第07章『何が恥ずかしいのかわたしには理解できない』

第19話

 十一月十八日、金曜日。

 わたしは朝から、珍しくスーツを着た。

 未だに、就活の時に買ったタイトスカートのリクルートスーツぐらいしか持ってない。ビジネススーツとの違いがよくわからないけど、落ち着いた黒色……悪く言えば地味だ。

 でも、わたしはもう学生じゃない! バリキャリの社会人なんだから!


「沙緒里さん。これ、超可愛くないですか」


 リビングの沙緒里さんに見せた。

 スーツは新調する気になれなくても、フリル付きの可愛いブラウスを買ってきた。可愛いわたしが着たら、超可愛くなる!


「なんていうか……授業参観のママさんみたいだな」


 眠たげにコーヒーを飲んでる沙緒里さんが、感想を漏らした。

 なにその感想? ひどくない? わたしまだ余裕で若いんだから、どんな服装でも子持ちのママさんには絶対に見えないでしょ?


「ブラウス的にわからなくもないですけど、そこは素直に可愛いねって褒めましょうよ!」

「はいはい……。準備できたなら、行こう」


 時刻は午前八時。いつもなら沙緒里さんは自宅を出ている時間だった。でも、今朝はまだ居るし、仕事スイッチも入っていない。

 そう。今日はこれから出勤するんじゃなくて、出張に行く。わたしの担当している取引先に、課長の沙緒里さんが同行する。一緒に遠出するの、超楽しみ!

 

「え? そんなにも、何入ってるんだ?」


 私はキャリーケースを持って玄関に向かうと、沙緒里さんから驚かれた。


「着替えとかコスメとかですけど……」


 普段の仕事鞄の他に大きめのトートバッグしか持ってない沙緒里こそ、逆に足りますか?

 一応、日帰りが可能な距離だけど、しんどいから一泊して帰ってくる計画だ。そのために、沙緒里さんはわざわざ金曜日を選んだ。


「それじゃあアミ、留守番頼んだぞ」

「行ってくるね」


 柵まで見送りに来たアミちゃんに別れを告げて、わたし達は出た。

 アミちゃんをペットホテルに預けるのかと思ったけど、一日ぐらいなら大丈夫らしい。生活力凄いな、ネコ。


 沙緒里さんと一緒に、駅まで歩いた。

 まだ眠そうだけど、スーツ姿の沙緒里さんはスラッとしていて、やっぱりカッコいい。ネイビーのパンツスーツはシンプルながらも生地がしっかりしていて、上等に見える。それを完璧に着こなしてる沙緒里さんはやっぱり凄いんだと、改めて思った。

 でもでも、今日はわたしもスーツ姿だから、全然引けを取らないよね。『仕事のできる女ふたり組』って感じで歩いてるはずだ。


「なんか、わたし達バディみたいですよね」

「いや……どう見ても上司と部下だろ」


 さらりと否定されて、ちょっとヘコんだ。まあ、確かに……沙緒里さんは、わたしの尻拭いも兼ねて同行するんだけど……。

 十五分ほど歩いて駅に着いて、朝の満員電車で二十分ぐらい死にそうになって、大きな駅でひとまず下りた。これから新幹線に乗り換える。ここから二時間半も乗るんだから、会社のお金で指定席に座れるのは有り難い。


「沙緒里さん、駅弁買いましょうよ!」


 新幹線ホームの近くに、売店を発見した。


「朝ご飯食べてきたのにか?」

「余裕で入りますよ。それじゃあ、定番の缶ビールはどうですか?」

「定番なのは帰りだ! ……なんかもう、完全に旅行気分だな」

「え? 違うんですか?」


 遠くへの出張――担当している取引先訪問は入社してからまだ二回目だから、わたしは謎にテンション上がっていた。クレームで怒られに行くわけでもないんだし、ちょっとぐらい浮かれてもいいじゃん。

 結局、わたしはホットコーヒーとサンドイッチを買って、新幹線に持ち込んだ。

 沙緒里さんは先方への手土産のお菓子と、ペットボトルの温かいお茶だけだった。そして、座席に座るとすぐアイマスクを着けた。


「それじゃあ、着いたら起こしてくれ」


 寝る気満々じゃん……。せっかく、ふたりで初めての旅行――じゃなかった出張なんだから、もうちょっと楽しみましょうよ。

 シラけた目で沙緒里さんを見ると、発車前から既に寝てるし……。まあ、普段の疲れを考慮して、寝かせてあげよう。優しいな、わたし。


 それに、わたしはわたしで、やることがある。新幹線が西へ向かって走り出しても、風景を楽しむことなくスマホを眺めていた。

 今晩の宿が、まだ決まってない。昨日今日で出張の話になったわけじゃないけど、問題は――客先の近くに、ビジネスホテルしかなかった。

 やっぱり、せっかく遠出するんだから味気ないビジホなんてヤダ! 温泉にも入りたい!

