心地が良さそうですから」


 そう答えると、沙緒里さんから呆れたような半眼の視線を向けられた。

 あっ。これ、バカにされてるやつだ……。


「ほら。どっちも試してみろ」


 沙緒里さんからマットレス売り場に連れて行かれて、硬いのと柔らかいの、どっちにも横になってみた。


「ああ! 硬い方が、なんかいい感じですね!」


 感じ方には個人差があるだろうけど、わたしは硬い方が――なんていうか全身を支えられている感じがして、良いように思えた。

 というか、やっぱり沙緒里さんの部屋にあるのがこれに近い。柔らかいものと比較して差が顕著だから、割と衝撃的だった。ベッドはふかふかなものが良いと思ってたのに……。


「でも、柔らかいほうが軋みにくいですよね。エッチのこと考えたら――もがっ」

「それはスプリングの問題だから、硬さはたぶん関係ない!」


 沙緒里さんから片手で両頬を掴まれて、遮られた。すぐ近くに他のお客さん居ないから、これぐらいの会話はいいじゃん。


「折角なんで、いろいろ試して決めましょう」

「そうだな」


 バリカタまでになってしまうと、それはそれで疲れが取れないような気もする。カタログを眺めるだけの通販と違って、現物をお試しできるから、足を運んだ甲斐がある。

 広い店舗のベッドで横になるのは変な感じだけど、沙緒里さんと一緒だから、なんだか楽しかった。

 ふたりで吟味した結果『やや硬め』ぐらいがちょうどいいという結論になった。今のやつとの違いが正直よくわからないけど、硬さでも快適に眠れたらいいな。

 会計は、値段の高いベッドフレームを沙緒里さんが出して、マットレスをわたしが出した。こうやって協力するの、同棲してる感が凄くあっていいですね!


 その後、店内を見て回った。

 インテリアはどれだけ見ても飽きないし、欲しくもなる。余計なものを買わないためにも、先に会計を済ませておいて、よかった。


「ソファーに電動リクライニングあるなんて、ヤバくないですか?」

「ああ。これは確実に、人をダメにする」

「ダメになってもいいじゃないですか……。次はこれ買いましょうよ」

「いや、この材質はよろしくない。アミがボロボロにしてしまう」

「えー。アミちゃん……」


 ふたりでソファーに座って起き上がれなくなったり、こたつから出られなくなったり――何時間でも過ごせそうな気がした。

 デートとして充分楽しかったけど、ふたりで生活について考えるのも、超楽しかった。


 気づいた時には、午後四時になっていた。とりあえず、電車の駅に向かった。

 陽が暮れていたから――暗くなろうとしていたから、何やらきらびやかな光が映えていた。

 駅のすぐ側には、割と大きい複合商業施設があった。緑が整備された敷地内にはショッピングモールの他、映画館や美術館、ホテルまでそれぞれ建っている。

 というか、たったの一駅なのに、勤務先のむさ苦しいオフィス街と違って、ここはオシャレな街だ。駅チカにこんなのがある街で、働きたかったなぁ。


「沙緒里さん。ちょっと行ってみませんか?」

「そうだな。時間もあるし、寄り道しようか」


 駅から商業施設までは、大勢の人達で賑わっていた。その中を、沙緒里さんと歩いた。

 商業施設の敷地の入り口には、大きなクリスマスツリーがあった。電飾されていて、超綺麗。

 これを眺めているだけでも来た甲斐があると思うけど、さらに奥へと向かった。

 そういえば、このショッピングモールにはどんなお店が入ってるんだろう。沙緒里さんのクリスマス兼誕生日プレゼントをここでも買えるはずだけど――それは明日にでも、どこかでこっそり買おう。


