第14話
十一月三日、木曜日。
どちらかというと寒いけど、過ごしやすい気候で――雲ひとつない秋晴れの日だった。
午前九時頃、沙緒里さんと電車の駅に向かった。
「もう帰る……」
二日前、沙緒里さんは腹を括って出席する決意を見せてくれたのに、駅のホームでは泣きそうな表情だった。
たぶん、二日酔い気味なんだと思う。飲みすぎた翌日は、ヘラってることが多い……同棲生活でわかった、心底どうでもいい傾向だ。
「何言ってるんですか! 行きますからね!」
沙緒里さんは濃紺スキニーデニムを履き、白のカットソーの上から黒のロングカーディガンを羽織っていた。この前テーマパークへ行った時と、まるっきり同じ格好だ。この人、マジで私服を持っていない。
まあ、沙緒里さんはいいとして……わたしは大きめなグレーのスウェットプルパーカと、黒のプリーツスカート、さらにはお団子ヘアーだ。せっかくバーベキュー用のゆるかわな感じに仕上げたんだから、今から帰るなんて絶対にダメ! わたしのために付き合ってください!
沙緒里さんを無理やり電車に乗せるも、そこから先が地獄だった。
電車で一時間半、さらに徒歩で十五分ってどういうこと!? 沙緒里さんは完全に心が折れてたけど、わたしは主催者にキレそうになってた。こんな所に呼び出すなら、車でも出せよ!
超田舎というか……山? いや、森? スマホの圏内なの? ……あっ、一応は繋がった。
都道府県を二つ三つ跨いだと思ったけど、どうやらひとつも超えてないらしい。こんな奥地に、二十三年の人生で初めて来た。
「着きましたよ」
沙緒里さんを介抱しながら歩いて、ようやく目的地の看板が見えた。
十一時に現地集合ということになっている。ギリギリ間に合った。
「ほら……課長らしく、しゃんとしてください。わたしとは、電車で偶然会ったという体ですからね?」
一応口裏を合わせておくけど、ふたり揃って顔を出しても、怪しまれないだろう……たぶん。
「わかった。それじゃあ、行こう」
この世の終わりみたいだった沙緒里さんの顔つきが、落ち着いたものに変わった。なにこれ、ロボットみたいで怖い。社畜経験が長いと、ここまで切り替えられるのかな……。
受付で社名を出して、通された。
「わぁ。凄いですね……」
有名な川を見下ろすウッドデッキのテラスに――テント? タープ? 布の屋根が張ってあって、その下に椅子とかテーブルとかグリルとか、バーベキューに必要なものが一式置かれていた。
屋根は見える限り、全部で三つ。たぶん、三組限定だろう。なんていうか隠れ家的な、静かでこじんまりした感じだ。
正直、全然期待していなかった分、第一印象は中々良かった。やるじゃん、夏目係長。
「小林、遅いぞ! 下っ端はもっと早く来て準備手伝え!」
と思った矢先、グリルに火を点けてた係長から開幕怒鳴られた。
いやいや、あんた昨日までそんなこと一言も言ってませんでしたよね? もしかして、察しろみたいな空気出してました? そういうの気づかないんで、やめてくれません?
ていうか、その格好なんですか? マウンテンパーカーに、ハーフパンツとタイツって……山ガールのつもり? え? 主催だし張り切ってる感じ?
