第21話
終着駅で電車を下りて、さらにケーブルカーに乗った。着いた先は田舎というより、完全に山の中だった。
でも、この前のバーベキューの場所とは、全然違った。割と道が整備されていて、旅館や食事処、土産屋が並んでいる。キャンプ要素ゼロで、ちょっとした温泉街って感じ。近くには、世界遺産に登録されているお寺があるらしい。
「観光地っぽいが……大丈夫か?」
でも、沙緒里さんが心配する通り、びっくりするほど人気が無い。
「一応、平日ですしね……。それに、ここ桜の名所らしいですよ」
「へぇ」
山桜で有名だと、今朝スマホで調べた時に知った。春だと千本桜の絶景で、賑わってるんだろうなぁ。
今は午後五時半で、陽が沈もうとしている。所々に見える紅葉が、夕陽に照らされて綺麗だった。
沙緒里さんと地図アプリを頼りに歩いて、予約してい旅館に着いた。古き良きザ旅館って感じの、風情ある建物だった。庭園だってある。
「こんばんは。予約しておいた、小林です」
女将さんなのかな? 玄関で迎えてくれた女性に挨拶して、チェックインした。
その際に宿泊状況を訊ねると、他にもう一組の客がいるらしい。思ってた通り、ガラガラだ。
女将さんらしき人物から、二階の部屋に通された。十畳ほどの広さだった。
「わぁ。いい感じじゃないですか」
畳の部屋の縁側には、対面の小さなテーブルと椅子が置かれていて――旅館ならではの謎スペースから、山の紅葉が見えた。とりあえず、スマホで写真を撮っておこう。
「陽が暮れる前でよかったな」
沙緒里さんも感動している様子で、椅子に腰掛けた。
このままずっと眺めていたいところだけど、そういうわけにもいかない。
「食事は六時半ですけど……お風呂どうします? 食べる前に入りますか?」
わたしは食事の前後どっちでもいいから、沙緒里さんに任せた。
「ご飯の後でいいよ」
沙緒里さんは恥ずかしそうな表情で答えた。
たぶん、シラフで行き難いんだろう。お酒の勢いが欲しいように、わたしは見えた。
「わかりました。……ただし、酔い潰れてリタイアは無しですからね」
「だ、誰がそんな真似するか!」
なんか信じられないから、沙緒里さんの飲酒量には注意しておこう。
予定が決まったところで、わたし達は浴衣に着替えることにした。いつまでもスーツ姿だと、気分が休まらない。
「晩はボタン鍋ですよ。食べたこと、あります?」
「ボタン鍋ってことは……イノシシか。昔、食べたことはあるよ。意外とクセが無くて美味しかった」
「へぇ。わたしは初めてだから、楽しみです。ていうか、イノシシってこのへんやつですかね?」
「それはないんじゃないか? 知らんけど」
なんだ……。てっきり、地元の猟師さんが捕まえてきたやつだと思ってたのに。この山だと、イノシシいるような気がしたんだけどなぁ。
着替え終わって、スマホでSNSを眺めながら寛いでいた。窓の外が暗くなった頃、鍋と熱燗が運ばれてきた。なんか超いい匂いがする。
「出張、お疲れさまでした!」
「小林さんも、お疲れ」
おちょこで乾杯してから、鍋を食べた。濃厚な味噌スープと野菜が超美味しい! イノシシ肉の方も、沙緒里さんが言ってた通りクセの無い味だった。
「美味しいですね。噛みごたえのある豚肉、って感じで」
「イノシシも豚も、系統は同じだからな。……そういえば、品種改良した人食い豚で精神科医に復讐する映画あったよな? あれ、最後は確かさぁ」
「知りませんよ! どうしてこの流れで、それを思い出すんですか!? 思い出しても、口には出さないでください!」
この人、ひとりだった時はどんな映画観てたんだろ……。
というか、なんか様子が変だと思ったら、沙緒里さんの目がとろんとして、頬が赤くなってる。
ああ、熱燗のせいか。酔いが回りやすいからな――と、わたしも酔い気味で納得した。
それでも、お鍋との組み合わせが最高すぎるんですけど!
