06_電撃婚約

 春菜が見やる先に俺も目を向ける。夕日が逆光になっていて人型のシルエットのみが視界に映し出される。

「り−」

「今日はご馳走だぜ。おう、生きてやがったのか。運の良い奴らめ」

 俺が開口しようとしたとき人影が木から飛び降りて、こちらに声をかけてくる。

 …この感じ間違いない。

「って弥彦に春菜じゃねえか!えっ、ヤバッ!」

 あの火事から約一ヶ月と二十日、俺たちは再会を果たした。金色に染まる空が俺たちの逢着を祝福してくれているように感じた。



「おーい。珍しい客が来たぞー」

 その場で近くに集落を成して生活をしているらしく陸が「歓迎するぜ」といい、案内をしてくれた。陸は集落の前まで来ると門兵に開門を要求する。後ろに続く俺たちを見て目を丸くさせてからリーダーと少々の会話をした後、門内に入ることができた。


「すごい」


 俺の横から驚嘆を含ませた吐息が零れる。目の前に拡がる光景に俺も唖然とする。木組で作られた家々に、外と内を区切る高い石壁に、何よりそこで生活する人々が幸せそうにしていることに。それはまるで文明崩壊以前のようだった。

 とりあえずと案内された家に着き、「ゆっくりしててくれ」と陸はそこから出ていこうとする。

「なぁ、陸」

 俺の横を通り過ぎようとした時に呼び止めた。

「これ、どうやったんだ?」

 陸はため息を吐きながら振り返る。

「それは自分で聞けよ。頭領が首を長くして待ってるぜ。俺は熊、持ってくるの、手伝ってくるからな。ここをまっすぐ行ったところに少し大きな家がある。その中を覗いてみるんだな」

 そうセリフを残して行ってしまった。


 荷解きを終えた俺は特にやることもないので陸に言われたように集落の中を歩き、目的地に到着する。

「ごめんください」

 ドアの取手に手をかけて開けようとした瞬間、中から勢い良く木製の扉がこちら側に開き、俺は頭を打った拍子に尻餅をついた。

「痛ってぇ…」

 頭を抱える俺に中から出てきた人物はきつく抱きしめてくる。

「よかったよ。お前が生きていてくれて」

 一層に抱擁を強くした。

「と、父さん」

 父さんは簡単には死なないだろうとは思っていたけど、ここで会えるなんて。目元がじりりと熱くなるのを感じる。

「どうだったここまでの旅は」

 膝をがくりと折った状態のままの俺を長い抱擁から解放してそう聞いた。瞬間、一ヶ月と二十日の逃避行が頭を駆け抜ける。

「まぁ、そこそこ大変だったよ。でも、それはそっちも同じでしょ」

「…そう…だな」

 言葉を投げかけられるとは思いもしなかったのか、少々の驚いた顔をする。

「そこそこか…」

「そりゃ、都市の崩壊からは似たような暮らしだしね。火事のあるなしくらいだよ」

 正直、尋常ではないほど気持ちが沈んでいて春菜が溌剌はつらつとしていなかったら、それを発端にして重大なミスをしてしまう可能性もあった。父さんに「俺は大丈夫だ」と主張しようとして少しばかり言葉を盛ってしまう。

「そうかぁ、ならよかった」

 幸い、それを気取られることなく終わった。時間も十分にあったので父さんと久しぶりに親子の会話というものをした。



「やっくん!すごいよ、ここ。お風呂あったよ!其れでね、この後沸かすんだってー」

 突然、ドアが開いて声の主が入ってくる。椅子に座って話し込んでいた俺たちはドアの方に目を向ける。どうやら春菜はこの集落を見て回ってきたらしく上がった気持ちが収まりきらないのが見て取れた。

