21_腕試し

 僕にしては珍しく、この日は朝早くに自然と目が覚めた。まだ蒼葉は寝ているようで邪魔をしないように寝床を後にする。

 いつもは夜に鍛錬をしているがたまには朝やってもいいだろうと思い立ったのだ。

「今日は早いな」

 共有空間で教科書を開いて見入っているユウの姿が目に映る。横にはいくつかの本が重ねられている。

「おはよう、ユウ。ちょっと修練場まで」

 僕は声の大きさに気を配りながら彼に行き先を告げ、木剣を持って寮を出る。僕は泉の近くまでやってきた。ここは寮からかなり距離がある。寮の近くに修練場があるのだが、そこでは長物を振り回すことが憚られる。


 魔術士における近接戦闘とは魔術の行使が間に合わない間合いになって初めて使うものだ。短剣を使って敵との距離を遠ざけるもしくは魔術を発動させる時間を稼ぐことが目的になる。必然的に短剣の扱い、組み手の鍛錬をする人が多い。長剣を使う身としては何処となく疎外感があるのだ。

 一応、この泉の辺りに簡易的な修練場が作られているので僕はそれを使用していた。


 顔を洗ってから眠気の残滓を断ち切る。

 半身になって重心を下ろし後ろ足に据え、右手に握る木剣の切っ先を下に向けた形をとる。次に姿勢の振れに意識を向けて徐々に不要な力を抜いていく。

「…!今」

 体の感覚が研がれ鋭敏になり、大気に自らが混じることを感じながら剣を振り抜く。すぐに剣を引き戻し中段に構え、間髪入れずに大きく踏み込み袈裟斬り。再び中段に構え…。

 十五の動作を終え、上体を正し重みのままに剣を下ろす。一息ついて納刀し抜刀術の構えに移行しようとした時だった。


「おっ、珍しい。人がいる、ってヨスガじゃん」

 寮の方から突然、張りのある声が聞こえた。その方を見ると見知った顔が目に入る。ナオトがことらに手を振りながら、こちらに走ってきていた。


 彼の背中には僕の身の丈ほどある得物が背負われている。大きなものを担いで走ってきたのに全く息が上がっていない。それは日頃からかなり鍛えていることを感じさせる。

「いやあ、入学してから今までここ使ってるやついないと思っていたんだが、ヨスガ使ってたのか」

「僕はいつも夜にするから会わないのかも」

「ヨスガ、朝弱いもんな〜。いつもアオバの第一声は『あいつ今日も寝坊しやがった』だからな」

 相変わらず僕は蒼葉に起こしてもらっている。入学式から数えても噛まれること二回、遠吠えを耳元でもらうこと一回だ。幸いなのか、ユウが日が昇る頃には起きる超朝型で僕が起こされる時には食堂に行っているため毎朝の騒動は容認してくれている。

「今日はたまたま起きたってことか」

「まあ、そんなところ。それじゃ、僕は帰るから」

 型の連結こそ止めてしまったが、日々やっている鍛錬は概ね終えていた。


「ちょっと待て。せっかくだから、一戦やらないか」


 思っても見ない提案だった。魔術士で近接が主な人はなかなかいない。それにナオト自身の持つ技量も気になった。あんなに大きな得物をどう扱うのかに興味が沸いたのだ。

 それにクロエのいう、引く手数多の真意も気になった。

「わかったよ。やろう」

 地面に尻をつけた方が負け、のルールで僕らは仕合をすることになった。


 ある程度の距離をとり僕は重心を後ろ足に据え切先が下を向けた状態、ナオトは下段で構える。双方が目を据え、時を待つ。

 ナオトの左足がジリリとわずかに音を立てた。

 それを合図に僕は大きく踏み込み、飛び出す。ナオトの下段は防御に近い構え、得意なのはカウンターのはず。なら、防御が間に合わないくらいに早く打てばいい。

 僕は間合いをつめてナオトの腹を木剣で捉える。

 …入った!