 うーん……。客先の近くには、そもそも観光名所すら無い。今更だけど、しょうもない所に会社あるんだなぁ。

 仕方ない。こうなったら、移動範囲を広げよう。

 この新幹線で国内第二の都市に下りるわけだから、後でそっちに戻れば、何かしらはある。でも、今回は賑やかなのはパス。繁華街で遊ぶよりは、古風な佇まいでゆっくりしたい。

 そんな感じで探していると……ちょうどいい旅館があった。


「沙緒里さん、宿はここでいいですか?」


 念のため確認しようと、隣の席で爆睡してる沙緒里さんの肩を揺らした。やっぱり、報連相は大事だよね。


「うう……そこでいいから、寝かせてくれ」


 沙緒里さんはアイマスクを外すことなく返事をした。

 ビジホでいいだろって昨日も言ってたから、この人にとってはどうでもいいんだろうけど……。寝てるところを起こされて、不機嫌なのはわかるけど……。

 わたしはちょっと、イラッとした。


「もうっ。後で文句言わないでくださいよ?」


 一応、承諾の言質は取りましたからね! わたしはその旅館を、スマホから予約した。

 その時だった。沙緒里さんがいきなりビクッと動いて、わたしまで驚いた。何事かと思ったけど、沙緒里さんのジャケットの内ポケットでスマホが震えているのがわかった。

 沙緒里さんはアイマスクを外すと、慌てて席を立ち上がって離れていった。たぶん、車両端の連結部分へ行ったんだと思う。

 あれは間違いなく、会社からの電話だろうなぁ。課長となると、出張中でも容赦なく用件が飛んでくる。

 しばらくすると、沙緒里さんが座席に戻ってきた。乗る前みたいに、ぼんやりとした表情だった。

 電話で起こされたことには不機嫌じゃない。というか、電話の内容自体どうでもいい。そんな感じに見えた。


「また寝るから、着いたら起こしてくれ」


 そして、座ると再びアイマスクを着けて、ガクッとなった。


「は、はい……」


 この切替の速さ……社畜は凄いなぁ。こうはなりたくない。

 わたしは唖然としていると、せっかく起きたんだから、予約した旅館を教えておけばよかったと気づいた。まあ、いいか。


 新幹線が到着後、さらに電車を乗り換えた。確か、ここから一時間ぐらいかかるはず。

 都心からどんどん離れていくのが、窓から見える景色でわかった。これを眺めるのは二度目だから、驚かない。


「のどかですねぇ」


 間違いなく田舎になるけど、一面田んぼというわけじゃない。

 古びた建物が疎らにある。人間が、ちゃんと歩いている。それでも、電車の客数がどんどん減っていって、いつの間にか駅のホームもふたつしかなかった。


「うちの田舎もこんな感じだよ」


 沙緒里さん本人から聞いたんだったかな? 確か、出身地はこの国の北の方だったはず。


「へー。……ちなみに、娯楽施設なんて無さそうですけど、沙緒里さんが学生キッズの頃は何して遊んでたんですか?」


 今でこそネットがある時代だけど、こんなヘンピな所の十五年ぐらい前は……割と真面目に、セックスぐらいしか娯楽がなくない?


「このぐらいの田舎だとな……陽キャになれない奴は漏れなく陰キャになるんだよ。両極端……どっちかに振り切るしかないんだ」


 ガタンゴトンと電車が揺れる。

 沙緒里さんの声は――ノスタルジックというか、なんとも感慨深くて、説得力アリアリだった。

 質問に対する答えになってないけど、わたしは察した。沙緒里さんがどんな表情をしているのか、絶対に見たくない。……触ったらダメなやつじゃん。


「つまり、沙緒里さんがそうなったのは環境のせいなんですか?」


 でも、一度触れた以上は、メンヘラのルーツがそこにあるのかと勘ぐった。陰キャとはメンヘラとは別物だとは思うけど。何気に興味深い。


「いや……これはたぶん、単純に性格の問題だ。染色体レベルでこうなんだろうな。どこで生まれ育ったとしても、私は私になってたと思う」


 なんか名言じみたカッコいい台詞が飛び出してきた。でも、冷静に考えると一ミリもカッコよくない。

 そりゃまあ、メンヘラになることに理由なんて無いと思う。変にこじつけるのは、わたしのようなファッションだ。


「ていうか、帰ったら卒アル見せてくださいよ! キッズだった沙緒里さん、超見たいです!」

「バカ。卒アル持って上京するわけないだろ。実家に置いてあるよ」

「それじゃあ、次の旅行は沙緒里さんの故郷にしましょう。わたしも、ご両親にご挨拶したいですし」

「は……はあ!? 絶対に連れて行かないからな!」


 もうすぐ客先に着くというのに、人気の少ない電車で盛り上がった。

 少なくとも、わたしは完全に旅行気分だった。

 沙緒里さんもそう見えていたけど――ランチを済ませて目的地に着くと、ロボットのごとく真面目な顔つきに変わった。社畜、凄いな。

 予定通り、午後二時前。浮かれたわたしは半笑いのまま、沙緒里さんの後ろに隠れて受付に挨拶した。沙緒里さんを見習わなければいけないと、ちょっとだけ思った。

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