第10章『幸せすぎて私死ぬかもしれない』
第28話
十二月五日、月曜日。
午前六時、私はスマホのアラームで目を覚ました。
頭がぼんやり……いや、ふわふわする。まだ寝てるというか、夢の続きを見ているようだった。
私は半裸姿のひどい格好だが、そんなの全然いいじゃないか。頭の中がお花畑でも、構うもんか。
狭いベッドで、同じく半裸姿の小林さんが寝息を立てていた。
夢じゃない。現実だ。昨日、一週間ぶりぐらいに帰ってきた。
あああああ! 可愛い! 可愛すぎるんだが!? どうする!? 私死ぬの!?
あ、危ない……。また、暴走しかけた。制御してくれとは頼んだが、嫌われないためにも、なるべく自分で抑え込まないと。
「おはよう、小林さん」
寝顔のほっぺにキスをして、ベッドから下りた。
「さぶっ。ていうか、くさっ」
スウェットを着ながら、寝室を出た。今年の秋は割と暖かかったのに、十二月に入ってから急に冷え込んだような気がする。
昨晩ギョウザを食べまくったせいで、リビングはまだ、ニンニクの臭いがヤバかった。服大丈夫か、これ? 窓を開けたいところだが、寒くて嫌だ。
仕方なく、エアコンと換気扇を同時に動かした。
これだけ寒いと、朝シャンも億劫になる。でも、頭を覚ますためには浴びたい。
浴室のエアコンも点けて、頭から温かいシャワーを浴びた。
――沙緒里さん、好きです!
昨日、小林さんは泣きながらも、気持ちを伝えてくれた。
ぎくしゃくした空気を払拭するため、私は交際二ヶ月記念を、気合を入れて祝った。努力が報われただけでも嬉しいのに、そのように言われて最高だった。
こんな私を受け入れてくれるだけで、よかったんだ……。そのためには、私を道具として利用しても、全然構わなかったんだ……。
それなのに……私の気持ちが通じたようで、本当に嬉しかった。そのせいなのか、今朝はメンタルが安定気味で、まだ自分でも抑えられていた。
ちゃんと気持ちを伝え合った。改めて、この部屋で同棲生活を始める。こんなの、朝からニヤニヤが止まらなくて当然だろ! 月曜の朝なのに憂鬱じゃない! 無敵じゃないか私!
――このテンションで突っ切ることが出来れば、どれほどよかっただろう。
そう。私は根っからのネガティブ人間だから、ここでブレーキを踏んでしまう。このまま幸せになることに、躊躇ってしまう。
本当に進んでいいのか、落ち着いて今一度警戒しておきたい。
というか……なーんか違和感がある。
んん? 何かが頭の隅に引っかかって、すっごいモヤモヤする。
「あっ」
頭の中で記憶の動画を巻き戻すと、その正体がわかった。盛大にやらかしてた。
ちゃんと気持ちを伝え合ったというが――
「私、小林さんに好きって言ってない」
そうだよ。せっかく小林さんが告白してくれたのに、私は何て返した?
キスをして『もう一度、ここでやり直そう』って言っただけじゃないか!
流石にニュアンスは伝わったと思うが……そういう問題でもないと思う。やっぱり、口にして直に伝えることが大切だ。
私も好きだと言って、ちゃんと気持ちを伝え合わないと! 始まるものも、始まらない!
「よし!」
シャワーを止めて、浴室を出た。
弁当と朝食を作っていると、小林さんが起きてきた。
「ふぁ……。おはようございます。……うっ」
眠そうに挨拶をした後、顔をしかめた。
換気扇を回しても、まだ臭いは残ってる。
「お、おはよう……」
言え! 言うんだ、私!
いやいや……寝起き直後にコクっていいのか? ダメだろ、たぶん。こういうのは、ムードが大事だと思う。
「ベーコン何枚がいい?」
「それじゃあ……二枚でお願いします」
私は切り替えて、冷蔵庫からベーコン三枚と卵をふたつ取り出した。
危ないところだった。もし今告白していたら、引かれていたかもしれない。冷静になってよかった。
朝食を作り、ダイニングテーブルで小林さんと向かい合って食べた。白米、味噌汁、ベーコンエッグに――私は納豆もだ。
「目玉焼きにケチャップって、合うと思いません? オムライスにはケチャップなわけですから」
「同じ卵料理でも、別物だろ」
ウッキウキでケチャップをかけている小林さんを眺めながら、私は醤油をかけた。
小林さんは目玉焼きを食べると、一度箸を止めた。
「うん。ナイですね」
泣いたり告白したりギョウザを楽しんだりしたのに……一晩経っても元気だな。
何も変わらない。いや、変わる必要は無いんだ。たぶん、これまでの毎日でいい。
実に小林さんらしいと思う一方で、どうやって告白すればいいのかで頭はいっぱいだった。
いや、そもそも――告白するにしても、私は小林さんのどこが好きなんだろう?
