30_窮途末路

「よく眠れたわ」

「私も、ありがとう。アオバちゃん」

 アオバは照れ隠しか、鼻を鳴らして反応する。目を二度三度瞬いてから、欠伸をした。

 すると、毎朝そうするように地に伏したまま上を向いて遠吠えをする。

「耳が痛いわよ。やるなら先に言いなさい」

 クロエが彼の背中を叩いた。チヅルも耳を押さえたままでいる。

 しかし、この中でも一人だけ眠ったままの人物がいた。何もなかったかのようにごく自然に。

「慣れとは怖い…」

 後頭部に髪を掻き上げながらユウが起床する。肩まである髪の毛は後ろで束ねられていた。

「あいつ、これで起きないのかよ」

 ナオトも欠伸をしながら、体を起こす。

 そして、恒例の最終手段が決行された。頭蓋骨の甘噛みである。

「…ZZZ。痛い、痛いって」

 やっと少年が目を覚ます。早朝の微睡に浸る間もない。痛みを人は命の危機と認識するようにできているからだ。


*  *  *


「朝は昨日の残りでいいわよね。アオバ、あなたは…とりあえず果実でも食べておく?」

 クロエは朝食の準備に取り掛かりながら言った。

『そうする。どーせ。この後、狩りに行くんだろ』

 彼女が干した果実をいくつか皿に盛り、それを地に置く。昨日、アオバはかなりの量の肉を食べていたと聞くがそれでも空腹にはなるらしい。彼女の手を離れるとあっという間に食べ上げてしまった。

「そうね。午前中は昨日みたいに依頼を主にやることになるわ」

「けど、そこまで急いで狩らなくていいと思う。昨日はかなりの数を仕留めたはずだ」

「まあ、罠を確認するのもあるし、帰り支度もあるだろ。時間的にも丁度いいと思うぞ」

 ユウの意見にナオトが反応する。朝から建設的に話を進める彼らを横目に、僕は半自動的に匙を口元まで運んでいた。

「ヨスガ、あなた話聞いているの。目が虚になっているわよ」

 クロエの手が近づいてきたかと思うと、突然大きな音が二度響き、全身が硬直する。反射的に目を見開くと焦点が合い、彼女が何をしたかが分かった。僕の目の前で彼女が手で音を鳴らしたのだ。

 僕の浮遊していた意識が体に強制的に引き戻され、今を認識する。

「ま、いいわ。今日は昼まで狩る、それだけよ」

 食事を済ませ、鍋や食器を洗い、台所のラックに立てかける。その後、各自支度をして小屋を出た。



「ぎゃああああああああ!」

 ユウと仕掛けた罠の確認をしていると突然人の絶叫が木霊し、それと同時に木で羽休めをする小鳥が一斉に飛ぶ。残響が森のざわめきに変わる。

 ただ毎ではないことは察知できた。すぐさま能力を解放して五感を拡張する。そして、固有の自然力から仲間と声の主の位置を特定する。そして慄いた。おそらくさっきの叫び声の近くに膨大な自然力の塊とでもいうべきものがある。

「ヨスガ、どうした‼︎」

 近くにいたユウと合流する。かなり急いできたようで腕に擦り傷が見られた。

「分からない。けど、間違いなくまずいのだけは確かだよ。とりあえず、みんなと合流しよう」

「ああ。案内は任せる」

 ユウは不安そうな返事をする。

 能力全体の出力を抑えてから、移動を開始した。先生のように劇的な節約にはならないがマシにはなる。それに僕が先行したところで意味は薄い。異常事態で自分一人だけで行くのは対応の幅を狭まるだけ、それに生存確率も低くなる。

 クロエたちも動き始めたのを感覚的に感じながら、出来うる限りの最短距離を行く。後ろを見ると器用に魔術で足場を作ったり、水流で速度を支配しながらユウも後を追ってきていた。


「あとどのくらいだ」

「この感じだと五分とか…ちょっと待って」

 ユウは僕の静止に素早く反応し足を止めた。すると動物が僕らの横をすり抜けていった。本来、動物がこのような行動をすることは滅多にない。彼らも馬鹿ではない。自ら狩られるようなことはしないだろう。