髪束ねてアドベンチャーハットに……眼鏡? うわー、マジでウケるー。やっばーい、おもしろーい。
「す、すいません……。手伝います」
わたしは笑うのを必死に堪えて、申し訳無さそうに返事した。隣の沙緒里さんも、ポカンとしてる。全員ならわたしも入れて八人集まってるはずだけど、他にも絶対にツッコむの我慢してる人いるはず。
準備とはいっても、確かグランピングだから道具も食材も施設側が準備してくれている。実際、切られた肉が既に置かれていた。係長が火を点けてくれたから、あとはわたしが適当に焼くだけだ。……はー、ダルい。
「課長はこちらにどうぞ」
「は、はい」
一方で、沙緒里さんは上座へと案内された。今さらだけど、係長にとっては年下の後輩なのに、よくもまあヘコヘコ出来るなぁ。
わたしはトングをカチカチさせながら、食材を適当にグリルへ載せていった。
「あの……このお肉、何ですか?」
妙に分厚いお肉があって、ふと周りに訊ねた。赤身にしては、ヤバいぐらい赤い。料理に疎いわたしでも、牛ではないと、なんとなく察した。
「ああ、それ? 鹿肉らしいよ。凄いよね」
覗き見た先輩が答えてくれたけど、冗談を言ってるようではなかった。
え? 鹿ちゃん? マジで? トングがぴたりと止まった。ちょっとだけ引いた。
わたしは別にヴィーガンじゃない。それでも、可愛そうだと思ってしまった。愛くるしい動物なのに……。
「うう……。わたし、鹿さんなんて焼けませんよ……」
わたしは会社での普段通り、ファッションメンヘラらしく弱々しくかわいこぶった。
これで誰か代わってくれないかなーと思いながら、とりあえずスマホで鹿肉の写真を撮っておいた。珍しいから、後でSNSに上げようっと。
「それじゃあ、小林の分は私が食べるからな」
係長が席を立って、わたしからトングを奪うと、ひょいひょいと載せていった。
何の躊躇も無く鹿肉を焼けるのは、実に係長らしいと思う。……別に、憧れはしないけど。
ていうか、勘違いしてない?
「あっ。それとこれとは別ですので、焼いてくれたら全然食べます」
「お前な!」
どんな味なのかは、純粋に興味がある。時間的にお腹空いてきたし、香ばしい匂いが漂ってきたし、美味しそうだった。
「小林さんも、一旦座ろうか」
沙緒里さんが隣に立っていた。手には缶ビールと透明のプラスチックカップを持っている。
振り返ると、全員がビールを手にして、乾杯の準備が整っていた。クーラーボックスに大量の缶ビールがあるけど、あれは持ち込んだやつかな。
「はい、小林さん。いつもお疲れさま」
「あ、ありがとうございます……」
沙緒里さんからプラスチックカップを渡され、ビールを注がれた。
課長が新入社員に注いで労うのは、特に珍しくもないと思う。でも、部下じゃなくて、わたしだから注いでくれるんですよね?
仕事用スマイルで――優しく微笑む沙緒里さんに、うっとりした。
「こいつは疲れるほど仕事してませんよ」
ババアは横から口挟まないで!
「いつもお仕事ご苦労さまです! 係長、今日はこんな良い所を取ってくださって、ありがとうございました!」
わたしが席に座ると、先輩が立って音頭を取った。
うーん……普通すぎる挨拶だ。それに続いて、皆が係長に頭を下げた。
「それじゃあ、今日は食べて飲んで楽しみましょう! 乾杯!」
その後は、皆がウエーイって感じで騒いだ。静かな森の中なのに、うるさい人達だ。
わたしはそういうノリが苦手だから、下っ端らしく肉を焼きながら――時々つまみながら――なるべく離れた。
ただ……上座をちらりと見ると、沙緒里さんと係長のふたりが、なんか周りから浮いていた。役職以上だからかな? 独特の、近づけない雰囲気がある。
とはいっても、係長が一方的に話しかけてるだけで、沙緒里さんはどこか困った様子だった。超嬉しそうな笑顔でデレデレする係長を見て、あれはウザいだろうなと思った。なにあれ? 普段見ないから、余計に気持ち悪い。
むむ……。どうにかして、わたしが助けないと! というか、なんか腹立ってきた!
