第2話 わたし、人生初のプロポーズされました
フレドリック様が求めていたのは、シルヴィア様のような貴族出身の、女王然とした聖女だった。
わたしみたいな庶民丸出し聖女は求めていなかったのだ……。
まあ結局、聖女でさえなかったかもしれないのだけれど。
「ぽめぇ……」
部屋に戻ると、わたしが飼っている小さな黒いポメラニアンが、ぽてぽてと出迎えてくれた。
「ただいま、レイヴン」
足元にすり寄ってくるレイヴンを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめる。
レイヴンは、ある日、祈りをささげているときに、突然どこからともなく現れた子だ。
瘴気をまとって辛そうにしていたので浄化をしてあげたら、それから懐いてくるようになった。
「ぽめぇ……?」
「なに? わたしが落ち込んでるのわかった? 慰めてくれるの?」
わたしが話しかけると、本当に慰めてくれるかのように、ぺろぺろと鼻先を舐めてきた。
「ふふ、くすぐったい」
レイヴンといると、ときどきこの子は、本当に人の言葉がわかるのでは、と思う。
聖王国に来て、ひとりで辛い夜も、だいぶこの子に救われてきた。
「ごめんね……。わたし、ここを出ていかなくちゃいかなくなったんだ。だから、荷造りをして出ていく準備をしなくちゃ」
「ぽめっ」
そう言ってレイヴンを床におろすと、わたしは少ない荷物をカバンにまとめ始めた。
*
「あれ? エステル。そんな大荷物抱えて、どこに行くんですか?」
「アランさん」
荷物をまとめて部屋から出てきたところで、私に向かってそう呼び止めてきたのは、行商人のアランさんだ。
「まるで夜逃げでもするみたいな格好ですね」
「まだ夜には早いですけどね」
そう言って、えへっとごまかすように笑う。
行商人のアランさんには、かれこれ3年くらいお世話になっている。
銀に近いシルバーブロンドの髪をぼさぼさにして、いつも目元を前髪で完全に覆い隠している。なおかつ、分厚い丸眼鏡をその上にかさねてかけているため、たいていその表情のほとんどは見えないのだった。
身長はひょろりと高いが、常にだぼだぼの行商服を着ているので、若いのか年を取っているのかも謎な人物なのである。
「なにか困ったことがあったなら言ってください。僕で聞けることなら、相談に乗りますから」
表情は見えないが、その声色は優しい。
誰にも言わず黙って出ていくつもりだったのに、その優しい声音に心が揺れて、ついぽろりと弱気が出てしまった。
「……わたし、ここを出ていくことになりまして」
「え」
珍しく、アランさんが驚いたような声をあげた。
「でも、聖女の役目は」
「わたし、本物の聖女じゃなかったみたいです。偽物だから出ていけって、言われちゃいました」
「……」
アランさんもそうだが、この聖王国城内でのわたしの行動圏内にいる人は、大体わたしが聖女であることを知っている。
知ったうえで、わたしに助けを求めてきたり、話しかけたりしてくれるわけだが、その中でもアランさんはちょっと珍しい人だった。
大抵の人はだいたい、聖女のわたしに何かお願い事だったり助けを求めてくる。
しかしアランさんは、わたしに助けを求めるというより、わたしがなにか困っていないか、足りないものがないか逆によく気にかけてくれて、欲しいものがあるというとどこかから仕入れてきて、わたしを助けてくれるのだ。
最初は、わたしが聖女だから何か下心でもあるのかと警戒していたけれど、数年のやり取りの中で、ただ単に心の優しい、親切な人なのだな、と思うようになっていった。
「じゃあ、王子との婚約は……」
「破棄してくれって言われました」
「……ここを出て、どこか行く当てはあるの?」
「とりあえずは、もといた孤児院に戻って、何か手伝えることがないか聞いてみようと思っています」
孤児院は、この聖王国を出た、帝国の領土内の辺境地にある。
正直、これまでひとりでそんな長旅をしたことがないので不安がなくはなかったが、それくらいしか行き先として思いつくところがなかったのだ。
「……もし、よかったらだけど」
アランさんが、どこか遠慮がちな声色でわたしに切り出す。
「僕の故郷に……一緒に来ませんか? ちょうどそろそろ、外回りをやめて家業に専念しようかと思っていたところで」
――いやじゃなければ、エステルについてきてほしいです――。
「え……」
「あの……。エステルはもう覚えていないかもしれませんが。初めて会った時――僕が、聖王国にきて具合を悪くして倒れてしまった時、エステルが僕を看病してくれて」
「あ、はい……」
覚えてますよもちろん。
わたしが聖女になりたての、いまからちょうど3年くらい前。
まさにこの辺りを歩いていたら、アランさんが道端で具合悪そうに俯いていたのに遭遇して。
「あの時、見ず知らずの僕を助けてくれて、あれこれと看病してくれたエステルに、一目惚れしたんです。僕が、ずっとここに顔を出していたのも、ただーーただエステルに会いたかったからで」
え、それって――。
「いろんな人のために、一生懸命に頑張るエステルを見て、ますます好きだなって思うようになりました。だから――できたら、僕と一緒に来て、家業を継いでくれるとうれしい」
まさかの告白に、ぼんっ! と急激に顔が紅潮する。
衝撃の展開に、謎のときめきと動揺がわたしの胸中を荒れ狂った。
「あの、でも、わたしでいいんですか……」
「僕は、エステルがいいんです」
そういうと、アランさんのくちもとがふわりと優しくほころんだのが見えた。
それを見た瞬間、『ああ、わたしも、時々アランさんが見せる、こういうふわりとした笑顔が好きだったんだよなぁ……』ということを思い出した。
「大事なことだから、もう一度いいますね。僕は、エステルがいいんです。だから、将来のことも見据えて、僕についてきてほしい。一生、大事にします」
「……」
将来のことも見据えて。
一生大事にします。
え、つまり、そういうこと?
