第6話 アスラン様、なんだか、距離が、近いです……?
「では、陛下への顔見せも済んだことですし。エステルも長旅で疲れているので、このあたりで失礼させていただいても良いでしょうか?」
にこにこと退室の許可を求める皇太子殿下に、皇帝陛下は半ば呆れたような表情で「まあよい。大体の要件は話し終わったしな」と、もうよいと言わんばかりに片手を振った。
*
皇帝陛下の執務室を退室した後。
皇太子殿下から「移動続きで疲れたよね? ちょっといったん休憩しようか」と言われたわたしは、皇太子殿下に促されるままに、殿下の私室へと案内された。
正直、わたしは。
さっき言われたことがまだ整理しきれていないまま、あたまのなかでぐるぐる渦巻いていた。
皇后……?
皇后、って、言ったよね……?
「エステルの部屋を用意するのに少し時間がかかるからね。用意ができるまで、ちょっとお茶して休憩しよう」
そう言って、いまだ混乱しているわたしをソファに座らせたアスラン様は、メイドさんたちにお茶や茶菓子を用意させ。
そのまま、てっきり私の座っているソファの対面に座るのかと思いきや、他に座るスペースが空いているにもかかわらず、わたしの隣にぴったり寄り添うように腰かけてきた。
あれ? う……、うん……。近いな……。
「あの、皇太子殿下……」
「アスラン」
先ほどの話について、詳しく質問しようと口を開いたが、質問に入る前に遮られてしまった。
「アスラン、って呼んでほしいなあって、言ったよね?」
……殿下の笑顔の圧がすごい。
わたし、人生でこんなに人に有無を言わせないくらいの『にこにこ』を出す人を初めて見ました……。
「アスラン……殿下?」
「ん??」
さらに圧が強くなる。
どうやら違ったらしい。
「アスラン、さま」
「まあ……、及第点かな。今のところは」
とりあえず『アスラン様』呼びで納得してもらえました……。
よかった。突然呼び捨てでって言われても、さすがにハードルが高すぎるし……。
そんな、わたしがほっと胸を撫で下ろしたことを見透かしたかのように、アスランさまが間髪入れず言葉を続けてきた。
「でもね、エステル。よく考えてみて? エステルだって、それまで友達だと思って仲良くしていた子が、エステルが聖女だって知った瞬間距離を置かれたら、寂しいと思わない?」
「まあ、それは確かに……」
「でしょう? 僕だってそうだよ。アランだった時はあんなに楽しく接してくれていたのに、皇太子だってわかったら萎縮されちゃうとか。悲しいよね。別に、僕自身は何も変わっていないのに」
そう言って、目の前で悲しそうに笑うアスランさまを見て、わたしははっとした。
「す、すみませんアスラン様……! 確かに、アスラン様の言う通り、わたし、肩書きにまどわされて、大切なことを見失っていました。アランさんも、アスラン様も、もとは同じ人であることに変わりないのに」
確かに、アスラン様の言う通りだ。
アスラン様は、わたしが聖女だからとか、そういうこと抜きにわたしのことを好きだと言ってくれたのに。当のわたしのほうが、皇太子という肩書に萎縮して、本来の彼の持つ優しさや気遣いを無視しようとしてしまっていた。
バカバカ! わたしのバカ!
身分や出自で人に距離を置かれることの辛さは、わたしだってよくわかっていたはずじゃない……!
「すぐには、無理かもしれませんが……、早くいまのアスラン様にも慣れるよう、わたし、頑張りますね!」
「エステル……」
わたしの言葉に、アスラン様は頬を染め、目元をうるうるとさせて、こちらに向かって少し身を乗り出してきた――かと思ったら、わずかに動いただけで突然ピタリと動きを止めてしまった。
「あの、エステル」
「はい?」
「嫌じゃなければ……、その……、抱き締めてもいいだろうか」
「え」
どういうことだろうとわたしがアスラン様に目を向けると、アスラン様は顔を赤らめて、わたしから目を逸らすように顔を背けていた。
「ごめん……。エステルがちゃんと僕のこと好きになってくれるまで、いろいろ待とうと思っていたんだけど……。エステルがあんまり可愛いことを言うから」
「えっ」
かわいいこと……!?
わたしの発言のどこの何がかわいかったのかさっぱりわからなかったのですけど……。
どちらかというと、そうやって顔を背けて恥じらうアスラン様の方がよっぽど可愛いのではと思ったが、口には出さず心の中で留めておいた。
「嫌なら、ちゃんと我慢するから」
「……嫌ではない、ですけど」
わたしが、孤児院育ちだからだろうか。
誰かを抱きしめる、と言うことに対して、正直あまり抵抗なく育ってきた。
両親と死に分かれて、慣れない孤児院が辛くてひとり縮こまる小さな子供や、母親に会いたいと眠れずに泣く子供を、幾度となく抱き締めてきたのだ。
それでも、こんなに成人した男の人を相手にすることはなかったけれど……。
少なくとも、わたしの瞳に映るアスラン様は、邪な気持ちで言っているようには見えなかった。
「嫌ではない」と言った後、黙ってアスラン様を見つめるわたしの様子を了承と取ったのだろう。
アスラン様は、遠慮がちにわたしに向かって腕を伸ばし、包み込むように優しくわたしを抱き締めてきた。
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