そんな時、沙緒里さんと目が合った。
沙緒里さんが席を立ち、わたしに近づいてきた。
「焼くの、私が代わるよ。小林さんは、食べておいで」
はー、よき! 優しく微笑みながらさっとトングを取り上げる課長モードの沙緒里さんが、イケメンすぎる!
係長から逃げ出した口実でも、中身はメンヘラ女でも、やっぱ反則じゃん。自宅でも常時これなら満点なのになぁ。
「ありがとうございます、課長」
わたしも微笑むと、椅子に腰を下ろして細々と食べた。
あー。大自然の中で直火焼きのお肉を食べるの、控えめに言って最高なんですが……。こればっかりはお礼を言うよ、係長。
その本人を見ると、なんか凄い不機嫌そうな感じで沙緒里さんに近づいた。なにキレてんの?
「私が焼きますので、課長は座っていてください!」
トングは次に、係長の手に渡った。
そうそう。あんたは下っ端らしく、焼く係でいいじゃん。
沙緒里さんは苦笑しながら、わたしの隣に座った。
「どう? 美味しい?」
「はい……。鹿肉、意外と美味しかったです」
「そうだね。私も、初めて食べたよ」
周りから離れて、ふたりだけの和気あいあいとした雰囲気を出した。
あー、もっとイチャイチャしたい! いっそ、付き合ってますって今この場で公言したい! 有象無象の連中から祝福されたい!
わたしは我慢するけど、ソワソワと落ち着かなかった。
「さ……じゃなかった課長、コップ空じゃないですか。今度はわたしが注ぎますね」
「ありがとう」
それに気づくなんて、流石はわたし。いい女すぎるでしょ。
缶ビールで課長に注ぐけど、一口分だけだ。
「酔っちゃダメなんで、ちょこっとだけです。でもでも、気持ちはコップ一杯分ありますので」
えへへと、はにかんだ。
やばやばやば! 今のわたし、最高に可愛い! 百人中千人が可愛いって言うよ! これぞファッションメンヘラの真髄じゃん!
それなのに――当の沙緒里さんが吹き出すのを我慢していたから、肘で軽く突っついておいた。もうっ、ここは最高に可愛い彼女ちゃんに照れるとこでしょ!
まあ、沙緒里さんの飲酒量は本当に注意しないといけない。酔い潰れて……もし、自宅みたいにヘラったら、クールな課長としての顔が丸潰れになってしまう。わたしとしては、アクセサリーの価値が下がることだけは絶対に回避しないといけない。
警戒している矢先、焼くのが一段落ついたのか、係長が缶ビール片手にやってきた。沙緒里さんとふたりで別世界に行ってるんだから、邪魔しないで! あんたは一生、肉焼いてればいいの!
「ほら。課長はもっと飲まないと」
係長はわたしを睨むと、笑顔で沙緒里さんのコップにビールを注ぎ足した。
いやいやいや。いくら年上だからって、アルハラでしょ、それ。沙緒里さんが困惑してるの、わからないの?
ていうか、係長……あんたのさっきからの態度、もしかして……。係長から圧を感じているわたしは、なんだか嫌な予感がした。
「貸してくだだい」
イラッとしたわたしは、沙緒里さんの手からコップを取り上げると、一気に飲み干した。
ふんっ、どうだ! あんたのお酒は沙緒里さんに届くもんか!
心中で勝ち誇るも――頭がぐらんとして、わたしはうなだれた。
あれ? 目を瞑っても、視界がぐるぐる回る……。
「小林さん! 大丈夫か!?」
マジトーンな沙緒里さんの声が聞こえた。うう……わたしを心配してくれる愛情は伝わりましたよ。
「すいません。小林さんを、お手洗いに連れて行ってきます」
そして――たぶん沙緒里さんに――肩を担がれて、わたしは席を立った。
足が全然覚束ない。支えられてなかったら、倒れてると思う。そんな状態で、少しずつ歩いた。あー、カッコ悪いなぁ。
それでも、わたしは自分の取った行動に後悔は無かった。
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