いつも思ってるだけの事

台所醤油

希死念慮

「要するにさ、今が一番いいわけだよ」

「はあ、さいで」


 目の前の男は窓の外を見つめている。夜。星々が煌めいて、月が空に浮かんでいる。

 こちらに視線を向けることはない、だけど、何となく緊張感がある。逃げられない。

 いや、逃げることが出来ないのかもしれない。無意識のうちにその考えに賛同してしまっているからか、はたまたただの几帳面か、伺い知るには少々時間が足りない。


「だって考えても見てみろよ。美味い飯に、安定した治安、外に出れば文字通りなんでもあって、誰も傷つけてくるようなやつはいない。なら、あとは進んでいくだけだぞ」

「でも」


 声が出た。なんだってことはない、子供のような──ただの反抗心。


「……確かに誰も傷つけてくる人はいない。これほど治安が安定していて、努力すればなんだってできるような社会に生まれることはとても幸福だ。でも、だから、自分みたいな人間は必要ないと思う、んです」


 こちらを射抜く、鋭い目。全く同じ顔をした彼はこちらを見つめ、興味深そうに嗤う。

 泰然自若。生きていることが当たり前で、自分がこれから輝かしい未来を歩むと確信している、そんな目が。


「ほお。確かに?」

「これからの将来に希望も持てない、だからと言って努力をするわけでも、御高尚な思想も無い。何もできないくせにこうやって人に噛みついて、只悲観し続けているような人間は。勇気もなく、覚悟もなく、のうのうと生きるような人間はいらないと思うんですよ」


 ああ、自分で言っていて馬鹿らしくなってくる。生まれてこのかた20年、人以上に努力したこともなく、人以上の能力を持っているわけでも──ましてや底辺近いようなものしかない。周囲を明るくできるほど余裕は無くて、相手を落ち着かせるような話し方もできない。こうやって目を逸らして、どもって話すのが精いっぱいだ。

 自分みたいな人間、消えてしまえばいいのに。明るい社会はそういっているように聞こえるし、他人からは良い印象を持たれることはないだろう。


「なるほど。確かに一理ある。だからこそ今が一番なんだろ」

「……は?」

「いや、その気持ちはよくわかる。欲しいものは大体手に入る──物質的には、な」

「物質的には欲しいものが手に入っても、心が満たされるわけではない。寧ろ周囲と比べてより惨めになるだけだ」

「ええ、はい、確かに」


 これまでにほしいものは何個も夢想してきた。食事、パソコン、本などなど。

 欲しいものを手に入れれば入れるほど、それ以上を持っている友人たちを羨んだ。

 けど、新しく欲しいものを考えるたびに、言いようのない違和感があったのも事実だ。

 物質的に欲しいのではない。精神的な満足をしたいだけだ。


「だから彼女やら友人やら能力やら、より高尚で継続的な価値を出すものが欲しい。うんうんよくわかる。だから今だ」

「……言っていることがよくわからないんですけど」


 ゆっくりと立ち上がって、彼は非常ドアを開ける。風が吹き抜けて、夜空がいっぱいに広がる。

 時計の針は丑三つ時を指している。誰も邪魔することのない、眠りの時間。

 ふらふらと導かれるようにして、席を立つ。

 彼のほうを見る。ポッカリと穴が空いたように、真っ暗な闇だけが広がっている。

 振り返る。これまで積んできた過去が鎮座している。埃をかぶって、何の価値もないがらくたが。


「ほら、飛んでみなよ。それで君の欲しいものは手に入る」


 もう一度、非常ドアの向こうを見る。地面は無い。満天の星空があって、全てを受け入れてくれる。

 目を瞑る。星空は消えることはない。


 希死念慮。瞬いて、暗い人生の唯一の救い。それに手を伸ばして。


 夜の闇と、浮遊感が体を包み込んだ。

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いつも思ってるだけの事 台所醤油 @didkrsyuy

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