結局、お酒も含めてシメの雑炊までボタン鍋を楽しんだ。デザートの柚子シャーベットで口直しをした頃には――ふたりして、べろんべろんに酔い潰れていた。
女将さんが食事を下げると同時に、部屋に布団を敷いてくれた。それを見ると、眠気が爆増してきた。とんでもない罠だ。
ていうか、沙緒里さん横になってるし……。ほら、心配してた通り……言わんこっちゃない。
だけど、わたしとしても眠気が限界だった。
「さ、沙緒里さん……」
寝る前に、お風呂に行きますよ――そう口にするよりも先に、意識が飛んだ。
次に目が覚めた時、部屋の灯りが眩しかった。
普段は超狭いベッドで寝ているからか、広々とした布団の寝心地は最高だった。でも、全体力が布団に吸い取られたように、身体がダルかった。
ダルいのか酔ってるのか、ガチの疲労なのか眠いだけなのか、自分でもよくわからない。
横になったままスマホを取ると、午後十時前だった。
少なくとも、七時半まで食事をしていたのは覚えている。意外と、二時間ぐらいしか寝落ちしていなかった。体感では五時間以上だけど……。
このままもう一度寝ると、絶対に気持ちいい。だけど、わたしは大切なことを思い出して、完全に目が覚めた。
「沙緒里さん! お風呂ですよ!」
慌てて上半身を起こすと、すぐ隣で死んだみたいになっている沙緒里さんを揺すった。
ヤバいヤバい! ここの大浴場、午後十一時までだった。客室にシャワー付きユニットバスなんて無い。
もう、いっそ朝風呂でもいいような気もするけど、スッキリして寝たい。
「ん……うん?」
沙緒里さんも、眠たそうに目を覚ました。
「ほら! あと一時間しか使えないんですから、準備してください!」
たぶんまた面倒くさいことを言うんだろうけど、残念ながら構ってる余裕は無い。というか、口を挟ませないために、わたしは大げさに慌てた。
沙緒里さんはぼんやりとしながらも、わたしに連れられてなのか、黙々と準備をしていた。
起きてるの? まだ寝てるの? わからないけど、とりあえず大浴場に連れて行った。
脱衣場には、わたし達の他に誰もいなかった。もう一組のお客さんも、まさかこの時間に入るわけないだろう。
「……え? ええ!?」
わたしが浴衣を脱ぎだして、ようやく目が覚めたのか、沙緒里さんが慌てた様子を見せた。
はー。ここまできてグダるのは嫌だなぁ。
「先に行ってますからね」
わたしはシャンプー類とタオル、あとヘアゴムを持って、浴室に入った。
露天風呂ではないけど……それでも、ガラス一枚隔てて庭園の木々が見えるから、開放感があった。
一度に五人ぐらいが入れる大きさの、大理石のお風呂がひとつあるだけ。なんともシンプルな造りだ。
ひとまず髪と身体を洗おうと、シャワーの下に座った。すると、扉が開いて人の気配が入ってきた。
「こ、こっち見るな……」
「わかりました。見ません」
ここには、わたししかいないのに……身体にタオルを巻いて恥ずかしがる精神が理解できない。
言われた通り、正面の鏡に向き合ってシャワーを浴びていると、沙緒里さんが隣に座った。
「お風呂セット忘れたから、借りてもいいか?」
「いいですよ」
本当に外でお風呂やシャワーと無縁だから、忘れたのかな……。
髪質の違いから、普段は別々のものを使ってるけど、まあ備え付けのやつよりはマシだろう。
わたしは全身を洗い終えると、ヘアゴムで簡単なお団子ヘアーにして、湯船に入った。
「はー……。ヤバいですね。超気持ちいいですよ」
こんな僻地まで来て、よかった!
足を伸ばせるだけで、ここまで解放感があるなんて。
お湯が割と熱いけど、天然温泉っぽさがあって、何らかの効果が期待できそう。美肌になればいいなぁ。
しばらくすると、沙緒里さんが――やっぱり身体にタオルを巻いて、恐る恐る湯船に近づいてきた。わたしは、足の黒いネイルに目がいった。
「ちょっと、タオル取りましょうよ。……わたし達以外、絶対に誰も来ませんから」
タオルを巻いたまま湯船に入ろうとしたから、すかさず止めた。
「それなら誰かの迷惑にならないから、別にいいじゃないか」
「いやいや……。そういう問題じゃないですよ。タオルを湯船に持ち込まないのは、マナーです」
この人、マナーとかTPOとかには凄くうるさいのに。平気で違反しようとしたから、わたしがビックリした。
沙緒里さんは渋々タオルを外すと、湯けむりの中――湯船に入ってきた。
そして、わたしの隣に座った。正面よりは、わたしから見える範囲が狭くなる。
「沙緒里さんが恥ずかしがってるのはわかってるんですけど……超綺麗な身体してますよね?」
うん。エッチの時にもう散々見てるけど、ここでも目がいってしまう。むしろ、見ない方が失礼だと思う。
スラッとしたスタイルと――透き通るような白い肌には、アミちゃんからの傷以外、シミもない。何かシミのケアしてましたっけ? もしかして、天然でそれですか?
「バカ! 恥ずかしいから見るな!」
沙緒里さんは恥ずかしそうに肩を両手で抱きしめて、胸元を隠した。
うーん……。どうして? ムダ毛だって、ちゃんと処理してるじゃん。
「一応訊きますけど……どんな悲しい過去があって、そうなったんですか?」
このままだと、埒が開かない。理解できるかは別にして――何か理由があるなら、この際知っておきたい。
「昔、親と一緒に銭湯に行った時な……いろんな人がいるんだなって、ビックリした」
たぶん、幼少期の話だろう。沙緒里さんは、語りだした。
とはいっても、いきなり意味不明だった。
「えっと……。肉親以外の裸を初めて見たってことですか?」
「そうだ。あの時、わたしの世界が広がったよ」
確かに、普段はみんな服を着て街を歩いてるから、こういう場だとあるがままの姿を見ることになる。一応は、了見が広がったと……言えるのかなぁ。
だからって、見ず知らずの他人が脱いだら凄かった、みたいにはならないでしょ? ていうか、どんだけガン見したんですか?
