三毛夜叉様の知り合い

 今日も一日の講義を終えると俺はまっすぐ帰路につく。最近は白芳しらよし紅夜くやが家で待っているから自然と足も速くなろうというものだ。


「もし、尋ねたいことがあるのだが」


 ごみ置き場に差しかかったところで俺は足を止めた。落ち着いた感じの男の声だ。その声の方へと顔を向けると、そこには一組の男女が立っていた。


 男の方は精悍な顔の中年美男子で黒い袴を着ている。瞳が灰色というのは日本人にしては珍しい。


 女の方は日本人形のように精巧な美女で落ち着いた青色の着物を着ていた。こちらの瞳は金色とやはり一般的ではない。


 どちらも何となく動物の狐を連想してしまう。どうしてだろう。


「あの、何か?」


「この近くに蔵田善賢くらたよしかたという人物の家があると聞いているのだが、どこかわかるだろうか?」


 そりゃわかると俺は言いかけた。けれど、こんな知り合いは記憶をたどってもいない。


 若干警戒しながら問い返す。


「どちら様ですか?」


「蔵田家に居候している白芳の関係者だ。正確には、その母親の知り合いだが」


 白芳の母親といえば三森村の神社に祀られている猫又の三毛夜叉みけやしゃ様だ。その知り合いとなると人間ではない可能性が高い。


 とっさに返事ができずに体を緊張させてしまった。それを見た袴の男が目を細める。


「その様子だと白芳の知り合いか? そなた居場所を知っているであろう」


「お前さん、そんな風に睨んだら誰かて警戒しますやん。なんで道を聞くのにそんな気合いを入れてますの」


「いや、別に睨んでいるわけではないのだが」


「相手の人、すっかり怖がってますやん。ごめんなさいね。うちの人ったらすぐに人を睨む癖があってな」


「さすがにそんな癖はないぞ」


 関西弁をしゃべる着物の女が間に入ってきた。注意された袴の男は困惑した様子で弱々しく反論する。二人の関係が垣間見えてちょっと面白い。


 着物の女はそんなことを気にせず俺に話しかけてくる。


「うちは玉櫛たまくしって言いますねん。こっちは旦那の朧火おぼろびで、白芳の母親から頼まれて様子を見に来ましてん」


「三毛夜叉様から頼まれたんですか」


「そうなんですわ。娘のことが気になってるらしいてね。ところで、三毛夜叉様とうたことありますの?」


「一度だけ。それで、白芳ならうちで一緒に住んでますけど」


「それじゃあんたが蔵田善賢はんやってんな! これはちょうど良かったわ!」


 旦那さんの朧火とは違って随分とおしゃべりな玉櫛さんは陽気に笑った。


 ここまで話ができるならもう隠す必要はない。俺はそのまま自宅へと案内した。




 玉櫛さんと朧火さんを連れて帰宅するとお客二人を見た白芳が驚いた。脇にいる紅夜の不思議そうな目にも気付かず声をかけてくる。


「玉櫛さんに朧火さん!?」


「随分と久しぶりやね。大きゅうなったなぁ。元気そうでなりよりや」


「そちらの子は誰かな? あ」


 朧火さんに声をかけられた紅夜は白芳の奥へと隠れた。いつも元気いっぱいの姿を見ていたからこんな内気な態度に俺は驚く。


 その態度に朧火さんは呆然とした。横から玉櫛さんが肘でつつく。


「お前さん、また睨んだんか?」


「い、いや、単に声をかけただけなんだが」


「にしても、猫又のいるところに化け猫もおるなんて珍しいなぁ。蔵田はん、一体何しはりましたん?」


「立ち話もなんですので、とりあえず中にどうぞ」


 苦笑いを向けてきた玉櫛さんに俺は家に上がるよう勧めた。


 玄関のすぐ脇にある洋風の応接間に二人を案内する。ローテーブルの片面にある二人掛けのソファに座ってもらった。


 その後、台所でお茶の用意をしながら俺は白芳に問いかける。


「あの二人、三毛夜叉様の知り合いで白芳の様子を見に来たって言ってたぞ。会ったことはあるのか?」


「小さいときに一度だけね。何でも関西にいる大妖怪の娘らしいのよ、玉櫛さんは」


「怒らせると大変なことになりそうだな。ということは、あの二人も妖怪なんだな。人間っぽいけど」


「どちらも妖狐よ。相当な妖怪だってお母さまから聞いたことがあるわ」


「朧火さんはなんかすごそうに見えるよな」


「にゃーはあの雄の狐さんは怖いにゃ」


 それまで黙って俺と白芳の様子を見ていた紅夜が不安そうに独りごちた。


 手を止めて紅夜に向き直った白芳が笑顔を見せる。


「大丈夫よ。いざとなったら玉櫛さんに言いつけたらいいわ。朧火さんって玉櫛さんに全然頭が上がらないから」


「そうなのかにゃ?」


