第14話 あの、アスラン様って、いいにおいがしますね……

「わ、やば」


 咄嗟に、レイヴンのことをどう説明すればと思ったが、そう思った瞬間、レイヴン自らが黒ポメの姿に戻った。


 えっ? そうなの? アスラン様の前ではそっちで行くの?


 どういう基準でそういう選択になっているのか問いただしたかったが、それより先にアスラン様から心配する声がかかった。


「大丈夫? 出直したほうがいい?」

「いえ、大丈夫です……!」


 慌ててドアを開けようと立ち上がるも、その前に返事を聞いたアスラン様の方からドアを開けて入ってきてくれた。


「ごめんね。取り込み中だった?」

「いえ、そんなことないです。すみません、お待たせして……」


 アスラン様を待たせてしまったことに恐縮するわたしに対して、アスラン様は特に気分を害した様子もなく「全然待ってないよ。むしろ急かしてごめんね」と微笑み返してくれる。


「それであの、アスラン様、どうされたんですか?」

「ん? いや、仕事がひと段落したから。エステルの顔を見たくなってきただけだよ」


 にこにこと。

 わたしの隣に座ったアスラン様が、わたしの目の前で実に幸せそうにはにかみながら、そう伝えてくる。


 ……きらきらした笑顔が眩しい……!


 ただでさえ綺麗な顔をしているのに、笑うと破壊力が半端ない。

 あまりの眩しさに思わず目を眇めていると、いつのまにかレイヴンがぽてぽてと近づいてきて、ちょこんとわたしの膝の上を陣取った。


「この子と遊んでたの?」


 そう言うと、アスラン様はわたしの膝上でくつろぐレイヴンに向かって、何の気なし手を伸ばしてきた。

 すると――。


 がぶっ。


「うわっ」


 間髪入れず、レイヴンが己を撫でようと手を伸ばしてきたアスラン様の手に、がぶりと噛みついた。


「あっ……、こら! レイヴン!!」


 い、今まで人に噛みついたこととか全くなかったのに、なんで今になって!?

 よりにもよって、帝国の皇太子に噛みついたという事実に、瞬時に肝が冷える。


「こら! 放しなさい! レイヴン! こら!」


 ぺしぺしと、アスラン様に噛みついて離れないレイヴンの身体を軽く叩く。

 

 やだやだやだやだやだ! レイヴンてば! も~! 放して~!


 切実な思いを込めてレイヴンに念を送ると、思いが届いたのかどうかはわからないが、かぱっと口を開いて、ようやくアスラン様の手を放してくれた。


「アスラン様……! 大丈夫ですか?」

「あ、うん。甘噛みだったから、どこも傷ついていないし、痛くもなかったよ」


 ちょっと驚いたけど……、というアスラン様の、噛まれた方の手をぱっと手に取って、どこも異常がないかまじまじと確認する。


「ああ……、すみません……。レイヴンのよだれが……」

「……」


 アスラン様の言う通り、見る限りは特に傷がついている様子もなく、ほっとしたものの。

 その代わり、よだれでベタベタになってしまっていた手をハンカチでふき取りながら、いっそ水で洗ったほうが良いのでは……と真剣に考える。


「……エステル」

「はい」


 名前を呼ばれ返事をした瞬間、ふわりと良い香りに包まれる。

 気がつけば、わたしはそのままアスラン様に抱きしめられていた。


「あ、アスラン様?」

「ごめん。いきなり噛まれたの……、やっぱりちょっとびっくりしたみたい。……動悸が収まるまで、少しだけこのままでいさせてもらってもいい?」


 そう言って、わたしの肩口に額をもたせかける。

 わたしは「もちろんです……!」と言って、寄りかかってくるアスラン様を受け入れた。


 そ、そうだよね。

 帝国の、箱入りの皇太子様が、小型犬とはいえ犬に噛まれちゃったらそれはびっくりするよね……。

 それでなくても、アスラン様はどちらかと言うと線の細い美青年タイプなのだ。

 野山駆けまわる、というよりは、深窓の令嬢ならぬ令息、と言ったイメージのほうがぴったりくる。


「大丈夫ですか……?」

「うん……」


 弱った様子でわたしにもたれかかるアスラン様は、なんだかいいにおいがする。

 わたしから触れても良いのだろうか……、と思いながらも、なおもわたしの肩口でうなだれているアスラン様の背中にそっと手を伸ばす。

 そうして、少しでも早く落ち着くようにと、子供にするみたいにぽんぽんと背中をさすった。

 こうしていると、普段は立派な皇太子さまも、ちっちゃい子供みたいでかわいいかも、と不敬にも思ってしまった。


「うん、ありがとう。もう大丈夫」


 しばらくすると、そう言ってアスラン様がぱっと身を起こした。


「本当にすみませんでした……。ほら! レイヴンもちゃんと謝りなさい」


 わたしのお尻のあたりで丸まっていたレイヴンに「めっ!」と叱るも、叱られたほうは「なんのこと?」とでも言いたげな顔できょとんとしていた。


「もう……。本当にすみません……」

「いや、いいよ。この子も、大事なご主人様を僕に取られて、やきもち焼いてるのかもしれないしね」

「そんな……」


 謝るわたしに、アスラン様はまったく気を悪くしたそぶりもなく、にこにこと逆にこちらを気遣ってくれる。

 ……アスラン様って本当に、優しいしいい人だよね……。


 だからこそ、見た目だけにとらわれないで、この人の内面ともっともっと向き合っていきたいと、つい思ってしまうのだ。


 そんな思いを巡らせながらふとうつむくと、隣でぺろぺろとマイペースに毛並みを整えるレイヴンが目に入った。

 それを見て、連想的にさっきレイヴンと話していたことを思い出す。


 レイヴンが魔獣の一部だという話を、アスラン様にすべきかどうか――。


 ……いや、悩むべくもない。

 どう考えてもすべきでしょ。


 聖王国への今後の対応についてはアスラン様が一任されてると言っていた。

 こんな大事な話をしないで、後で何かあった時に申し訳が立たないし。


 でも……。


 飼っていた子が魔獣だったということで、アスラン様に引かれたりしないだろうか。

 …………。

 いや。アスラン様は引いたりしないだろうな。

 自分で心配した事柄を、即座に自分で打ち消した。


 これまでわたしが見知ってきたアスラン様は、物事の表層だけではなく、もっと多角的に広く捉えて考えることのできる人だ。

 人の話や思いをちゃんと聞こうとしてくれる人だ。

 だから、レイヴンが魔獣だという事実を話しても、きっと引いたりしないだろう。


 だけど、と。

 わたしは、また相反する考えに思いを巡らせる。

 だけど、周りの目はそうとは限らない。

 皇太子の婚約者が魔獣を従えているという噂が広まれば、アスラン様にとってもマイナスイメージになりかねないのも事実であって。


 本当に、なんでわたしっていつも体裁が悪いことばっかり持ち合わせちゃうんだろう。

 いろいろと振り返って考えたことで、改めて自分の運命みたいなものに、うんざりしてしまった。

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