「もう、そんな時間か。俺たちのことはまた後で人を集めてから話す。特にあの火の異常性と『影ビト』についてな。俺も村を見て回らないといけないからな」

 一通り話し終えた後に父さんは不穏な言葉を付け加え、席を立って家から出て行こうとしたその時。

「ところでその子。弥彦の嫁か?」と、とんでもない爆弾発言を残していってしまった。

「違うよ!」

 ドアが閉まるギリギリでそう叫び返したが、聞こえたかはわからない。

どうして大人は身内に対してプライバシーが緩くなるのかと頭を抱える。穴があったら入りたい。

「あんまり気にしないでくれ。昔から女の子と一緒にいると言われるんだ」

「…悪くないかもしれない」

 視線を下げて思考に耽っていた春菜が顔を上げて呟いた。

「ありだよっ。ありっ」

 ビシリとこちらに指を差しながら音量を上げて声高になる。

「私、今日からお嫁さんになります」

 一方的に言われても、俺の気持ちは…と思うが、言い始めると聞かないのは重々わかっている。食い下がったら最後、彼女が納得するまで付き纏われてしまう。

 しかし、今回ばかりは俺の進退がかかっている。「はい、そうですか」といつものようにあしらうことは憚られた。

「困る。俺だって好きな子の一人くらいー」

「いないでしょ。女の子はわかるんですー」

「い、いや。俺、一人好きだし」

「動けなかった時にお世話してたの誰だっけ。ねぇ、ねぇ」

 俺は苦悶する。いつもは能天気の癖にして、こういう時だけやけに頭の回転が速くなる春菜に決死の抵抗も毎度の如く封殺されていく。かくなる上は…と扉に向かって走り出す。逃げてしまえば俺の勝ちだ。

 彼女のことだから、明日にもなれば忘れているはずだ。

 しかし、これが最大の愚策だったことに気づくのは全てが片付いた後のことだった。

「あっ。ちょっー」

 春菜の静止を振り切り、家の扉を開け放して俺は外に飛び出した。瞬間、周囲を確認し隠れられそうな場所を探す。


 …あっちなら人が多い。


 南西方向に人だかりを見つけた俺はそちらに走り出す。木を隠すなら森の中。自らを隠すなら集団に紛れればいい。春菜の目から死角になりそうな場所を経由しながら目的地に急ぐ。

「やあーひいーこおー」

 背中で大きな呼び声を受けながらも懸命に足を動かす。後ろを向いて彼女の所在を確認する余裕もない。しかし、それが仇となった。

「あっ。いた!」

 偶然にも近くを通りかかった春菜に見つかってしまったのだ。それからは隠れることすら叶わなかった。

 いくらここ何ヶ月で体力を上げた俺でも、春菜の走力と互角。

 …振り切れない。

 集落で突然、始まった追いかけっこに周囲から視線を注がれ始める。集落に暮らす民は協力的で通路の端に身を寄せる。「お兄ちゃん頑張れー!」なんて子供の声も聞こえる。娯楽が少ないのは考え物である。

 そんなことしなくていい!さっさと止めてくれ!

 内心で叫びながら、尚も走り続ける。すると視界に見知った人物が入った。

 もしかしたら、止めてくれるかもしれない。春菜への影響力も絶大であるはずだ。

「りくっ!俺を逃してくれ!」

「お兄ちゃん、やっくんを捕まえて!」

 二人の指示が同時に発せられる。陸は少しばかり考える素振りを見せた。次の瞬間、ニマリと口角を上げ背中の矢筒に手を伸ばす。

 瞬く間もないような早技で俺の足元に矢を放った。計算されて射出された矢は足を射抜くことはなかったが、驚いた俺は足をもつれさせてしまい盛大に転ぶ。そのまま追いついた春菜に捕まってしまった。

「はぁ…はぁ…。やっくん、私まだ返事聞いてないよ」

 息を途切れさせながら真剣な表情が目に入る。

「春菜は…俺のことがその…好きなのか」


「うん。ずっと前から」


 俺が恥じらいと共に絞り出した言葉に即答される。まだ息は上がったままだが目は決意に満ちているように見えた。嫌な沈黙が俺たちを包み込む。どれだけ見つめあっていただろうか。春菜は顔を赤面させながらも俺から目を離そうとしなかった。きっと俺の顔も似たようなものになっているだろう。

 思ってみれば、都市崩壊から今に至るまでほとんど俺は春菜と行動を共にしていた。何かにつけてお節介を焼かれることも多かった。俺はそれを許容していた。甘えていたのかもしれない。ともかく春菜が近くにいて悪い気がしなかったのは事実だった。

「ああ、もう!わかった」

 痺れを切らした俺はそう言って視線を外す。

「春菜……俺と一緒にいてくれるか」

 それが今できる精一杯の表現だった。

「うん」

 それをきっかけに静観していた人々が拍手をしたり、はやし立てたり、指笛を吹いたりし始める。

 そう、集落を駆け回ったせいで多くの人から注目を浴びていたのだ。全てがひと段落した時に今までにないほどの羞恥心が内から溢れ出る。

 その後のことはよく覚えていない。



 気がつくと次の日の朝になっていた。

 後になって陸に「なんで俺を捕まえることにしたのか。」と聞いたら、「そのほうが面白そうだったから」と言われた。尺度が面白さの陸らしいと思ったが、大衆の面前で告白する要因になったことは今でも許していない。

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