 まだ出会って間もないが今までのやり取りを思い出した俺は白芳の主張に納得した。


 元気のなかった紅夜も納得したようで顔に笑みが戻る。


「わかったにゃ! 白ちゃんを信じるにゃ!」


「それじゃお菓子を運んでくれ」


「はいにゃ! ご主人さま!」


 すっかり元通りになった紅夜がお茶菓子の入った皿を手に持った。俺と白芳はお茶を乗せたお盆をそれぞれ持つ。


 応接間に入ってお茶を配ってから俺と白芳は玉櫛さんと朧火さんの正面に座った。紅夜は俺の隣に丸椅子を持って来て腰を下ろす。


「では改めまして、蔵田善賢です。こちらが化け猫の紅夜です。白芳とは知り合いなんですよね」


「ご丁寧にどうも。うちは玉櫛、こっちが旦那の朧火で、今は人に化けてますけど妖狐です」


「今日は白芳の様子を見に来たと先程伺いましたけど」


「三森村のおふさはん、ああ、白芳の育ての親御はんの三毛夜叉ですけど、その方に頼まれたんです」


 事情を知らない俺は白芳に顔を向けた。その白芳も少し眉を寄せて口を開く。


「別れてからまだ二ヵ月しか経ってないのに様子を見てくるよう頼まれたんですか? いくらなんでも早すぎません?」


「実を言うとだな、様子を見るというのはついでなのだ」


「朧火さん、どういういことですか?」


「儂と玉櫛は伏見御前の名代として全国を回っておるのだが、今回はたまたまこの近くに用があってな、それを三毛夜叉殿に話したときに頼まれたのだ」


「それじゃ特に用があったわけじゃないんですね。見ての通り、私はいたって元気ですよ」


 何もないことを知った白芳が肩の力を抜いた。


 湯呑みを持って微笑んでいる玉櫛さんが白芳から紅夜へと目を移す。


「それにしても、なんでこの家には白芳がいるのに、化け猫のあんたがおるんや?」


「にゃーはご主人さまの飼い猫にゃ! ちょっと前に拾われたにゃ!」


「蔵田はん、あんた化け猫を拾ったんかいな」


「捨て猫として拾ったときは普通の子猫だったらしいんですけど、白芳が名前を付けたら化け猫になったらしくて」


「にゃーはご主人さまが大好きにゃ!」


 俺の説明を聞いた玉櫛さんと朧火さんが白芳へと顔を向けた。すると、白芳は目を逸らしながら小さな声で反論する。


「まさか成り上がるなんて思わなかったんだもん」


「見たところ、蔵田殿への想いの強さも要因の一つみたいだな。さすがに子猫の段階で見抜くのは難しいか」


「そうですよね、朧火さん!」


「う、うむ」


 勢いよく同意した白芳に多少気圧されながら朧火さんがうなずいた。


 その様子を尻目に玉櫛さんが俺に問いかけてくる。


「となると、この紅夜って子はこの家で飼わはるんですね」


「何か問題でもあるんですか?」


「お房はんから蔵田はんは物の怪を引き寄せやすいから気になるってわれてたんです。早速こんな調子ならこれからどうなるんやろなって」


「引き寄せやすいって、そんな話初めて聞きましたよ」


「普通は気付かんもんやからねぇ。ただ、周りに妖怪が増えると更に他の妖怪も引きつけやすうなるさかいに、気を付けなはれな」


 思わぬ忠告に俺は眉をひそめた。三毛夜叉様が気にしていたのは実のところ俺の方ではないかと疑う。実際はどうなんだろうか。


 今の話を聞いて紅夜が鼻息荒く俺にくっついて元気よく宣言する。


「悪い妖怪が来ても、にゃーが守ってあげるにゃ!」


「お、おう。でも、紅夜は生まれたてだからまだ危ないんじゃないか?」


「そんなことないにゃ!」


「私もいるから心配しなくてもいいわよ。大抵のことは何とかできるでしょうし」


「本当か?」


「なによ。今までも平気だったでしょ」


 当然のように白芳は胸を張った。確かにここ二ヵ月はそもそも何も起きていない。


 ともかく、自分の厄介な体質を知れただけでも良かった。今後についてはこれから考えるとよしよう。


 最後に玉櫛さんと朧火さんは我が家に魔除けの術を施してくれた。これで悪いものは家に入れなくなったらしい。ただし、辞去しようとする直前に朧火さんが忠告してくる。


「これで不用意に妖怪や悪霊が入ってくるということはないだろう。しかし、結局は当人達の心がけ次第だ。自ら悪いものを招き寄せぬようにな」


「白芳、これがうちらの連絡先やさかいに、何かあったらかけといで」


 念のためにと玉櫛さんはスマートフォンの連絡先を交換してくれた。そして、朧火さんを促して玄関から立ち去った。

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