第23話
十一月二十二日、火曜日。
私は朝から、オフィスでいつも通り仕事していた。
先週わざわざ出張に行っただけあり、小林さんは先方とちゃんとやり取りをしていた。CCで届くメールを確認する限り、いい感じだ。
今月は今のところ、国内営業課としても計画に対して順調だった。皆、よく頑張ってくれている。
特に何事も無く午前が終わり、正午のチャイムが鳴った。小林さんが席から立つのを自然と目で追いながら、私は弁当を取り出した。
弁当なんて、ひとつ作るのもふたつ作るのも労力は同じだ。
小林さんの分、作ってあげたいな……。ていうか、ランチ一緒に食べたいな……。別に、付き合ってることを社内でバレてもいいじゃないか。私はむしろ、言いふらしたいぐらいだ。
はぁ。ダメだ、ダメだ――また暴走気味に考えていた。そんなの、小林さんが迷惑じゃないか。勝手な真似をすれば、私なんか捨てられてしまう。
「お弁当、いいですね。今月出費キツいんで、私も作ろうかしら」
昼休憩に入り、オフィスの灯りが消えていた。とっくに席を外したと思っていた夏目さんが、私の机を覗き込んでいた。いや、早く外まで食べに行ってこいよ。
あんた弁当持参して、ここで私と一緒に食べる気か?
私個人的に嫌だし、また小林さんに要らぬ心配をかけそうだし……何としても阻止しなければ。
「毎朝作るのは結構手間ですよ」
「そういう意味で、課長はやっぱり凄いですよね。……まあ、考えておきます」
夏目さんはそう言い残し、ようやく去っていった。
いやいや、保留じゃなくて棄却しろよ! お願いだから、私の平穏な時間をかき乱そうとしないでくれ!
なんだか嫌な予感がしたせいか、ランチが不味く感じた。
しっかし、もし本当に弁当持ってきたら、どうしよう……。私はランチを終えると、自販機まで食後のお茶を買いに、席を立った。
自販機の側には休憩室がある。最悪、ここに逃げてこようか? いや、座席の指定が無いとはいえ、利用している社員間で大体は決まっている。いくら課長でも、今さらそこに割り込むのは気が引けた。
そういえば、小林さんいつもここでコンビニ飯を食べているような――見渡すと、やっぱり居た。
楽しそうな様子で、ひとりの女性社員と向き合ってランチしていた。
えっと……あれは経理の鈴木さんだっけ? 若いけど、小林さんの同期なのかな? いつも一緒にランチしているような気がするが……同期だとしたら、おかしくはないのか?
ていうか、小林さんがせっかく話しかけてくれてるのに、気だるそうな態度取るなんてどういうことだ!? 何様のつもりだ!?
小林さんも、私には夏目さんのこと言うくせに、他の女とイチャイチャしないでくれ! 私だけを構ってくれ!
ああ、クソっ。あのふたりを見ていると、なんだかイライラしてきた。
私は自販機でお茶を二本買うと、ふたりの席に近づいた。
「小林さん、お疲れさま」
ぎこちなくないか? 精一杯の笑顔を作ると、一本を小林さんの前に置いた。
私のいきなりの乱入に、ふたりは驚きながら顔を上げた。空気が凍りついたのを感じた。
「米倉課長、お疲れさまです」
鈴木さんは気だるそうな態度から一変して、真面目な様子で頭を下げた。
うん。わかったなら、私の小林さんに手を出さないでくれ。
「か、課長……お疲れさまです」
小林さんは、まさか昼休憩――しかもオフィス以外で接触があると思ってなかったんだろう。そう驚いているように見えた。
私としても、こんな真似はしたくなかった。
「先週、ふたりっきりで一泊の出張に行った甲斐あったね。
めっちゃ言葉を選んだ台詞は、あまりにもわざとらしいと自分でも思う。なんとも大人気ない。
それでも、念のためその女に『牽制』しておきたかった。私は言うだけ言って、立ち去った。
ああ、やってしまった――暗いオフィスに戻って自分の席に座ると、我に返った。
ふたり共、ドン引きだったじゃないか。小林さんはまだ大丈夫だとしても、鈴木さんから変な噂が広まったらどうしよう……。
暴走した私の言動が、自分だけではなく、小林さんにも迷惑をかけることになる。
このままだとさらにエスカレートしていきそうで、私はただ怖かった。
*
「そういえば、沙緒里さん……。昼間のあれ、何だったんですか?」
夕飯とお風呂を終えて、リビングで寛いでいると、小林さんから呆れられた。
今になって、ふと思い出したような口振りだった。それぐらい、どうでもよくて――でも気にはなる、といった感じか。
「す、すまない。悪かった……。ていうか、キミはいっつも、あの子とランチしてるよな……」
私は一応謝るが、それとなく言い訳もしてみた。
そりゃ、確かに私が全面的に悪い。でも、小林さんに落ち度が全く無いわけじゃない……と思う。
「え? そりゃ、鈴木は同期なんですから……」
ああ、やっぱりそうだったのか。私は納得するも――腑には落ちなかった。
あの子がキミにとって『ただの同期』だというなら、夏目さんは私にとって『ただの同僚』になる。
