赤志-6

 タワーマンションに着いた。料金を払わず外に出る。

 赤志が住むマンションは鶴見駅から徒歩5分の所にある。周囲の建物が低いため、そびえ立つ姿は塔のようだ。

 子猫を抱えている少女が目を丸くして建物を見上げる。


「行くよ」


 少女がトコトコと赤志の後ろに続く。防火シャッター並みの厚さを誇る自動ドアを通る。ガラスは防弾仕様で、戦車砲すら貫けないらしい。

 オートロックの暗証番号を打ち込み、鍵穴の隣にある指紋認証装置に親指を置くと扉が開いた。


 少女が息を呑んだ。高級ホテルのような広々としたラウンジが出迎えたからだ。7階まで吹き抜けになっている構造は開放感があり、橙色の照明がチリひとつない空間を彩っている。


「お帰り。赤志」


 ソファに座る男が声をかけてきた。警備員の木原きはらだ。手元のスマホから赤志たちに顔を向ける。

 少女が赤志の背に隠れた。


「獣人の子供を誘拐したんだって?」

「んなわけねぇだろ」

「あれ? 聞いた報告と違うな」


 あの監視員いつか絶対ぶっ飛ばしてやる。赤志は心の中でそう誓った。


「ていうか、お前はくつろぎすぎだろ」

「文句は平和な世に言ってくれ」


 マンションに在住しているのは警備員とだけ。全部で35人。タワーマンションに存在する無数の部屋はほとんど空室である。


「またパチンコか?」

「赤志もやるか。楽しいぞ? 安心しろ、必ず黒字になるようサポートしてやる」

「ちゃんと働いて金稼ぐよ」

「カッコいいこと言うじゃん。無職のくせに」


 赤志は中指を立てた。木原は口許に笑みを浮かべる。

 警備員や研究員とは関わりたくないが、木原とは軽口を叩き合う仲だった。24歳と年が近く、話も合ったからだ。


「つうか真面目な話、早く親呼んだ方がいいんじゃ?」

「いない」


 少女はポツリと言った。


「家族は、もう、いない」


 小さく鳴くような声だった。木原はバツが悪そうな顔をする。


「滞在許可証を持ってないみたいなんだ。あの人に相談してみるよ」


 木原は合点したように手を叩いた。


「タイミングがいいな。もう来てるぜ」

「マジ? めずらしいな」

「自分の息子が誘拐犯になった、なんて聞かされたら誰だって飛んで帰ってくるだろ」


 赤志は鼻で笑うと木原と別れ、エレベーターに乗り込む。

 スマホを確認する。時刻は23時12分になっていた。

 息を吐いてフードを脱ぐと、少女が目を丸くした。


狼人ライカンじゃない?」

「ん? ああ、そっか。見せてなかったね。俺は人間だよ」

「ねぇ。もしかして、なの?」


 特徴的な赤髪をマジマジと見つめながら言った。赤志は口ごもる。


「……そう、だよ」

【懐かしい呼び方だな】


 エレベーターが30階に到着し扉が開く。


「お母さんが言ってた。バビロンヘイムを救ってくれる英雄だって。その通りだった」


 歩きながら今度は尊敬の念が向けられた。赤志は苦笑いを浮かべるだけだった。

 角にある自室のドアを開け中に入ると、玄関に革靴が置いてあるのに気付く。


「邪魔してるよ、勇」


 電気がついているリビングには、尾上正孝おのうえまさたかがL字型のソファに座り、テレビを見ていた。相変わらず七三分けの白髪がピシッと固められている。茶色のスーツを見る限り、仕事帰りらしい。


「シャツ、洗濯機に入れておいたぞ。ペットボトルもゴミ箱に入れておいた。お前ね、せめてゴミは捨てなさいよ」

「はいはい。悪かったって」


 ダウンジャケットを椅子にかける。


「ご飯食べてないだろ? 何か作ってやろうか。その子たちの分もね」


 尾上が顔を向けると少女が赤志の後ろに隠れる。猫がニャァと鳴いた。


「聞いたぞ? 誘拐してきたんだってな」

「どいつもこいつも何で俺を誘拐犯にしたがるんだ」

「どういう風の吹き回しだ? 野良獣人を保護するなんて」

「気になることがあってさ。話を聞いてからでも遅くないだろ?」


 尾上は唸り顎に拳を軽く当てる。


「人を襲って魔法も使った子を保護か。さっさと警察に届けた方がいいと思うが」

「事情があんだよ。事情が」


 立ち上がった尾上は少女の前で膝を折る。


「はじめまして。尾上正孝です。キミは?」

「……ジニア。ジニアチェイン」

「ジニア、ちゃんね。よろしく。とりあえず、猫ちゃんの手当てをしようか」


 微笑みを向けるとジニアは警戒しながらも頷いた。赤志から離れ、尾上と共に猫を治療する。「救急箱だけじゃ不安だから明日動物病院に連れて行こう」と尾上は言った。


「とりあえずさ、ジニア。風呂入ったら?」


 全身の汚れが目立っており、電車に乗った時も奇異の目で見られていた。少しばかり臭いも気になる。


「何日も風呂入ってないだろ、その様子だと」


 ジニアが目を丸くして赤志を見た。


「なんだよ?」

「使っていいの?」

「なんでダメだと思うんだよ。思う存分浴びてきな」

「!! うん!」


 ジニアは嬉しそうに顔をほころばせると、シャツの裾に両手をかけ、服を脱ごうとした。


「ば、ばかばか! 何してんだよ!!」


 慌てて止める。


「脱衣所で脱ぎなさい! 尾上さんが興奮しちゃうでしょ!?」

「ご、ごめんなさい」

「おい。人を勝手にスケベ親父にするな」


 赤志はジニアを風呂場に案内した。子猫の方は体温と傷の具合も加味して、いったん体を洗わず休ませることにした。

 猫を抱えながらソファに座った赤志はジニアの情報を共有する。


「4年だと? 普通の獣人じゃありえないな」

「素性を調べてくれ。もしかしたらお偉いさんの令嬢かもしれない。素性が判明するまで、俺が責任をもってあの子を監視する」

【問題起こしたぶっ殺すってことだぞ、それ。できんのか】


 赤志は真っ直ぐ尾上を見る。


「わかった。いったんここに置いておけばいい。ただそれを許可する代わりに、研究室に戻って来て欲しいなぁって言ったら」

「やだ。それなら他を頼る」


 即答すると呆れたような溜息が吐かれた。


「勇。我儘も大概にしろ。お前が帰ってきて半年経つのに、異世界の情報は共有しない、研究も手伝わない、魔法学の協力もしない……」

「また小言っすか」

「聞けって。ワクチン開発に協力して欲しいんだ。どうしても。先週も「魔力暴走事故」が起きてるんだぞ」


 尾上は声色を変えて言った。


「だからさ。俺が協力したって意味ねぇだろ」


 赤志は眉間に皺を寄せ、現世界で問題になっている事件の話に耳を傾けた。


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