04_たった一人の偶像
「ねぇ、起きて。弥彦、起きて!」
大きな声と振動で俺を夢の世界から帰還する。
「…まだ朝じゃないだろ。もう少し寝させてくれ」
寝ぼけたまま、また眠りに戻ろうとする俺に嗅覚が異常を知らせた。
臭い。
これは…焦げている。何が。
そこまでして急激に思考が加速する。すぐさま上半身を起こした。
「やっと起きた」
「どうなってる!」
俺は声を昂らせ状況を整理しようをする。しかし…
「なんでもいいから行くよ。弥彦!」
俺は少女に引っ張られてテントから出た。
「走るよ!」
声に従い、走り始める俺の耳にガサガサと何かが崩れるような音が聞こえた。
「だめっ。振り返っちゃ!」
少女と俺は煙で視界が濁る中懸命に走り、まだ火の気の到達していないところまで行き着く。
「はぁ…はぁ…。何が起こってる…」
少女のペースで走ったためか、逃げ延びた安心感が俺をそうさせるのか…は分からないが、体が重力への抵抗力を失ったかのように重たくなる。気づくと膝を折っていた。
「今何人いる」
「わからない。みんな散り散りになった」
「ああ…クソッ。今日はめでたい日だってのに」
俺は周囲の声を聞き流しながら、状況の把握に努めた。
なんでこれだけ人がいて誰も火事に気が付かなかった。俺は赤く燃え上がる西の空を見ながら思考する。ベースだって常に危険に晒されている危険性はある。今日も夜番を立てていたはずだ。何が原因だ。こんな大規模な火事だったら、誰も気づかないのは不自然だ。
そもそもこれは人災か。自然災害の可能性もある。予見は…なかったはずだ。あの方向は採集するときによく行くルートだ。見逃すはずがない。何が原因なんだ…
「弥彦、やーーひーーこーー」
耳元で響く大きな声に思考の海から強制的に引き戻される。そして、声の主の方を見た。
「なんだ…春菜か」
俺はほっとした。非常事態の時に見知っている人が近くにいたからだろうか。
「ここまで引っ張ってきてあげたのに『なんだ…』はないでしょ」
「…ありがとう?」
「なんで疑問形なの」
俺は緊急時にも関わらずなぜか普段通りに話していた。不思議なものだ。頭の中の焦燥感があっという間に消し飛び、一度深呼吸をしてから現状の把握に目を向ける。
ほとんどの人は大きな荷物を持っていないことが見て取れる。ということは突発的に起こった可能性が高い。少し先に根を張る木に熾火のような赤いヒビがはいっているのが観察できた。…ここらも長く持たないだろう。さらに、火の気がそろそろ俺たちを回り込みそうだ。進むべき道は…。
「みんなぁ、南西方向に走るぞぉ」
俺の思考が帰結するのと同じくして聞き慣れた母音が強調された声が響き渡る。…広瀬さんもこっちにいるみたいだ。
「まだ火がこっちに来るまで時間があるぅ。二列をすぐ作れぇ」
混乱した人達がザワザワとしていて通るべき指示が通らない。
「とっと、並ばんかい!」
すると俺の耳に聞き慣れない胴間声が後方から飛んできた。どうやら状況を理解して行動に起こせる人物が広瀬さん以外にもいるらしい。
しばらくして混乱が落ち着き、即席の隊列が組まれる。時間の猶予は火が回るまでごくわずか。一度の判断の誤りすら許されない状況下、指揮を取る二人のリーダーは的確な判断を出し続けた。火を逃れられるわずかな可能性を手繰り寄せ続け、彼らのおかげであたり一帯に火の回ってないところまで脱することに成功する。
「…やっくん、大丈夫」
「なん…とか」
瞬間、先ほどと比にならないほど体が重くなるのを感じる。今日で二度目だ。人間やればできるものらしい。確かにこんなことが続いていたら体力が飛躍的に上昇するはずだ。
「ちょっと集まってくれぇ」
広瀬さん達が今後の方針を避難民に伝えた。まず、交代でまだ消える様子のない炎を観察しつつ、軽い睡眠を取る。火が迫ってきたら、火の気のない方に逃げる。それを繰り返しながら雨を待つとのことだった。
食料の確保は朝になってから火の観察→睡眠のサイクルの中に入れるようでその際、採集部隊が中心になって班を形成することになった。
