11_星銀
「…っっ」
どれくらい経ったのだろうか。極度の疲労から生じる睡魔と同等の何かで頭が酩酊する。
「起きた?」
頭上から響く春菜の声で意識が覚醒する。条件反射で上体を起こすと今度は酷い頭痛と全身からの痛みに見舞われた。
「だめだよ。あんまり動いちゃ。出血こそないけど、いろんなところ打ったみたいだから」
その言葉を聞きながら、再度上体を寝かせてからゆっくりと起き上がる。
目を開くとあまりの光景に何度か目を擦る。しかし、そこには先ほどまで木々が生い茂っていた森はなく、炭化した黒と真っ赤な炎だけが存在を許されているかのように思わせる。
「やっくん、体に鞭打つようで悪いけど、今から移動するよ…。じゃないと炎に取り込まれちゃうから」
ほっとしたのか柔らかい調子で春菜が言った。陸と春菜は幸いにも近くに段差があったために直撃は避けられたらしい。俺は陸の姿がないことに今更ながら気づき春菜に問いかける。
「陸は何処だ」
「集落の方に行った。弥彦を見つけた後の処置は私に任せて、ね」
そうだ。流火は少なくともここ以外で三つはあったはずだ。他の爆心地もこんな様子なら…。仮に、もしも集落に直撃していたら。脳内に可能性が次々と浮上する。
「春菜、俺は大丈夫だから。集落の方に行ってくれ」
「そんな状態でおいていけるわけないでしょ!」
春菜はすごい剣幕で叱責しながら俺の手を握る。俺だって逆の立場だったらそう考えるはずだ。けど、今は…。
「今は、俺一人の命より他の大勢を優先しなくちゃダメだ。多分、集落の方でも怪我人が…かなり出ているはずで…。動けるなら、行ってくれ」
——出ないと、助けられる人まで死ぬことになる。
しかし、そこまで口にすることはできなかった。口の感覚が失われ、呂律がだんだん回らなくなってきている。
「は…ぁく、ぃぇ」
早く行け、と紡いだつもりがもうよくわからない言葉となって空を切る。
…俺のために誰かが死ぬことはあってはならない。既に一度助けられているのだから。
* * *
「わかった。動けるようになったら、北西に向かって。緊急時はそこが合流地点みたい」
私はそれだけ言うと彼に背を向けて駆け出した。彼はこのまま死ぬかもしれない。けれど、彼の目は「頼むから、一人でも多くの人を助けてくれ」と訴えているように見えた。
言葉は微かだった。しかし、その眼からは確かな意志が感じられた。これ以上、私が動かないでいると彼も死ぬし、集落の人の大部分が死んでしまうかもしれない。
その最悪は彼の望むところではないはずだ。
自身に言い聞かせるように胸中で言葉を響かせながら、私は走り続けた。
* * *
「私たちもここまでね」
森の奥地、人も獣も寄り付けないほど深く暗い森の中。
チェスほどの大きさをし、背中に三対の翅を持つ小人がそう零す。
「そうね。私たちは自然の誕生と同時に生まれ、自然の崩壊とともに死滅する存在だから、ね」
突如として表れたもう一人の二対の
「仕方ないわね」
「仕方ない」
「自然とともにある我らの運命だ」
無数の小人たちが呼応するように溢す。
突然、一人の小人の声が空間に響いた。
「なんでみんな簡単に受け入れるんだ。僕はまだ死にたくない。死ぬのが怖くないのかよ!」
小人の少年はそう言うと一人、火の気がない方角に飛んで行く。
「タクト!」
友達の声を彼は無視した。
程なくして、仲間の阿鼻叫喚が頭に響く。ぼくはやっぱり死ぬのはいやだ、とそう思った。
火はしばらくして森一帯に広がっていた。僕はなおも火から逃れるために飛び続けた。
「はぁ、はぁ」
体の中の自然力がどんどん減っていくのがわかる。森が燃えたからだ。契約者の木の命も尽きたのだろう。体に力が入らない。次第に僕は飛ぶことができなくなった。それでも…生き抜くために火の気のない方に腕で這って進んだ。
「なんだ、これ」
意識を失う直前そんな声が聞こえた気がした。
* * *