 最小限の動きでの横一文字。ナオトの剣はまだ上がりきっておらず僕は勝ちを確信した。


 ゴンッ!


 しかし僕の腕に伝わったのは生物特有の柔らかさではなく、木剣による硬い振動だった。ナオトと僕は拮抗していた。彼が人間の領域を越えた速度で動いたのは明らかだった。

「やるじゃねえかよ。これ使わなきゃやられてたぞ」

 拮抗状態になってしまうと大剣を有するナオトに軍配が上がる。仕切り直すしかない。そこまで考えた僕は木剣を押し込んで、返ってくる反動に合わせて後方に飛んだ。


 …おそらく「火」初球魔術〈身体能力強化〉だろう。初級魔術ではあるが調整を間違えれば自身の体を消し炭にしかねない危険なものだ。それをただの仕合に…それにあの数瞬の間で発動できる練度、近接兵の中では逸材に違いない。

 ただ相手がそれを使うなら僕だって人の枠に囚われる必要はない。

「おい、おい。間をとりゃ、まだなんとかなるってか」

 ナオトは僕が地に足をつけるその時に合わせて間合いを詰め、その大剣で縦に振り抜く。目で追うこともままならず木剣の腹に左手を添えて勘に従ってそれを受けた。


 …ああ、クソ。体が力みっぱなしでスイッチが入らない。ほんの少し態勢が立て直せれば。


たられば、を並べる間も少しずつ、少しずつ剣は押し込まれる。

 僕は賭けに出た。剣の角度を変えてその腹で大剣を滑らせ、勢いのままに横に弾かれる。ナオトは大剣に込めていた力のままにそれを地に叩きつける。僅かな間が生まれた瞬間、左肩を迫り出すようにして僕の『スイッチ』を起動する。その動作に連動して体に自然力が満ちるのを感じた。

 ナオトがこちらに突っ込んでくるのが目に入る。先ほどと違ってくっきりと鮮明に映った。


 …いくら能力の解放をして身体能力を底上げしたとしても長剣では先のように押し切られる可能性が高い。


 僕は木剣の柄を左手で強く握り、脇構えをとる。そして剣を切り上げた。彼の袈裟斬りと僕の剣が衝突する。双方の木剣はぎりぎりと嫌な音を立て、僕の手にも気を抜けは剣を離してしまうほどの衝撃が襲った。


 …魔術士に負けて、そんなことが風潮された日には僕の面子が立たない。数少ない『近接兵』としての僕を瓦解させるわけにはいかない。


 切迫した状況で思考が頭から漏れ出てくる。つまらないプライドだった。それでもそれがなくなれば僕は欠点を補えなくなる。魔術が使えないという致命的な欠陥を。

「お…おおっ!」

雄叫びと共にナオトを包む熱が一層高くなり、剣に込められる力が増す。

「っっぐああっ!」

 僕は押されまいと体に満ちる力を全身を捩り捻りながら腕に伝える。僕らの体から出る湯気で視界が白く染まった。

 すると急に手元が軽くなり、前方に放り出された。受け身を取れず、背中に鈍い衝撃が走る。次がくると思い、僕は立ち上がり瞬時に構えを作る。

 しかし、次は来なかった。手元を見れば明らかだった。僕の木剣は接触したところを中心にして折れていた。


「ギブギブ」

 ナオトは木剣から手を離して両手を上にして敵意がないことを示す。彼の木剣は全体が黒く炭化し、一部焦げ落ちていた。

 そして、なんとか面子を保つことができたことに安堵する。

「にしても驚いたなあ。まさかお前、能力者だったなんてな。ずるいだろ」

 片目を閉じて冗談めいた感じでナオトが言う。能力解放時は見た目が変わる。それで察したのだろう。黒い髪は白色になり、目は黄色に近いそれになっていることだろう。能力者は自身の自然力をコントロールすることができる。今回はそれの一つ、「身体能力の強化」を行ったのだった。


