第119話 黒須透花の話。

「どうしたんですか、なおさん。急に呼び出して」

「ごめんなさいね。ちょっと透花の件で色々あってね」


 休日に直人さんに呼び出され、直人さんの書斎でふたり。

 探偵の仕事でもあったのか女装したままの姿。

 まあ、6:4くらいで女装時の姿の方が見かける事が多いのでもはや当たり前である。


「貴方たちの高校、もうすぐ学園祭よね?」

「そうですよ。僕は生徒会の副会長なんてやってますし、大変です」

「1年で副会長なんて、モブから随分といきなり出世したわね」

「賃金が支払われないのが残念です」


 紅茶で喉を潤しながら直人さんは話をさっそく本題へと入った。


「学園祭で透花を護ってほしい」

「……僕が?」

「ええ。と言ってもべつに物理的に守るということじゃないの」


 そりゃそうだ。

 なんならたぶん黒須さんの方が強い。

 しかも身体の至る所に武器を仕込んでいるし、文房具も武器にしてる。


 そろそろ左腕がサイコガンでも僕は驚かないだろう。あるいは目からレーザービームとか。


「このふたりがもし貴方のクラスに来ていたら、匿ってほしい」


 そう言って手渡してきた2枚の写真を見た。

 30代後半の男女の写真だった。


「このふたりは?」

「聞きたいなら教えるけれど、これ以上の話は透花についての責任が重くなる、とだけ言っておくわ」


 それは要するに、黒須さんの過去について今以上に深く関わるという事なのだろう。


「だから今回はこのふたり、もしくはそのふたりの仲間と透花を接触させないようにできるだけ手伝ってほしい」

「……わかりました。でも、黒須さんの話、聞かせて下さい。過去の事も」


 たぶん、もうどのみち僕は黒須さんの件についてかなり関わってしまっているだろう。


 今更、そこを曖昧にしたままではもう関われない。

 聞いておかなければ、いずれは関わり方を間違える気がする。


 とんでもない地雷が埋まってるのはわかってる。

 けれど、もう遅い。

 少なくとも、放ってはおけない。


「この前とはまた心境の変化でもあった? それとも透花に惚れた?」

「惚れたわけではないですよ。放っておけなくなっただけです」

「似たようなものだけどね」


 そう言って不敵に笑う直人さん。

 前に「透花の過去を聞いてほしい」と言っていたのは直人だと言うのに。


「さっき見せたふたりは透花の産みの親たち。そして女の方はかつて私が殺した相手の血の繋がっていない娘」

「……」

「女の名前は立川志乃たちかわ しの。私の高校の時の同級生」


 すでに聞くのが怖くなっていた。

 黒須さんの問題であり、直人さんの問題でもある人物。


 黒須さんの過去だけではなく、直人さんの過去にも大きく影響する話だとは思っていなかった。

 そしてなにより、父親を殺したというパワーワード。


「立川は私の義妹を虐めていたリーダー格だった。色々あって、義妹が病気で死んだ後、私は八つ当たりで立川家族を社会的に追い込んだ。そして政治家だった立川の父親は自殺した」