「ここにいない人が気になるものもいるだろう。だが、まずは自分たちのことを考えてくれ。でないと助けを求められた時に助けることが難しくなる。まずは自分たちのことだ。…行動開始!」
先程の胴間声の当人からの言葉で締められる形で指針の伝達を終えた。
「よく眠れたか」
「まあ、そこそこですね」
「火はじわじわとこちらにきてるみたいだな」
「あと二週間くらいしたら、ここらも飲み込まれるみたいですよ」
「勘弁してほしいな。ったく」
早朝特有の鈍化している頭で投げかけられる言葉に半自動的に応じる。
もともと採集班に配属されていた人および、今回の臨時採集班に参加することになった人々は昨日、優先的に仮眠を取ることができた。
俺たちが寝に入ったあと−木の窪みに体を埋める形だったため、熟睡には至らなかった−夜のうちに木の高いところから数時間ごとに確認して山火事の進行速度を推測したらしい。
ただ、あくまで何もないときの予想で風に煽られる、可燃物に引火するなどのなんらかの要因で加速度的に大きくなるとどうしようもない。そこは賭けになる、と早朝に伝達が行われた。
備蓄も何もない今の俺たちが生き延びるためには今日の採集が一つのキーポイントになるはずだ。おそらく、それを見越してのこの人数だ。逃げ延びた五十三人のうち二十八人が今回、駆り出されている。最低全員分の食料、できれば備蓄が欲しい。残りは簡易拠点の設営が主な仕事になる。
「やっくん。おおーい」
視界が肌色の残像でチカチカとする。声の主人は俺がこの動作に反応するまでやめないであろうことをここ二ヶ月で俺はよく知っている。
「朝から忙しいな」
「やっくんはこーみたいな大きい動きじゃないと気づかないでしょ?」
手の主に視線を送ると両手を頭上から肩までの間をブンブンと振る様子が見て取れた。いつもなら呆れ笑いの一つもするのだが、多少の睡眠不足と昨日から続く山火事のこともあって反応がおざなりになってしまう。それに気づいた春菜は他の人のところにそそくさと行って、話に花を咲かせていた。
それから班の人たちを一巡してから再び俺のところに戻ってきて「今日はみんなつまらない」と不平を漏らした。彼女のいつも通りの能天気は昨日のことを気にしていないからか、それとも気丈に振る舞っているだけなのか、俺にはわからなかった。ただ、感覚的な違和感を俺は感じてしまった。
作業は日が暮れるまで黙々と進んだ。誰だってこんな現状からは目を逸らしたくなる。採集の帰路も空気は重たく皆、硬く口を閉ざしていた。収穫の方は上々で全員の三日分に当たる木の実や果実が手に入った。小動物も多少狩れたことを踏まえるとかなり余裕が出てくるはずだ。
安全地帯に戻ると残った人が簡易的なaフレームのシェルターを製作しており、雨風は凌げる状態になっていた。簡単なものにしたのは近日この拠点も放棄することになるからだろう。
今日の作業の進捗や採集の成果の共有が業務的に行われたあと、食事をとってから俺は割り当てられたシェルターに足を運んだ。人が横になれるだけのサイズを持つシェルターに潜った途端に睡魔に襲われ瞼がひどく重くなる。同時に身体の疲労がどっと体にのしかかった。
…そういえば今日は休まずに活動できたな
と今更ながら気づくが、あれだけやろうとしてもできなかったことのはずなのに何故か達成感を全く感じなかった。そういえば今日もいつもより食事が幾分か豪華だったはずだがそれで気分が上がることもなかった。あの火事から何もかもが薄味に感じられる。たった一日前のはずなのに何週間も前のような感覚がある。
…陸は生きているだろうか。
ふと頭の中に浮上するそれを俺はすぐさま振り払う。
…考えても仕方のないことだ。今は自分が生きることを考えないと。
止めどなく湧く思考に睡魔が追いやられ、目が覚めてしまい一向に眠れないことを悟り、俺はシェルターの中から這い出て拠点の中央にできた広場(仮)に向かった。
そこで切り倒された丸太の上に座って星を眺めて眠たくなるのを待つことにする。しばらくして、ただただ上を向いて星を見ていた俺の視線を何者かが遮った。