「私に劣等感が生まれたから、恥ずかしくなったんだ」
「はい?」
あれ? なんか、助走つけまくった走り高跳びぐらいの勢いで、話が飛躍してません?
「つまり……身体にコンプレックスあるから恥ずかしいと?」
「ああ。昔っから……今もな。お風呂で誰かに裸を見られると、そういうトラウマが掘り起こされるんだ」
ほら。やっぱり理解できなかった。むしろ、頭が痛くなってきた。
そうだ。この人が言うには、昔っからメンヘラだったんだ。子供の頃からネガティブ思考全開で、自分の価値を見下げていたんだ。
そう考えると、一応は理にかなってるのかなぁ。だからって、エッチはよくてお風呂がダメって、意味不明だけど……。やっぱり、メンヘラの考えは理解できない。とりあえず、これに関しては参りました。もう、諦めます。ていうか、トラウマって何?
いやいや。そもそも、コンプレックスは明らかにおかしいでしょ! わたしは腹が立って、沙緒里さんの太ももをガシッと掴んだ。沙緒里さんはビクッと驚いた。
「嫌味ですか、それ!? どう見ても、沙緒里さんの身体はヒエラルキーの頂点ですよね!?」
もし、ここの大浴場が満員なら、全員が沙緒里さんを羨む目で見てると思う。間違いなくイキれるスペックでしょ。
「何を言ってるんだ! 私はキミに比べて……全然無いんだぞ!?」
沙緒里さんは胸元を指さした。
えっと……そりゃまあ、そこに関しては確かに間違ってはない。……けれども。
「こんな脂肪の塊に、何の価値があるんですか!? 女はね、みんな……沙緒里さんみたいな色白スレンダーボディに憧れてるんですよ!」
この人、何もわかってない。ていうか、自虐風自慢じゃん。流石のわたしも、頭にきた!
「え……そうなのか?」
「そうですよ! もしかして、エッチの時にも胸をあんまり触らせてくれないのって、そういう理由だったんですか?」
「まあ、そんな感じだ……」
今すぐ胸を鷲掴みにしたいところだけど――一応は公共の場だから、やめておこう。
はー……。付き合ってもう一ヶ月半になるのに、そんなことで今まで悩んでいたなんて……。
またちょっと、拗ねたくなってきた。わたしは両膝を抱えると、湯船にブクブクと口で泡を立てた。
「そう言ってくれて、ちょっとはラクになった……。ありがとう」
沙緒里さんは、わたしの顔を覗き込んで苦笑した。
「でも、私の悩みもわかって欲しい……。この話だけじゃない。はっきり言うけど……キミみたいに愛嬌あって可愛い子に、私なんかが釣り合うのか……今でも不安なんだ……」
え? わたしが可愛いのは事実だけど、愛嬌はあるのかなぁ。まあ、せっかく褒めてくれたから、良いように受け取っておこう。
沙緒里さんは気持ちを伝えるのが下手だけど、その代わり嘘がつけない。可愛いと言ってくれたのは、お世辞じゃなくて本心だろう。
ていうか、前も似たようなことを言ってた気がする。その時も思ったけど、どう見ても釣り合ってないのはわたしの方だ……。でも、わたしは意地悪だから教えてあげない!
「お願いです。そうやって卑屈になるの、やめてください」
私は足を伸ばして、沙緒里さんのに絡めた。
湯船越しに、爪先の――お揃いの黒いネイルが見えた。実に趣味の悪い色だ。他の客に見られないでよかったと、今さらながら思う。
でも、このダサさが、わたしにとっては小さな誇りのように今は思えた。沙緒里さんと繋がっている実感が湧いた。
「わたし達、付き合ってるんですから……悩みがあるなら……悩み以外も何でも、遠慮しないでください。空気で察するのは苦手です。理解できるかは別にして……わたしは沙緒里さんのこと、受け止めますから」
あれ? その台詞を口にした後、わたしはちょっとした違和感を覚えた。
いつもなら、その場凌ぎというか、大抵は違う意図があるのに……今のは、自然に出た言葉だった。
ああ、そうか。沙緒里さんがひとりで悩んでたことに、わたしは腹を立てたんだ。
それらは全部、ファッション要素が何もない――素のわたしの言動だった。
「うん。そうするよ」
わたしは戸惑っていると、頷いた沙緒里さんから、湯船の中でそっと手を重ねられた。
モヤモヤした気持ちは、嬉しくて安心したものに変わった。今はただ、それを感じていたかった。
沙緒里さんは頭がいいから何でも難しく考えて、とっても面倒くさい人間だ。
でも……わたしも、難しく考えているのかも。
(第07章『何が恥ずかしいのかわたしには理解できない』 完)
次回 第08章『このままじゃ私はダメになってしまう』
沙緒里は美香に依存する。
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