これ、プロポーズってやつですか……!?
男の人にそんなことを言われたのが生まれて初めてすぎて、脳内のわたしが、別の脳内のわたしに向かって号外をばら撒いて走り回る情景が浮かんだ。
「す、すみません、ちょっと、突然のことすぎて」
「そうですよね。こちらこそすみません」
動揺するわたしに、申し訳なさそうにアランさんが言葉を重ねてきた。
「それにその、わたしなんかに、アランさんのご実家の家業をお手伝いできるでしょうか……」
行商の仕事をしているということは、おそらく実家も商家なのだろう。
どれくらいの規模の商家なのかはわからないが、わたしで手伝いが務まるくらいのところだろうか。
そういえばアランさん、ときどきやたら所作が美しいなって思う時があるし……。
実は実家が大商人の家だったりとかしたらどうしようと、不安になって尋ねた。
「大丈夫ですよ。そんなに難しいことは無いですし。わからないことがあれば、僕も教えて差し上げますから」
と、にこにことアランさんが答える。
「そうですか……。あ、ちなみにアランさんのご実家って、聖王国の外ですよね」
「はい」
聖王国の外ということであれば、フレドリック様の『国外へ出ていけ』という条件にもぴったり合う。
な、悩む。とてもいい話に思えるけど……。
「ぽめぇ……」
わたしが逡巡していたら、腕の中に抱いていたレイヴンがわたしを心配したかのように鳴き声を上げた。
「この子は、エステルの飼っている子ですか?」
「はい」
そうだ。
わたしはこの先、自分のことだけじゃなく、この子のことも食わせていかなければいけないのだ。
果たして、犬連れの女に保証人なしで家を貸してくれる大家が、いったいどれだけいるだろう。
手に職もない女を、犬を養えるほどの賃金で雇ってくれる雇い主が、いったいどれほどいるだろうか。
腕の中のレイヴンを見つめて、わたしは、ふと現実に立ち戻った。
「あの、この子も一緒に連れていってもいいですか?」
「もちろん。エステルが連れていきたいというなら。こんなになついているのに離れ離れにしてしまうのも、かわいそうですからね」
わたしの質問に、一瞬の迷いもなく、アランさんが即答した。
その言葉で、わたしの心ははっきりと決まった。
「……わかりました、ありがとうございます。あの、わたし。アランさんに……着いていきます」
「ほんとうですか!」
わたしの返事に、アランさんがぱあっと声色を明るくして喜んでくれた。
「はい。最初は、役に立てないかもしれませんけど、一生懸命頑張りますので」
「そんな。そんな心配しなくていいんです。僕はエステルが来てくれるだけで、嬉しいですから」
表情は見えないが、その雰囲気だけで、喜んでくれているらしいことが伝わってくる。
「でもその、将来の、ことは。着いていってからおいおい考えさせてもらってもよいでしょうか」
正直私も、アランさんに対して、前向きに好きになっていきたいという気持ちは芽生えている。
ただやっぱり、実際に一緒に行って、ちゃんとわたしがご家族に受け入れてもらえるのか、アランさんの迷惑にならないか。そんな、いろんなことも顧みて、この先を考えていきたい。
わたしは元来、孤児院出身の現実主義者なのだ。
「はい。もちろんです。ぼくも、一緒にいる間に、エステルに僕のことを好きになってもらえるよう頑張りますから」
わたしの不安をかき消すように、アランさんがふわりと答える。
こころなしか、前髪からちらりと見える頬が、赤らんでいるように見えた。
ああ、このひと、ほんとうにいいひとだなあ。
これまでの付き合いの中でも、もともとアランさんにはいい印象を抱いていた。でも、今の短いやり取りで、もっと彼のことを好きになることができた。
よかった、わたしきっとまた、頑張れる。
悲しいこともあったけど、それを打ち消してくれるくらいの良いこともある。
出ていこうとしたときにちょうどタイミングよくアランさんに出会わせてくれたことに、わたしは、こころのなかで神様に感謝したのだった。
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