第2話 【鶏たちの楽園】


 それから十数分後、私は宿屋から村の中央へ向かう一本道を歩いていた。

 赤茶けたその道のおちこちには、何やら松ぼっくりらしいものが散らばっている。

私はそれをようく屈みこんで見直してみたが、矢張り松ぼっくりらしい。この村の在るここいら一帯の地方は、元来松など生えない風土だと知っていたので、私はそれを何んとなく訝しがりながら顔を上げて上を眺めた。


 私の目に楊枝のように長ひょろい松の葉群が映った。次には道の両側に立っている背の高い、一目で松と分かる木の全容が目に入る。辺りを見廻すと、あっちにもこっちにも松が生えている。そうして今まで私の歩いてきた村道に涼しい木陰を落としていたのは、どれも皆、松であるらしかった。そういう松並木にさえ気がつかぬ程に、私は熱心に何か考え事でもしていたのだろうか? そう考えると、何だか苦笑せずにはいられなかった。

 

ふいと私はそういう松並木から目をそらしながら、向こうの方からやって来る一人の素朴そうな村の青年を呼び止めた。そうしてここいらに生えている松のことを訊(き)いてみた。


「なんでも一昔前に、この村にやってきたヨーロッパの宣教師が植えたのだそうですよ」


「それが今ではこんなにもずんずんと増えて……」


私はひとり言のようにそう呟いた。


 今度はそんな松並木を気持ちよさそうに仰ぎながら歩いた。

 そうしていると松脂の匂いさえ、辺りの雑草の匂いに入り交じりながら漂ってきた。時どき、飛蝗(ばった)なぞが足先の下生えから、私を驚かすように飛び跳ねた。その小さな草色の飛蝗は、私の歩いてゆく方向にまるで米つき飛蝗の三段跳びのように飛び跳ねて行った。私が又、飛蝗の飛んで行った茂みの辺りにまで辿り着くと、再び飛蝗は逃げるように前方へ飛び跳ねる。それを見ると、私は驚いた猫が逃げる時のあの俊敏な身のこなしを思い起したりした。


 そうして又、私が飛蝗に追いつく。飛蝗が瞬時に、前方に飛翔(とびあが)る。

それがまるで子供だましのように暫く続いた。そんなおしゃまな一匹の飛蝗を、突然横ざまから飛び出してきた、真っ黒な鶏が口に入れるまでは。


 その真っ黒な雄鶏はその後ゆうゆうと歩いて林の中に消えて行った。

 そののんびりとした、何も考えずにいるらしい雄鶏の横顔を目のあたりに眺めながら、道を横断している鶏のために道をゆずり立ち止まったのは私の方だった。雄鶏の消えて行った林の中から、しばらくは無数の何か足音らしきものが枯葉の上を彷徨(さまよ)っているのを私は耳にした。それはごく小さな、テンポの好い足音だった。

 私はあの真っ黒な鶏の雛たちのまだ危なっかしそうな足つきや、それからその可愛らしい華奢な羽根を時々ばたつかせながら親鳥についてゆく……そんな雛たちの様子を知らぬ間に胸裡に描いていた……



 本当にこの村は鶏たちの楽園のようだ。

 其処いらじゅうに歩行(ある)いているのはみんな鶏だもの。

 可愛らしい雛たちを引き連れて道を横断する鶏の家族の多いっことったら! そうして気ままに林の中で、民家の庭で、しきりに足音を雑草に交ぜ合わせたり、枯葉の上に転がしたりしている。


 大概(たいがい)の民家の庭には、陽だまりでだらしなく腹を見せて寝転んでいるのら同然の、褐色の色の悪い犬が住まわっているが、そんな犬のいる民家の前を私などが通り過ぎようとすると、犬は何やらムクっと起き上がり、庭先で宝探しのように雑草の合間に首を突っ込んで飛蝗を探し求めている鶏たちを背に立ちはだかって、私に吠えてみせる。犬は自ら鶏たちの保護者を任じているらしい。私は何だか面映ゆい気がした。思わずバツの悪い時にいつもする習癖が出た。私は両の耳たぶをもじもじと触り出しながら、その場から立ち去った。


 あたりの松並木は、もう様々な、山野によく見かけるような樹の種々に変わり出していた。それらが道の両側から、まるで道行く私に覆いかぶさるように、一ぱいに陽の光を受けながら緑を燃やしていた。その伴奏のように、爽やかな風がその辺り一帯の森のみどりを揺らめかして、私の頭上の梢の上まで達していた。


 私が歩きながら何とはなしにそんな頭上の梢を見上げてみると、きらきらした木漏れ日が、そんな緑の茂みの網目からしきりに落ちてきて、私の顔を覆った。私はそんな緑の中の無数の光が、風と共に、呼吸かなんぞのように膨らんだり縮んだりしているのを、眩しそうに暫く立ち止まったまま、見やっていた。が、しかし又すぐ痺れを切らせたように目をそらせた。


 その日はとうとう教会まで行けずにしまった。子供のように目を輝かせながら、道草ばかり食っていた私は、途中で思いがけず近道らしきものを見つけたりすると、それにも好奇心一ぱいにずんずん足を踏み入れてゆく――そうして逆に迷子になってしまうのだった。


 私は何時間も唐黍畑の多い傾斜地や林の中を彷徨った挙句に、疲れて引き返した。そして宿屋の自分の部屋に戻ると、無造作にベッドに倒れて少し眠った。


 太陽はすでに真上から西に傾きだしていた。……



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