 おそらく人より恐ろしい何かがこの先にある。きっと本能的に計り知れない脅威を悟ったのだ。

「ここからはゆっくり行こう」

 僕はそう指示を出す。できるだけ物音も立てない方がいいと思ったからだ。するとそこにあった気配が数段大きなものになるのを感じた。

「今のはなんだ。僕でも明らかに危ないのが分かる。ヨスガ、何がある、何が見えているんだ」

「この感じ…多分、魔獣だと思う。けど、あれが持つ然力の量が大き過ぎて一帯の状況が掴めなくなった」

 気配の拡大と共に肥大した自然力が原因で、視覚も然力の察知能力も全く役に立たなくなっていた。目の前に広がる光景が全て白飛びしていて、近くにある木や草がかろうじて輪郭だけ視認できる状態だ。前に戦ったことのある狼のそれとは別次元の強さ。

 僕は能力を切って通常状態に戻る。五感の使い分けができれば、視覚のみを切ることもできるはずだ。しかし、ゼロか百かでしか今はコントロールできない。能力の発芽が早ければ…と悔いても仕方のないことが胸の内に込み上げる。

「能力なしでナオトたちの位置はわかるのか」

「あっちも直線的に移動していたから真っ直ぐ行けば、その内会えると思う」

「そうか」

 僕らはそれからも必要以上の会話をしなかった。いや、出来なかったと言った方が正しい。森を包む緊迫した雰囲気で張り詰めていた。

 僕らは沈黙したまま、歩いた。すると横倒しになった木々が目に入る。そして、更地になった一帯の中心に元凶であるものの姿も見えた。


 ……大蛇だ。


 体高だけで二メートルはある。全体の長さは及びもつかない。まだ距離は遠いがありありとその巨体が分かる。

「これは緊急依頼になる。仲間と合流したら逃げる。いいな、ヨスガ」

「分かってる」

 僕は茂みに身を潜めて最小限の声で応答する。幸い、蛇は聴覚が優れていない。心配するなら体温と嗅覚だ。…とそこまで考えたとき、ずぶ濡れになった。ユウの方を見ると彼もそうなっていた。水魔術で水球を生成した後、それを頭から被ったのだ。確かにこれで体温は僅かながら下がり、嗅覚でも捉えにくくなるだろう。

「ありがとう、ユウ」

「気にするな」

 ユウは大蛇を見ながら、言葉を返す。彼の言葉遣いは固いがそれと裏腹に気配りができる。観察眼が鋭いのだろう。それ故に状況判断と実行も早かった。

『おい、ヨスガ』

 頭の中に蒼葉の声が響く。

『届くってことは近くにいるんだな』

 僕は軽く返事をしながら、ポケットにある懐中時計を取り出す。それを水平に持って、短針を太陽の方へ向けて方位を割り出す。

『僕らは東にいる。合流はできそう?』

『……今、クロエに聞く。……今からそっちに合流しに行くって話になった』

 おそらく、確認をとっているのだろう。返答までに僅かな間があった。

「了解。ユウ、クロエたちがこっちに来る。」

「分かった」

 彼は仲間と合流できることに安堵したようで胸を撫で下ろした。

「僕らはこのまま、警戒を続けよう…ん?」

 即席の水のレンズを生成して目の前に親指と人差し指で丸を作り、蛇の動向を見ていたユウが何かに気づいた。


「人…人だ。二人いる」

 彼は目を丸くした。そういえば、初めに聞こえたのは絶叫だった。まさかすでに被害者が…。

「レンズの精度も高くないから断言はできないが、一人はおそらく負傷している。…ヨスガ、助けようとか考えてないな。飛び込めばお前もやられる」

 彼はそう言い切った。僕もその計算ができないほど頭が悪いわけではない。しかし、今はまだ生きているがもし死んでしまったら…と考えると後味が悪いのは確かだった。

 息を潜めてどのくらい経っただろうか。時間感覚なんてものはすでに消し飛んでしまっている。心拍も高くなっていた。

『ヨスガ、きたぞ』

 あたりを見回すとクロエたちの姿が見える。無事に合流できたことに深く息をついた。

「状況は」

「怪我人がいる、襲われたかどうかまでは分からない」

「とりあえず、町まで引きましょう。この事も同職組合ギルドに報告しなくてはならないわ」

 その声とほぼ同時に木々が壊れる大きな破砕音が耳に届いた。

 すると偵察を行なっていたユウが血相を変えて、急足でこちらにやってくる。

 「まずい、まずい、まずい。逃げてる二人組を追ってあれが向かってきてる、速度も早い。四、五分後に会敵する!」

 衝撃の知らせだった。この瞬間、僕らは「逃げる」という最善手を切れなくなった。

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