「直接殺した訳じゃない、なら……」

「殺したようなものでしょう。私がそれをしなければあの時立川の父親は自殺していなかったもの」


 しかしそれをさらっと言ってのける直人さん。

 因果とか、そういう類いの話。


 自分がこんな事をしていなければ、とか。

 自分があんな事を言ってしまわなければ、とか。


 自分が産まれていなければ、とか。


「……それを言うなら、人間そのものが存在してなければ、とも言えます」

「ふふふっ。極論ね。厨二病みたいなこと言うのね」

「こちとら思春期の高校生なので」


 僕だってそうだ。

 インスタなんてやってなければ、黒須さんに目を付けられる事はなかったかもしれない。


 教室で弁当を食べなければ、天使さんとも黒須さんとも関わらずに過ごしていたかもしれない。


 天使さんたちと関わっていなければ、生徒会になんて入らずに済んだかもしれない。


 たくさんの「かもしれない」がある。

 それこそ、目の前の直人さんに助けてもらっていなければ、とも言える。


 何かをしていなければ、というたくさんの「かもしれない」がいくつも広がっている世界。それが現実という世界だ。


「この世はどこに行っても、繋がっている。それを嫌というほど思い知らされるし、それに助けられた事もある」


 複雑な笑みを浮かべつつ、ティーカップの口を切なそうに撫でる直人さん。

 男だとわかっていても、その仕草や表情は色っぽかった。


「私が透花を見つけたのはたまたまなの。施設を抜け出していた幼い透花に襲われた。食べ物を寄越せってね」

「……直人さんを襲ったのは運が悪い」

「ええ。折れた鉛筆で私を刺そうとしたから、組み伏せて話を聞いたわ。当時は10歳だった」


 10歳の頃からすでに凶暴だった黒須さん。

 写真の親と、今の状況からもわかる。


「透花が最初に覚えた事は、人を脅したら欲しい物が手に入る。それで生きてきたの」


 僕に鍵型ナイフで脅してきたのは、僕が「背景モブ太郎」であるという情報が欲しかったから。

 それに縋りたかったからなのだろう。


「立川志乃は事件の後、高校を中退。顔は良かったから風俗や水商売で生計を立てて、ある時子供を身篭った」

「それが、黒須さん」

「ええ。まあ、当時は黒須透花という名前ではなかったわ」

「……それは、どういう……」

「それについては話せないわ。知らない方がいいことだから。色々と、あるから」


 この話だけは、直人さんは話す気がないのだろう。

 高校生でしかない僕には想像すらできない。


「今の透花は書類上、孤立無援の未成年。立川志乃たちと縁を切る為に私が勝手にやった事」


 書類上の孤立無援。

 それは一体どういうことなのか。

 親が死んでいるとか、遠縁の親戚はいるとか、そんな話ですらない事だけはなんとなくわかる。


「透花を児童養護施設に連れ戻して、私は透花の事を色々と調べた。立川志乃の娘である事。育児虐待を受けていた事。人格異常である事」

「人格異常というのは?」

「二重人格みたいなものよ。だから今のあの子には幼少期の頃の記憶が無い」


 二重人格・多重人格。

 聞いたことはある。

 主人格に極度の精神的苦痛やストレス、トラウマなどから主人格を守るために人格を切り離す、みたいなものだったと記憶してる。


 もちろん正確な知識じゃないけど、主人格はその原因となった記憶や出来事を覚えていない。


「まあ、でも透花についてはよくわからない事が多いの。二重人格なのかと言われると怪しい。分裂しないまま、過去の記憶を封印しているパターンが近いかしらね。でも精神的にとても不安定」


 直人さんはそう言って窓の外を眺めた。

 直人さんの言う「色々」は本当に色々とありすぎる。


 少なくとも、僕みたいな一般人が経験しないような事ばかりだ。


「そうして私は透花に「黒須透花」という戸籍を与えた。丁度その精神的な異常で記憶がおかしかった。だからそのままあの子を「黒須透花」という人間として側に置いた」

「じゃあ、直人さんは育ての親、みたいなものなんですね」

「そうね。本当は、私と陽向の子供として養子縁組を考えていたの。でもやめた」

「……それは、どうして?」


 直人さんは紅茶を新たに淹れた。

 ティーカップから昇る湯気を眺めながら直人さんは答えた。


「あの子が、いつか過去と向き合えた時、それを選ばせる為」

「立川志乃たちか、直人さんたちかって事をですか?」

「ええ。あるいはそれ以外の選択肢。透花が、ちゃんと選べるように」


 ぼくらは、親を選べない。

 生まれた時から決まってる事だ。

 でもそれはある意味で楽なのかもしれない。


 黒須さんが選ばないといけないかもしれないのは、要するに「虐待をしてきた産みの親」か「過去を消して育ててきた親」かどちらかという話だ。


「私はね、貴方に期待しているの。透花が縋る貴方に。貴方にしか縋れないとも言える。けれど、あの子は自力で縋れる人を見つけてきた。たまたまと呼ぶのか、それとも運命と呼ぶのかはわからないけれど」


 縋れる、というのは単に味のする料理を作れる人ということなのだろう。


「……黒須さん、僕の料理食べた時、「人間に戻れた気がする」って言って泣いてました」

「ええ。知ってるわ。あの子が人を脅すようになったのも、親からまともに食事を与えられなかったからなの。そしてある時、たまたま観たドラマか何かで脅して欲しい物を得るという事を知った」


 極限の飢餓。

 育ち盛りだったはずの幼き黒須さんが生きる為に憶えたすべ


「記憶を無くても、あの子は食べ物に飢えている。そして恐怖も同時に刻まれている。だからあの子は武器を常に持っている」


 僕が作る料理に対しての異常なまでの執着と、そして武装。


 自分を守るための本能なのだろうか。


「人間の三大欲求のうちの食欲が満たされない。でもそれが、健君のお陰で満たされている。だからあの子は人間になれた気がするの。私たちからすれば当たり前なことだけど」


 そう言って直人さんは紅茶を飲み切った。


「私の復讐のせいで透花は不幸になっている。でも、私では透花を幸せにはしてあげられない」


 虚しそうに空になったティーカップを見つめる。

 悔しそうで、辛そう。

 精一杯やっても、黒須さんは人間にはなれない。


「透花が生まれたのは私の罪のせい。幸せにしてあげられないのは私の罰のせい」


 何も言えなかった。

 僕なんかよりなんでもできる直人さんが、ただ歯痒い思いをしている。


「でも私には貴方に「透花を幸せにしてあげてほしい」なんて頼めないし、それはおこがましい。でも、あの子とせめて友人でいてあげてほしい」


 悲しそうに微笑む直人さん。

 自分の罪と罰を背負って、綺麗な直人さんは僕にそう言った。


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