第106話 大人と子供。

「……疲れた……」


 天使さんの看病を終えて家から出ると、もう既に夕暮れ時だった。

 家に帰るもの気が進まず、ゆっくりと家路を歩く。


「今日は疲れた。本当に」


 さっきまで天使さんの事でいっぱいいっぱいだったが、考えてみれば真乃香さんをそのまま放置してしまっている。


「ちょっと休むか」


 帰り道の途中の寂れた小さな公園のベンチに座った。

 普段はあまり飲まない缶コーヒーを片手に黄昏たそがれるというのはちょっと痛々しい気もするが、今は仕方ない。


「……苦っ……やっぱ微糖にしとけばよかった」


 先延ばしにしていた事が、今になってどんどん自分の首を締めていく。

 真乃香さんの事も、天使さんの事も。


 黒須さんの事も、現状は何も解決してない。

 現状維持できているだけ。


「おや、健君じゃない」

「……直……なおさん」


 女装した直人さんが僕を見つけて近寄って来た。

 たまに思う。この人も僕のストーカーなのではないかと。

 まあ、実際はストーキングしてる暇なんてないだろうけども。


「なおさんはどうしてここに?」

「お散歩ね」

「散歩、ですか」

「小説書いてて行き詰まると散歩をするのよ」

「小説家ってそんなもんなんですか? もっとストレス発散とか色々あるでしょうに。夏の終わりとはいえ暑いでしょう?」

「まあそうね」


 この人はいつも、優雅な迷子のようにうろつき回る。

 猫みたいだ。


「逆にどうして健君はここにいるのかしら? フラれたとか?」

「なおさん、僕が誰かに告白なんてすると思います?」

「……無いわね」

「でしょう?」


 モブ如きの僕が、そんな事をするわけない。

 モブはモブでも、わきまえているモブなのである。


「でもその割には浮かない顔だけれど?」

「……ほら、思春期の男子高校生がカッコつけて夕暮れ時の公園のベンチで缶コーヒー飲んでるだけですよ」

「厨二病なのだとしたら、それも結構捻くれている方にいったわね」

「いやはや全く痛々しい」

「わかっててやってるなら重症ね」


 ふたりして軽く笑う。

 茶番なのをわかってて付き合うこの人は未だによく分からない。

 どうして意味の無い会話をしてくれるのか。


「そう言えば、祭りの件、ありがとうね。助かったわ」

「いえ、こちらも稼がせて頂きましたし、ありがとうございます」

「冨次ちゃんが負けて悔しそうにしてたわ」

「専業主夫に何度も負けたら悔しいでしょうねぇ」

「専業主夫がどうとかではないとは思うのだけどね。単純に、健君に負けたくないって思ってるだけよ」

「……同じことじゃないですかね?」

「捉え方の問題ね」

「……そういうもんですか」

「ええ」


 モブ如きの僕にどうしてそんなに負けたくないのだろうか。

 いや、モブに負けたのが嫌なのかもしれない。

 かといって手加減をするつもりもない。


 というかあんまり勝負してる気はしない。

 祭りの時は売上で勝負をしたけども。


「ねぇ健君」

「なんですか?」

「透花を嫁にもらうつもりはない?」

「ッ?! ごほっごほっ……」


 やばい、鼻からコーヒー出てきた……


「……何を、急に、言ってるんですか?」

「ごめんなさいね。はい、ハンカチ」

「……どうも」


 黒須さんを嫁に?

 てかなんでそれを直人さんが僕に言ってきたんだ?

 あまりにも話が急すぎる。


「……なにか、あったんですか?」

「いえ、ないわ。今は」

「…………これから色々とある、みたいな言い回しですね」

「色々とある。あるわ。あの子はとっても面倒な子だから」

「……そこだけ聞くと、面倒な子を僕に押し付けようとしてるだけにしか聞こえませんけどね」

「そうね。でも、貴方しか今は無理だから」


 荷が重い。

 黒須さんの背負っている荷物があまりにも重い。

 その荷物を知らなくても、すでに重いことだけはしっている。


 このベンチで知ったんだ。


「今の僕では、他人の人生を一緒に背負うとか無理ですよ。それほど大人じゃない」

「知ってるわ。だから騙して誘導もしないし、恩を返せとも言わない」

「……なおさんは騙し方はえげつないから怖いんだよなぁ」

「私、嘘は付かないからね」

「それが本当だからタチが悪い」

「ふふっ。でしょう? 褒めてもらって光栄よ」

「いや、褒めてませんから」


 この人の口車の乗せ方は詐欺師を超えているといつも思う。

 なぜこの人が悪人でないのか意味がわからないほどに。


「まあ……透花の事については本当に色々とあるのだけど、単純にわたしみたいになってほしくない。だからお願いしたの」


 直人さんは自分の手のひらを見つめていた。

 夕陽に染まる手のひらは僕よりも小さい。


「透花を、人殺しにはさせたくないから」

「…………それは、ここで話していい事なんですか?」


 僕は黒須さんの事も、直人さんの事も知らない。

 知らなすぎる。

 そしてそれを知ろうとして知るだけの器なんて持ち合わせてない。


 自分みたいになってほしくない。

 人殺しにさせたくない。


 これだけで何を言っているのかは僕だってなんとなくわかる。


「ここじゃダメね。それに、今でもない」


 物騒な話を漂わせた直人さんは穏やかな表情で夕陽を見た。


「貴方が今ここにいる理由も、考えている事も私からは聞かないわ。相談したくなったら聞くわ」


 たぶん、僕が悩んでいる事と、直人さんが抱えている事の大きさは同じじゃない。


「男が独りでいる時は、そういうものだからね」

「……女装した姿で言うと、なんか凄く「いい女」感しますね」

「こんな姿でも私は男だからね。そりゃそうよ」


 直人さんは不敵に笑いながら立ち上がった。


「……近いうち、透花の過去について、話を聞いてほしい。無理にとは言わないけど」

「……そうですか」

「じゃあ、私は帰るわ。陽向がお腹を空かせて待ってるだろうから」

「そうですね。もう夕飯時ですから」


 直人さんはそう言って微笑んでそのまま去っていった。


 僕は、曖昧な返事しかできなかった。


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