「やーっくん。眠れないの?明日も早いよ」
「そっちこそ」
春菜は俺から視線を外すと広場の中央に放置されている火消し壺の中から炭をとり、慣れた手つきで火を起こす。薪をくべながら床から金属製のケトルを拾い上げ、それに水を入れてから木製のトライポッドに吊るす。
「やっくんはさあ、ちょっと悲観しすぎなんだよ」
「そんなことない。ただ現状を反芻しているだけだ」
少し天邪鬼だったか、と思ったがそれは口にせず押し黙る。あまり人と喋りたい気分ではなかった。
「それを悲観してるっていうんだよ。私も似たようなものだけどね」
ため息と共に発せられたその言葉には俺に対してのものと春菜自身へのものとが含まれているように感じられた。チリチリと燃える炎に照らされた顔からは不気味な笑みが見て取れた。
俺は今朝感じた違和感の正体がわかりそうな気がして丸太に据えられた腰を上げ、火の元に近づいた。
「いつもみたいにはしゃいでたのはわざとなのか」
その答えが今の彼女の状態を示してくれる気がした。
「……きっとあれも私。今こうして虚無感に襲われて自分がわからなくなってるのもきっと私なの」
首を横に振り、俺の疑問への答えを提示してから言の葉を続ける。
「私がね、いつもああやって振る舞うのは……みんなが笑顔になってくれるからなの。やっくんは知らないと思うけど、漂着したばっかりの時はみんなもっと殺伐としてて、纏まりなんてあったものじゃなかった」
当時を思い出したのか肩をすくませ、視線を地に落とす。
「その時にどうやったらみんな仲良くできるかなって考えたら……
今、思えば突飛で稚拙な考えかもしれないけど、と付け加えてから彼女は明らかな作り笑いを浮かべた。
目元は灯火を反射させてキラキラとしている。しかし、それはいつも見ているだけでこちらも口角が上がるような朗らかな笑顔ではもちろんなく。ただただ炎の揺らぎを、情を感じさせない顔で覗いていた。すると春菜の表情がくちゃりと歪み、苦悶なものに変わった。
「でも、全部…ぜんぶ…壊れちゃった。みんなまた暗くなちゃったし、もう私が何をしてもきっと何も届かない。……もうやだよ」
眼前の少女は魂が抜けたように崩れ落ち、幼女がお気に入りの人形を破いてしまった時のように泣き喚いた。俺は彼女に駆け寄り、母親が童女を宥めるように、抱き寄せてからひたすらに頭を撫でた。それが正しいのかわからなかったけれど、体が勝手に動いていた。
「…春菜はよく頑張った。少なくとも俺は君のような人がいて救われた」
そうだ。俺の目が覚めた時、陸と春菜が気さくに話しかけてくれたからみんなに溶け込むことができた。普段、快活な春菜の内がこんなに乱れていたなんて思いもしなかった。もしかしたら陸も、と思うとただ何も知らずに生きていた自分に嫌気が指す。
腕の中に疼くまる少女は声が枯れるまで泣いた後、「スッキリした、ありがとう」といって、右の人差し指を口元に持っていって「今日のことは秘密にしててね、また明日」といたずらめいた笑顔と共にゆっくりと宵闇に解けていった。
彼女の姿を見送ってからハッと我に返り今までの行動を顧み気恥ずかしさが込み上げる。記憶を巡る最中、春菜がケトルを沸かしていたことを思い出して火を焚いていた場所に急ぐ。火事を危惧してのことだったが、その場にあったのはほんのりと温かいケトルとわずかに光を放つ燃え滓だけだった。
後になってわかったことだが、あの自分史上初の大胆な行為は誰にも見られてはいなかった。みんな疲れて寝ていたし、監視役は外周から火の進行を観察していたからだ。
しかし春菜が採集活動中に仲の良いおばちゃんに話してしまい、それが人づてに広がるにつれて
一週間くらいはどこにいってもからかわれた。けれど、春菜が壊れてしまったという和やかな雰囲気がほんの少し生まれたのは嬉しかった。
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