第11話 【あこがれること】


 こうして静かに朝の光に包まれながら、私のいま暮らし出しているこの小さな村の生活のことを考えると、此処(ここ)こそ本当に幸福村に近いような村なのではないだろうかと気がしてくる。そして以前に私が旅した折に地図中で見つけ出した<幸福>という名の村は、本当にあの時、そして今でも、存在し得るものだろうか?


 私には何だかこう思えてならない。私のいま暮らし出しているこの生活、この手にしがたかった幸福に限りなく近いようなものへの邂逅を、あれは、警笛していたのではないだろうか。――そしてあれは言わば私のやむに已(や)まれぬ幸福を求める魂が、勝手な想像で創り出した、架空の村ではなかったろうか。……


 はたして私はそういう夢の城を、死ぬまでにどれだけ築いてゆくことだろうか。

 幼かった頃、私はよく二三人の近所の幼なじみの女の子たちと一緒に、あーした天気になあれと、靴を青空高く蹴飛ばして、明日の天気を占って遊んでいた。


 あの幼年時に持っていた、遥かな未来への憧憬が、私の裡で、今は何と歪曲(ゆが)んでしまったことだろう。砂漠の中の旅人が極限の喉(のど)の渇きから、どこまで行っても辿り着かぬ蜃気楼という自然のいたずらに飲み込まれてゆくように、自身もそんな道程に身をゆだねているような気がするのだ。

 あこがれること、それが何よりも必要なのではないだろうか?


 それから数日経ったある午後、私の泊まっている宿屋に一人の小柄な小父さんがやってきた。それは私が旅の途中に何度かお会いしたことのある絵描きの小父さんだった。


「なあんだ、君かい! また意外なところでばったり出くわしたもんだ。……本当に君はこういった自然のよさそうなところを、よく選んでくるね」


「ええ、本当に、僕から自然をとったら、何も残りませんでしょから――」


「面白いことを言うなあ。だが、儂(わし)も絵をとったら何も残らなんだ」


 そんな風に私たちは気軽そうに会話した。

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