三、宿舎
見慣れた白っぽい天井が見える。
間違いなく飛雄馬の寝室の天井で、飛雄馬が半年前まで住んでいたアパートの天井や数日前まで過ごしていたヘルキャットの車内ではない。
光を通すようになった窓から入ってくる日差しで部屋の中がすっかり明るくなっていることに気付いた飛雄馬は体をひねって転がり落ちるようにベッドから下りると、片手で寝ぐせのついた髪をかき混ぜながらベッドのふちに腰を下ろした。
「今何時っすか?」
「共通時間で九時一三分、人間族標準時間で二時四一分です。マスターは共通時間で四時間三六分眠ってらっしゃいました。
朝食になさいますか?」
「頼むっす」
「いつもの洋朝食セットをご用意いたします」
飛雄馬が「なでしこ」と名付けた生活支援AIが控えめで柔らかな女声の日本語で答えて、キッチンに設置された全自動調理機が動き始めた。
一三分の寝坊だったが、まだ急ぐほどではないので飛雄馬もなでしこも慌てない。
「お召し物を洗面所にご用意しておりますので先にシャワーをお使いください。お呼びいただければ、ひげそり、洗髪、整髪をお手伝いいたします」
「ありがとっす。でも、その辺は自分でやるっす」
飛雄馬は眠気が残る頭で立ち上がると、部屋を出てすぐのトイレで用をすませてからその隣の洗面所に移動した。
パーティーから割り当てられた飛雄馬の宿舎は広めの1LDKという感じで、パーティーが町で拠点にしている倉庫付きガレージの三階にあり、同じ階には師匠、お嬢、ばあやが、二階にはリーダーと先生が住んでいた。
広めの洗面所には鏡付の洗面台のほかに洗濯から収納までを全自動で行う設備があって、その収納の中に着替え一式が用意されている。飛雄馬は設備の洗濯物投入口に着ていたTシャツとトランクスを入れてからシャワーブースに入った。
自動で始まった少し熱めのシャワーが飛雄馬の頭を目覚めさせていく。
(……戦車以外だとしたら、なでしこに軽作業用の等身大アバターを買うほかに、風呂に入れる浴室を作るってのもありっすね。この全自動シャワーも楽で快適っすけど、たまには風呂に入りたいっす)
マッサージのように水流の強さや方向が変化するシャワーを浴びながら、飛雄馬はなかなか使い道を決められない分配金のことを思い出した。
昨日の慰労会でリーダーとばあやから地下施設で発見したエルダーの差し入れの売却益と分配金が発表された。
複数の商会や町との数日に渡る交渉の結果、パーティーはエルダーの差し入れの運搬や保管に関して一切の責任と金銭的負担を負わないことなどを条件に、地下施設のある土地に権利を持ちパーティーに地質調査を依頼したジュラ商会とエルダーの差し入れを山分けし、町にも多額の税金を納めることになったため売却益は二億クレジットを下回った。
そして、そこからさらに町へ帰還するためにエルダーの差し入れから直接補給した分やパーティーとして活動するための費用を引き、退職金や死亡したときにかかる蘇生費用、他者に損害を与えたときの賠償金にもなる強制積立金を引いたことで飛雄馬が受け取れる分配金は約一千万クレジットになった。
これは飛雄馬の今の収入の百年分以上になる金額だったが、エルダーの差し入れにあった戦車を買って乗るためには足りなかった。正確には戦車一式と約一年分の弾薬、消耗品は買えても、大規模な修理が必要になったときの修理費や二年目以降の弾薬・消耗品購入費などの費用が足らなかった。貯金も使ったとしても、一年分の費用だけでも飛雄馬の今の収入の十年分以上必要だった。
足りない以上あきらめるしかないとは分かっていても、飛雄馬の本音としてはそれでもエルダーの差し入れにあった戦車がほしかった。分配金の金額がはっきりする前から自分の戦車を持てるかもしれないと浮ついていたためでもあるし、買うだけなら買えてしまうためでもあった。
また、新品の戦車は基本的に羽振りの良い傭兵団行きでめったに市場に出てこない上に、それが飛雄馬の好きな地球の西側第三世代主力戦車を模した戦車となると二度と機会がないように思えたからでもあった。
仲間たちから無理に買っても維持できないのだから、修理費で多額の借金を背負うか、すぐに手放さざるを得なくなると実例を挙げて説得されて、中古の手の届く範囲の戦車を探してみることにしてもあきらめきれなくて、慰労会が終わってからもなかなか寝付けないままベッドの中でずっと悩んでいた。
シャワーの間も悩んでいた飛雄馬はシャワーが終わったことに気付くと、ひげそり、洗髪、乾燥をすませて洗面所に戻った。そして、ブラシが引っかからなければ良いくらいの簡単な整髪をしただけで、用意された肌着と淡い水色のつなぎの作業服を着込んで身支度を終えた。
洗面所から飛雄馬の宿舎で一番眺めの良いリビングダイニングに移動した飛雄馬をなでしこが声で迎える。
「マスター、おはようございます。
ジュラ商会の担当様からのメッセージなど一二件のメッセージが届いております」
「おはよう、なでしこ。
師匠からのメッセージはあるっすか?」
「ございません。
私も市場に出ている戦車を見ておりますが、マスターがご指定された条件を満たす戦車はまだ見付かっておりません」
「そうっすか……。やっぱり難しいっすよね」