俺は春菜が走り出す音を聞くと安心からか、先ほどにも増して体が重くなり、意識が遠のきそうになる。最近は気を失うことが多かったからか、なんとなくわかるのだ。
しかし、ここで眠るわけにはいかない。春菜に多くの人助けろとは言ったが、それを遺言にするつもりは毛頭ない。歩かなければ。
目標地点までの距離は不明だが、方角はわかる。どうせ動かなければ火に呑まれて終わりだ。不確実性が高くても指針が全くないより今の状況はマシだ。
俺は下半身に力を込められるかと確認してから左手を支えにして足、ふくらはぎ、太腿、臀部へと順にそうして立つ。全身に痛みが走るがゆっくりなら、歩けそうだ。
北極星は…あった。なら、北西はこの方向だ。
歩き始めてしばらく経っただろうか。全身の痛みは酷く、景色の色彩も白と黒の傾いていて時間感覚が消失しているみたいだ。瞬間、足元が
「…っっ。…ってぇ」
上体をわずかに捻り、足元を確認する。右足の先に木の根が張っていた。見上げると幹のほとんどが焼失している。体から痛みが引いてきたのと同時に左手にある柔らかな感覚に気づいた。それをぎゅっと握って手を眼前に持ってくる。
「なんだ、これ」
手に握ったそれを見ようとするが、うまくピントが合わない。体の限界が近いのだろうか。
ネズミか。仮にそうだとしたら、食料になるかもしれない。味はなんとも言えないがないよりはまだ良いはずだ。そこまで考えてからウエストバッグにそれをねじ込み、立ち上がる。
しかし、足から力が抜けてしまい、俺は膝から崩れ落ちた。感覚は確かにあるのだがいくら脳から信号を発しても動く様子がない。
とりあえず、前に進まないと。
気持ちだけが先行する。次第に上体の筋肉からも力が抜け、体を支えられずに重力に従うまま頭が地をつく。同時に体の感覚が徐々に鈍くなっていくのを、命が消える間際にいることを知覚する。
ああ、これが「死」か。
刹那、頭が浮遊感に包まれ、今までにない心地良さ、幸福感が体を包み込む。先ほどまでの激痛に取って代わるように眠気が脳内で充満する。まるで天国を知覚したようなそんな感覚だ。安楽なそれに全てをそれに委ねようとした時だった。
『僕はまだ死にたくない』
聞いたこともない澄んだ声が脳を貫く。死を目の前にして幻聴でも聞こえてきたのだろうか。
『君はどうだ。人任せ、それで終わりにするのか』
それを聞いた俺は解けゆく意識の中で思考する。
そういえば春菜には「人を助けろ」とそう言った。人手は一つでも多い方がいいとも。なら、生き残る義務が俺にもあるのではないか。
それに「今度狩りに着いていく」と陸と春菜と約束した。そう、約束したのだ。あの兄妹のことだから約束を破るのは言語道断だろう。
微睡の中、俺は一つの結論に至った。
——まだ死ねない。未練がある。死にたくない。
『なら、僕の全てを捧げよう』
『僕を拾った君は運がいい』、消えゆく声と共に見たこともない記憶が頭に流れ込んでくる。話しかけてきた彼はタクト。彼は妖精で、生に執着してここまで来たこと。
彼は妖精と自然が一体であるという定説を鵜呑みにせず、自然と寄り添う生き方を模索していたこと。
そして、それが広まることを願ったこと。
タクトの全てと俺の、武田弥彦の全てが交錯し一つとなる。融合が完了したのと同時にタクトからのギフトを使用する。
「水」最上級魔術〈気候変化(雨)〉
俺の中から「何か」が溢れ出し、それを中心に急速に雨雲が形成されていく。やがて、全てを浄化する白銀の雨が地上に降り注ぐ。雨が降っても消えなかった流火はみるみるうちに消失し、あたりに色が戻る。
俺は陸と春菜、集落の人たちの生存を目視してから、突き動かされるようにこの世界を巡る旅に出た。
「や ——
いつの間にか生えていた翅を震わせ、飛び去るとき誰かがこちらを向き、声を発したように感じた。
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