好きだという気持ちは、確かにある。でも、具体的に訊かれると……答えるのが割と苦しい。
美味しそうに食べる小林さんを眺めていると、可愛いと思う。だからといって、ただの面食いというわけでもない……はず。
うーん……。
というか、小林さんは私のどこが好きなんだろう? そのへん、いつか根掘り葉掘り訊いてみたいような気もする。
「どうしたんですか?」
私がぼんやりと眺めていたからだろうか。
小林さんはきょとんとした表情で、首を傾げた。
「今日も可愛いなーって」
「そんなの、当たり前じゃないですか!」
昨晩あんなことがあったというのに、やっぱり相変わらずだった。
でも、私にはこのノリが心地よかった。
朝食をお腹に入れた後、私は着替えて、リビングで化粧をした。
奥二重のせいで、アイラインを引くことが未だに慣れない。リキッドアイライナーで目尻だけを書くようにしていても、ライン始まりの力加減が難しい。前世で何をやらかしてどんな業を背負ったら、こんなに辛い思いをしなければいけないんだ。
「はぁ……。整形したい」
毎朝思っていることが、今日は溜息と共に口から出た。
「ちょっと、何言ってるんですか! そんなの、ダメですよ!」
洗面所まで聞こえたようで、小林さんから怒られた。
そういえば……ピアスの時、親から貰った身体を粗末にしたくないって、私は言った。それを聞いていたから、叱ってくれたんだろうな。確かに、整形も同じだ。
「沙緒里さんは、その顔がいいんですから。誰がどう見ても美人じゃないですか」
顔か? 顔なのか? 私のそこが好きなのか?
いやいや、深く考えるのはよそう……。
アイラインを引き終えた頃、小林さんがパタパタとやって来た。アミの部屋に置いてある荷物から、何かを取り出した。
「気分転換に、わたしのリップ使ってみてくださいよ」
化粧でヘコんでいると思われたんだろうか。
そうではないんだが……折角だから、スティック状のリップを受け取った。
蓋を外すと、手の甲あたりで色を確かめることなく、唇に直に塗ってみた。
私は普段、オーソドックスな赤色を使用している。鏡で確かめてみると、これはピンク色だった。
「クリアな感じなのにツヤもあるから、自然に馴染むんですよね」
小林さんの言う通りだった。口紅なのかグロスなのか、よくわからない。何にせよ、悪くないと思った。
「それに、保湿成分もありますから。これからの時期も活躍します」
「へぇ……。ありがとう。いい感じだな」
リップを変えるだけで、印象がガラリと変わったような気がする。なんていうか、柔らかくなった感じだ。
コンディションで使い分けることはあるが、私は基本、同じコスメを使い続けている。だから、確かにいい気分転換になった。たまには、こういうのもいいな。
「うんうん。似合ってるじゃないですか」
「そ、そうか? 会社で笑われないか?」
「驚かれるかもしれませんけど……良い意味で、ですよ」
屈んだ小林さんが笑顔で頷いてくれているから、まあ気にしなくていいか。
「わたしは今日、違うやつを使うか重ね塗りしますから、カブることは無いです。でも、その前に――」
小林さんの顔が近づいてきて、唇を重ねられた。
「朝っぱらから何やってるんだ!」
そう主張したいのが、半分。
もう半分は、せっかく塗ったところだったのに……。また塗らないといけないじゃないか。
「彼女ちゃんが新しいリップ使ったら、とりあえずキスしなきゃ、みたいな義務感ないですか?」
「すまない……。何を言ってるのか、さっぱりわからない」
自分の唇を指先で拭う小林さんが、なんだかエロく見えた。
相変わらず、ワケのわからない行動をしてくる。嫌いじゃないが。
それにしても、彼女ちゃんか……。小林さんの言葉が、妙に耳に残った。
ちゃんと交際してるんだから、そう呼ぶことに問題はない。むしろ、自然な呼び方だと思う。私だって、一度ぐらいはそう呼んでみたい。
だが、恥ずかしくもあり――何かが引っかかっていた。躊躇に似たものだった。
朝食の時の疑問を思い出す。おそらく、それが晴れないせいだろう。
小林さんのどこが、何が好きなのかはっきりすれば――私も、堂々と呼べるんだろうか。
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