「わぁ。凄いですね」


 わたしは思わず、息を飲んだ。

 広場になるんだろうか。ふたつの建物の狭間、アーチ状の屋根の下には、巨大なショーケースが置かれていた。

 その中でぶら下がっていたのは、とっても大きなシャンデリアだった。夕暮れ時の空の下――ただでさえ明々と光が点いているのに、ガラスに反射して眩しく輝いていた。


「ああ、凄いな……。何千万? いや、億かな」

「お値段予想するのは、やめましょうよ」


 ここは、ふたりでうっとりするところでしょ! まあ確かに、億ぐらいの価値がありそうな代物だ。無料で見せてくれるなんて、気前いいな。

 広場の隅、壁際まで行き、立ち止まってふたりで眺めた。

 以前までのわたしなら、これを背景にとりあえず自撮りしてSNSにアップしてたと思う。

 でも、もうそんなのどうでもいい。沙緒里さんが側に居るだけで、充分満たされてた。


「沙緒里さん、大丈夫ですか?」


 ついここまで連れてきたけど、沙緒里さんが人混みで疲れてないか心配だった。広場に面したカフェはバカみたいに混んでいて入れないから、ひと休みできない。


「ありがとう、美香。私は大丈夫だよ」


 沙緒里さんが優しく微笑んで、とりあえず安心した。たぶん無理はしていないと、なんとなくわかる。

 わたしはシャンデリアに普通に見惚れていたけど……なーんかデジャヴがある。

 ああ、そうだ。ついこの前も、イルミネーションのデートに連れて行ったばっかりだ。これは厳密にはイルミネーションじゃないけど、似たようなものだから、やらかした感がちょっとある。

 いやいや、冬のデートなんてイルミネーション観てナンボでしょ――と、思いたい。

 ふと、沙緒里さんが、背後からわたしをそっと抱きしめた。


「ちょ――」


 ドキッとするけど、まだ冷静でいられた。まあ……周りからわたし達を見られても、普通にじゃれてる感じに思われるだけだろう。むしろ、わたしが変に騒いで注目を集める方がマズい。

 ていうか、わたしがオロオロしてたから、沙緒里さんが抱きしめてきたんだ……。落ち着いた今、そう理解した。


「来てよかったな」


 耳元で囁かれた。

 ず、ズルい……。振り返らなくても、沙緒里さんの微笑んでいる表情が、嫌でも脳裏に浮かんだ。

 沙緒里さんに抱きしめられるのが、たまらなく嬉しかった。腕の温もりから、大切にされている感じが超伝わってくる。

 ヤバイヤバイ。沙緒里さんのことが、やっぱり……どうしようもないぐらい好き。もうダメ。この場で今すぐキスしたい。


 キラキラしたシャンデリアの輝きが、綺麗だった。

 周りに大勢の人達が居るのに、まるでわたしと沙緒里さんだけが、この世界から切り取られたかのようだった。

 このままずっと……ふたりだけの世界に浸っていたい。

 その気持ちを噛みしめるように、わたしは沙緒里さんの腕を掴んだ。


「沙緒里さんは、どこか……行ってみたい所はありますか?」


 振り返って、訊ねた。

 デートとしてというニュアンスは、伝わってるはずだ。この前のイルミでも同じような話したけど、直近で。


「美香の行きたい所でいいよ。そこが私の行きたい所だから」


 なんとも難しいことを言ってくる……。

 でも、わたしを困らせたい意図が無いことは、わかる。思考放棄しているわけでもなくて、純粋に沙緒里さんの本心だ。

 とはいっても、やっぱり難しい。うーん……。あっ、そうだ。


「わたし達、外食することほとんど無いじゃないですか? 何か美味しいの、食べに行きたいです」


 沙緒里さんの料理に、不満があるわけじゃない。たまには、ふたりでお店の食事を楽しんでみたい。


「そうだな……駅前の立ち食いうどん屋、美味しかったよ」

「へぇ。連れていってください」

「うん。また今度、食べに行こう」


 たぶん、わたし達にとっての地元の駅前を言ってるんだろう。

 それでも全然構わなかった。沙緒里さんと一緒なら、何だって楽しめる。

 そもそも、沙緒里さんはこれまで外食することが、ほとんど無かったんだと思う。

 だからこそ、一緒に楽しみたい。いろんなお店に食べに行って、感じることを共有したい。


 大丈夫。時間なら、これからもいっぱいあるんだ。行きたい所と言われてもひとつに絞れなかっただけで、候補だけなら沢山ある。

 ふたりの生活のために家具を揃えたり、いろんな所に行ったり――これからの未来を考えただけで、胸がいっぱいだった。


「本当、綺麗ですね」

「ああ……」


 シャンデリアを眺め、ふたりで笑いあった。

 この綺麗な光景は、わたしにクリスマスを彷彿とさせた。

 そう。まずは、クリスマスかつ沙緒里さんの誕生日だ。プレゼントに何を用意するのか、大体は決めてある。

 絶対に喜んでくれるはずだ。ていうか、わたしの大切な彼女ちゃんを最高に喜ばせたい!

 その衝動が込み上げて、何をプレゼントするのか喉まで出かかったけど、グッと我慢した。

 沙緒里さんに抱きしめられて、ニヤニヤが止まらなかった。

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