夏目さんのことで、あれだけ騒いでたくせに……。
「あれあれ? もしかして、妬いてました? 沙緒里さん、可愛いですねぇ――もがっ」
「う、うるさい!」
小林さんがニヤニヤと笑みを浮かべたから、ソファーのクッションをその顔に押し当てた。
キミが言った通り、悩みを遠慮なく話しただけなのに――昼間は私が暴走した結果だが――茶化して済む話ではないと思う。
とはいっても、そのへんをイジられると恥ずかしい……。
小林さんがクッションを退けたタイミングで、小林さんを抱きしめて唇にキスをした。
そして、さらに首筋――鎖骨のあたりにもキスをした。強く吸った。
「ちょっと、沙緒里さん! もー、何やってるんですか……」
小林さんさんからは見えない位置だが、心配している通り、軽いキスマークがついた。
私は衝動で動いたが、かろうじて理性が働いたのか――まだ衣服で隠せる位置だった。というか、明日の朝には消えているかもしれない。
ああ、まただ……。また暴走してしまった。
シラフに戻ると、小林さんに迷惑をかけている自分が、嫌になる。
「お願いだ……。私だけを見ていて欲しい」
自暴自棄になっていた。泣き出しそうになっていた。
それでも、小林さんに甘えたかった。
小林さんは私の様子を察したのか、困った表情だったのに苦笑した。
「わたしは、沙緒里さんだけを見ている……つもりですよ」
「ありがとう……」
実生活で、私ひとりだけに構うことは不可能だ。
だから、わたしの夏目さんのように――その言葉だけで、その気持ちだけで嬉しかった。
小林さんが私をそっと抱きしめてくれると、自然と涙がこぼれた。
優しさが嬉しいだけじゃない。自分のことが、情けなくもあった。
しばらくすると、私は泣き止んだ。
今日は一連の言動があまりにもカッコ悪くて、死にたい気分だった。
メンタルが底まで落ちたからだろう――私は、ふと思い出した。
「そういえば……またペディキュア塗ってくれないか?」
気になってネットで調べたところ、マニキュア類を塗り続けても人体に影響は無いらしい。ただし、一般的には十日ぐらいで剥がれてくるとのこと。
黒いペディキュアを塗り合ってから、今日で約十日になろうとしている。まだ剥がれはしていないが、剥がれるのが分かっているなら、一度落として塗り直した方がいいと思う。
「そうですね。とりあえず、そろそろ落としましょうか……。ていうか、コレまた塗るんですか?」
小林さんから、半眼で訊ねられた。
確かに、私としても連続で黒はどうかと思っていた。
「新しい色を買おうと思うんだが、どっちがいい?」
スマホの画面を向けて、通販サイトのお気に入りにキープしておいた商品を見せた。
「え……。紫か金の二択なんですか?」
「うん。奇抜な色の方がいいだろ?」
誰かに見せるオシャレのために塗るんじゃない。ふたりの『繋がり』のために見えないところに塗るんだから、その二色にした。
「別に、どっちでもいいですよ。沙緒里さんの好きな方を選んでください。……わたしは、もっと可愛い色の方がいいですけど」
小声で付け足した提案はスルーしよう。
小林さんは、乗り気じゃなかった。とはいっても、小林さんから始めたことなんだから、私は続けたい。
そう。小林さんは、私のコンプレックスまでを受け止めてくれた。ここまで構ってくれる人間は、世界中で彼女ひとりだけかもしれない。私には最早、必要不可欠な存在なんだ……。
だから、カタチとしての繋がりが、これからも欲しい。
「ダメだ――私は選べない。キミが選んでくれ。どっちになっても、私は必ずキミの選択を尊重する」
「うーん……。それじゃあ、紫でいいです」
投げやりな回答だが、それでも小林さんの確かな意思だ。私はこれからも、小林さんに従おう。
「ペディキュア以外にも……やっぱり、私の耳にピアス穴開けてくれないか? 私をキミの
ついでに、ちょっと前から思っていたことも口にした。
もっと小林さんを感じていたい。それが痛みでも、小林さんの意思なら構わない。遠回しに、周りに見せたい。
「……え? ええ!?」
私の提案に、小林さんは凄く驚いた。
あれ? 快く引き受けてくれると思ってたのに……。予想外の反応だった。
「沙緒里さん、何言ってるんですか!? 営業職なんだから、ピアスはマズいですよ! しっかりしてください!」
「そ、そうだな……」
自分で言ったことを思い出し、冷静になった。
……また私は暴走していたのか? これで何度目だ?
ダメだ。小林さんのことになれば、どんどんブレーキが効かなくなっている。
こればかりは、良い方向に向かう気がしない。どうにもならない。
もう諦めるように、ある結論へと辿り着こうとしていた。
そう。このままだと、きっと取り返しのつかないことになる。そのためには――
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