「お力になれず申しわけございません」
「なでしこは悪くないっす。オレがむちゃな条件にこだわってるだけっすから」
飛雄馬は声だけでも分かるくらい申しわけなさそうにしているなでしこに謝りながら、背の低いダイニングテーブルとセットになっているソファーに腰を下ろした。
町に帰ってきてからずっとうわの空の飛雄馬はなでしこに気を遣わせてばかりで、今のように謝らせてしまうことも少なくなかった。原因はもちろん飛雄馬が戦車を買うかどうかで悩んでいることで、仲間たちからも関係者以外にはまだ秘密にしているエルダーの差し入れのことがばれてしまうかもしれないからと拠点から出ることも知り合いと話をすることも控えるようにと言われていた。
飛雄馬となでしこの会話が途切れる。
その途切れた会話を補うように作業用ロボットができたての洋朝食を運んできてダイニングテーブルに並べ、飛雄馬は作業用ロボットがキッチンに戻っていくのを待って食べ始めた。
洋朝食のメニューは、トーストにマーガリンとイチゴジャム、スクランブルエッグ、ミニトマトと薄切りにしたキュウリにマヨネーズをかけたサラダ、オレンジジュースで、ミニトマトとキュウリは飛雄馬がリビングダイニングの外にあるテラスでなでしこに育てさせているものだった。
「いただきます」
「どうぞお召し上がりください。
ニュースか音楽をお聞きになりますか?」
「音楽をお願いするっす」
「かしこまりました。最近はやっている曲の中から雰囲気にあったものをおかけいたします」
なでしこの選んだ音楽が流れる中、飛雄馬の朝食は静かに進んだ。いつもなら身の回りの出来事やニュースをきっかけにしてなでしこと雑談したり、その日の仕事の内容を確認したりしながら食事することが多かったが、今朝は寝坊した分だけ時間がないことを理由にどちらも選ばなかった。
そして、残ったオレンジジュースを飲み干した飛雄馬が朝食を終えると、なでしこに尋ねた。
「さっきジュラ商会の担当からメッセージが届いてるって言ってたっすよね? オレなんか約束してたっすか?」
「私が把握している範囲では面会のお約束も納品もございませんが、確認なさいますか?」
「頼むっす」
飛雄馬は作業ロボットに食器を片付けさせて、テーブルの上に日本語に翻訳されたメッセージの文章を表示させる。
「ジュラ商会」も「担当」も飛雄馬が付けたあだ名で、商会の方は主人が二足歩行する小型の恐竜に似ていることから恐竜の出てくる有名な映画を思い出してその名前から付け、担当はジュラ商会で飛雄馬たちのパーティーとの交渉や契約を担当している従業員であることから単純に付けた。
担当者の姿は背もたれのない四本足のイスの両側面に触手のような長い腕が一本ずつの計二本付いた感じで、座面の上の丸くふくらんだところに五つの大きさが異なる黒色の目が付いている。背丈は飛雄馬の腰より低くて本当にイスのように見えることがあった。
また、ジュラ商会の本業は石や砂などの建築材料や石灰石、粘土、珪砂などの工業原料の開発、採掘と販売で、地下資源調査や開発、採掘、輸送の際の護衛などで飛雄馬たちのような冒険者や傭兵とも取引があった。パーティーもこの町で活動を始めたころから取り引きしていて、今使っている拠点も契約している整備工場などの業者も大半がジュラ商会の紹介であるなど、一番世話になっている相手でもあった。
でも、その一方でこの世界に連れてこられてまだ半年の飛雄馬とは個人的なつながりがほとんどなく、担当とも特に親しいというわけではなかった。
「これから直接会いたいなんてどういうことっすか?」
「エルダーの差し入れを回収して忙しくなる前に分配金で資産が増えたマスターとつながりを作りたいということでしょうか?」
「ありえそっすね」
「マスターはリーダー様たちの町を造る計画に明確に参加なさっておりませんので勧誘かもしれません」
「そっちもありえそっすね」
メッセージを消して飛雄馬は立ち上がった。担当の話が何だとしても今の飛雄馬にとっては迷惑でしかなかったが、明日から協同してエルダーの差し入れの回収に行く相手の申し出を拒否するのは気が引けた。
「担当に代わりに返事しといてくれるっすか? これから仕事だからもてなしはできないけど、拠点まで来てくれるなら話は聞くって」
「かしこまりました。
昼食はこちらでなさいますか?」
「お願いするっす」
「献立にご希望がございましたらうけたまわります」
「パンを食べたばっかりだから違うものを食べたいっすけど、米はなかなか売ってないんすよね」
「クスクスがございますので、米を使った料理の代わりとなるものを考えてみます」
「お願いっす」
「行ってらっしゃいませ。ガレージでは師匠様がすでにお仕事をなさっています」
「行ってくるっす。いつも本当にありがとうっす」
リビングダイニングの入り口まで移動していた飛雄馬はそのままなでしこに見送られてガレージへ向かった。明日の出発に向けて車両の整備はほぼすんでいて、今日は業者から追加で届く装甲シートをヘルキャットに取り付けてバランスとサスペンションを確認、調整することが仕事だった。
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