第8話 【SIDEアスラン】エステルとの出会いを振り返る
――この世界にひとりしか存在しないという、
大陸の3分の2を統べる帝国の皇子という立場に生まれて、何不自由なく暮らしてきた。
正直、自分で言うのもなんだが、見た目もよく、周りと比べても随分優秀な方だったと思う。
いろんなことを要領よくこなせてきたし、皇子という立場もそつなく立ち回り、あっというまに皇太子の座に据えられた。
しかし、そのせいだったのだろうか。
正直、人生のなかで、何かを大きく欲したり、執着することもなかった。
何かに強く興味を惹かれる、ということもなかったし、情報として処理することがほとんどだった。
そんなこともあって、表面上はそつなく過ごしてきたが、ある種自分は、欠陥品なのではと思っていた。
――特別に、誰かを好きになる、という気持ちも、正直よくわからない。
周囲の人間は、僕のことを温厚で品行方正な皇太子だと思っている者がほとんどだったが、実際を知っている友人は、
「お前ってほんと、愛想振り撒くのだけはうまいのな」
と言われたものだった。
そして。
今からおよそ3年と少し前。
17歳をすぎた頃に、魔獣の呪いが発症した。
ちょうど父上に「自国をもっと
魔獣の呪いに、苛まれるようになったのだ。
常に頭痛に苛まれるし、からだは鉛のように重い。
気を抜くと脳内に浮かぶのは悪態ばかりで、毎日、精神を闇に蝕まれているような日々が続いた。
まさにその時だった。
「あの……、具合悪そうですけど、大丈夫ですか?」
聖王国で、エステルに声をかけられたのは。
たまたまその時、聖王国近くのルートを
最初は、それが魔獣の呪いだとわかっていなかったので、そのうち良くなるだろうと高を括っていた。
しかし、聖王国に向かうにつれ症状が重くなり、もう限界も近いと思う中、ようやく聖都に辿り着いたところで、後ろから声をかけてくるものがあったのだ。
「よかったら、礼拝堂に少し横になれる場所があるので、休んでいってください。あっ、あの、お金をとったりとか、そういうことは一切ないので」
と、こちらに安心感を与えるように、少女がにこりと笑いかけてくる。
そして、ただの少女にしか見えないその子が近づくと、それまで自分を苛んでいた一切の苦痛が、霧が晴れるようにぱあっと消え失せたのだ。
――聖女だ。
その時に確信した。
聖女が本当に、聖王の血筋の呪いを解くと言うのは、真実だったのだと。
驚いたのはそれだけではなかった。
彼女は、具合が悪そうだと僕のことを指摘してきたが、人からそんなことを言われたのも初めてだった。
実際これまで、無意識に苦痛を隠すことに慣れすぎていて、周囲の親しい人間でさえ、僕が苦しんでいることに誰も気づくことはなかったのに。
それなのに。
彼女は。
彼女だけが気づいたのだ――「具合悪そうですけど、大丈夫ですか?」――と。
「……あの。……お言葉に甘えて、休ませてもらっても良いでしょうか……」
僕がそう言うと、彼女はほっとしたように顔をほころばせ、「大丈夫ですか? わたし、支えていきましょうか?」と気遣ってくれた。
自分よりもだいぶ小さな女の子が、一生懸命に僕を支えようと頑張る姿が、とてもいじらしく、かわいく見えた。
そうして、そのことがあってから。
定期的に聖王国に足を運び、エステルの様子を見に行くようになったのだった。
「アランさん! 最近調子はどうですか?」
「今度はどこの国に行ってきたんですか?」
「この間アランさんからもらったイチゴでパイを焼いたんですけど、よかったら食べていきませんか?」
僕がエステルを訪れるたびに、にこにこと近づいてきて、話しかけてくれることが嬉しくて。
きらきら、くるくるとよく動く表情を見ているだけで愛しくて。
気づけば、どの国に行っても、エステルに何をお土産に買っていくのがいいか、何をあげたら喜ぶのか、今頃何をしているのか。
そんなことばかり考えるようになっていた。
*
そうして、月日が流れ。
あの時――。
エステルから、フレドリック王子から婚約破棄を言い渡された、と聞いた時。
もちろん、フレドリック王子に対する
神はどこまで、僕の味方をしてくれるのだろうと、こころから感謝した。
会いにくるタイミングがずれていたら、エステルがどこに行ったか探し回らなければいけなくなるところだった。
そして、それよりなにより。ずっと、エステルがフレドリック王子の婚約者であることを、どうやって解消させようかと悩んでいたのに、まさか王子自ら婚約破棄してくれるとは……!
――ここが正念場だと思った。
今ここでエステルに「自分は帝国の皇太子だ」と身分を明かしてしまうか。
でもそれだと、エステルは恐縮して、着いてきてくれないかもしれない。
それに、皇太子という肩書きを知られていない今のうちに――一人の男としてエステルに告白して、彼女に【ただエステルを好きな男】として自分を見てもらいたいという気持ちが強くあった。
若干だまして連れて行ってしまうような形になってしまうのは気がかりだが、いずれにしても、帝国に着いたら明かさなければならないのだ。
だったら、つかの間の移動の間くらい、願いを叶えたっていいじゃないか。
そして、もしも真実を伝えて本当に嫌がられたら。
その時は大人しく身を引いて、彼女のために、彼女が暮らしやすい環境を用意しよう。
――そんな思いで告白して。
そうして叶えた帝国までの道中は、本当にーーエステルが本当に可愛くて。
何に対しても興味を持って目を輝かせる姿に、見ているだけで心癒された。
あれが綺麗だとか、これが美味しいとか、あそこにあるのはなんですか? とか。
無邪気な顔で話しかけられるたびに、愛しくて胸が
そうして、散々幸せな時間を過ごしたあと。
帝国に着いて、皇太子であるという身分を明かしたことで若干引かれてしまったが、それもちゃんと話し合ったことで、前向きに頑張ってみますと僕に向かって微笑んでくれた。
今、僕の目の前で。
恥ずかしそうに目を伏せながら、頬を赤く染めて、僕の手をきゅっと握り返してくれる僕の大切な人。
愛しすぎて、もう一度強く抱きしめたいと思う衝動をぐっと抑え込みながら。
僕は、この愛しい女の子を守り抜こうと、改めて一人、胸の内で決意したのだった。
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