「最初にズルをしたのは君じゃないか。僕の初撃が避けられないと見たらすぐに魔術使っただろ。僕は朝、軽く体を動かすだけのつもりだったんだけど」

 少し攻撃的になってしまった。ズルとはいうがそもそも彼が魔術を使わなければ僕が能力解放を行う必要はなかったのだ。朝の運動にしてはかなり体に応える。

「まあ、いいわ。七割以上出力している能力者相手にここまでやれる俺もなかなかだろ。なあ、ペトラ。っって、今は出てこれねぇか」

 ナオトは分が悪くなると話をすり替えてきた。視線をこちらから外すあたり反省はしているみたいだ。


「師匠以外と、能力者以外と仕合をしたことがないんだ。だからよく分からない」

 村にいたときは近接戦闘をこなせるような器用な魔術士は師匠以外いなかった。それに村で起こった一つの事件のせいで村人から白い目で見られるようになり、同年代とも十歳前後から関わりが途絶えている。村で話せるのは鍛冶屋の気難しい爺さんと久遠さん、蒼葉くらいのものだった。


「ああ、疲れた。帰るか」

 ナオトは疲労が幾分か回復したようで半ば炭化した木剣を持ち上げて背負おった。今更ながら能力を発動したままだったことに気づき、左肩を後ろに回すようにして『スイッチ』を切る。

「なあ、ヨスガ。お前、まだ『スイッチ』やってるんだな」

 動作を見たナオトが僕に言葉を投げる。

「そうだね。ほら僕、魔術が使えない…正確には妖精が宿ってないんだけど、さ。そのせいで『能力者』であることの発覚が遅れたんだよ」

 『スイッチ』は能力者に限らず、魔術の初歩としても有名な技術だ。身体的な感覚と結びつけることでより動作をやりやすくする狙いがある。

 慣れてくるとスイッチを使わず呼吸だけ、最後は意思のみと発展していく。僕くらいの年齢なら本来、意思水準で魔術なり能力なりを使えるが普通だ。スイッチは発動を助長してくれるが動作を挟むというのは隙にもなってしまう。


「そっか、それならそうだよな。でも、なんで突然分かったんだ」

「…たまたま師匠が僕の身体能力が他の子より高いことに気づいてくれて。魔術がどう見えているかっていう話になって、それでだよ」

 嘘はついていないが、包み隠さず話しているわけでもない。即席にしてはうまく繋ぐことができたはずだ。しかし、同時に小さな罪の意識が芽生え、心臓のあたりが僅かに痛んだ。

「で、具体的にいつ分かった」

「小五の秋頃。相当遅れてると思う。だから練度だって他の人よりまだまだだよ」

「はあ〜ん」

 前からテキトーな返事が返ってくる。人の話を聞くばかりだと飽きてしまうのだろうか。それとも聞くことがなくなっただけか。内心不安になる僕がいた。


「そういえば、今日はペトラ見ないね」

 僕ははぐらかすように話題を移す。

「さっき魔術使ったろ。あれ、色々微調整が大変らしくてな。多分、疲れてんだろ。なっ!」

『ほんと戦場でもないんだからさ〜。あれ使うのやめてほしいよね〜』

 「なっ!」が呼出だったのか、ポンと虚空に現れたペトラはゆらゆらと揺れながらナオトの肩に着地して、寝転がる。

『こっちも必死なんだよ〜。まったく〜』


 寮でナオトと別れ部屋に戻る頃には始業一時間前になっていた。

 急いで食堂に行って朝食を掻き込んで、服を着替える。午前の時間割を見ると「戦闘訓練」と書かれていた。

 午後は座学、準備は…後でいい。どうせ昼に食堂に行くときに戻ってくればなんとかなるはずだ。

 僕は部屋にある替えの木剣を持って足早に寮を出た。

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