あいらペネトレイター-001


「おや、プリーモさんが負けましたか。まあ、元より彼女に、そこまでの戦果は期待していませんでしたので、足止めご苦労様でした……と言ったところなのでしょうが。感じられた魔力も桁違いでしたし、仕方がないでしょう」


 アルティス魔法魔術学園、地下階段前。通常時であれば、幻覚によって秘匿されているそこは、既に露出していた。

 つまりは異常事態。だというのに、そこは痛いほどの静寂に包まれている。


「……少しだけ、ボク達について教えてあげましょうか。ああ、どうか遠慮はなさらずに。これからの大仕事に向けた、休息も兼ねたいので」


 真っ白な軽鎧を身に着けた男が一人、その場に腰を下ろす。

 それからぐったりとしたように壁に背を預け、「どこから話したものですかね」と小さく笑う。


「初めに言っておくとですね、ボク達は何も、アルティス魔法魔術学園を……延いては魔法魔術を、恨んでいるという訳じゃないんです。メンバー内にはむしろ、好きな子だっているでしょうし、憧れている子だっているでしょう。ほら、最近だと日之守さんだとかは有名ですしね。ボクらの学校にも、ファンクラブに近い何かがあるくらいですよ。まあ、彼はうちの校舎を破壊したから、その点では恨んでる子もいるでしょうが……」


 だからと言って、敵対するほどではないし、ましてや殺すほどでもない。と、至極当たり前のことを、当たり前ではない状況下で、彼は言う。

 何かしらの含みがある語りでは無かった。

 彼は淡々と事実を語っている。きっとそれは、脚色すらされていない。


「では何故こんなことを? と問われれば、それは当然、目的があるからです。大それた目標無くして、人は集まらない。優秀な指導者無くして、人は統一されない。常識ですね。基本的に、そこに例外はない」


 例えば、第七秘匿機関の長がナタリア・ステラスオーノであり、その目的が七つの破滅を撃退することであるように。

 例えば、魔獣魔族たちの長が魔王であり、その目的が人類の絶滅であったように。

 ヴァルキュリア呪術騎士学校の長はカイウス・ラウレストであり──


「その目的は、世界の変革──

 ボクたちは、呪術騎士ボクたちがあぶれていない世界が欲しい。

 子供じみた目的に見えるでしょうか? だけど、ボクたちにとってそれは、例えば争いの無い世界だとか、病の無い世界だとかが欲しいってレベルのモチベーションに並ぶんです。

 それに、ラウレスト校長がそう望むんだから、ボクらもそれを願うのは、当然でしょう?」


 呪術騎士は、世界的に見ても稀少な存在であり、年々その数は減少の傾向にある。

 そのような環境下で、魔力を持たずに生まれて来た彼ら彼女らがしてきた苦労は、およそ他人に推し量れるものでは無い。

 差別があり、排斥があった。

 誰にも理解されず、誰のことも理解できない苦悩があった。

 そんな彼らに手を差し伸べたのは、例外なくカイウス・ラウレストであったのだ。

 多くの呪術騎士にとって彼は、文字通りの救世主であると言っても良いだろう。

 自身を救ってくれた人が、世界を変えたいと願っている。

 そして、世界に変わって欲しいと思うのは、彼がいなくとも、誰もが思っていることでもあった──例えば、レトはあぶれない世界に加えて、裏切りのない世界が欲しい。と言ったように。


「七つの破滅は、世界のリセットが目的だと聞いています。それはつまり、一旦は世界を白紙に出来るということでしょう?

 それならば、撃退より利用した方が都合が良いと考えるのは道理です。そして、ボクらは既に、三と四を手に入れた。

 目的の達成はすぐそこ。だから、その前に邪魔を消しに来たんですよ」


 ゆるりと彼……レトは立ち上がる。

 一歩、二歩と、静かにレトは歩み寄る──倒れ伏した、アイラの下に。

 それは勝者の余裕。

 それは勝者の特権。


「どうですか? 合理的でしょう──なんて、もう聞こえてすらいないかもしれませんが」

「……あら、失礼ね。私は意外と、人の話は、良く、聞く方なのよ」

「おや、まだ意識があったんですか。実にタフですね、素晴らしい……諦めの悪さだけは、一流と言ったところでしょうか」

「──っ」


 這いつくばったまま、アイラは奥歯を噛みしめる。けれども、立ち上がることが出来ない──とはいえ、それは別に、毒や呪いを受けた結果という訳ではなかった。

 単純に、受けたダメージが大きすぎた。

 攻防は数十回に渡り、その内のたった一撃が、アイラの防御を直撃した。

 そしてそれだけで、勝敗は決した。

 ネルラ・レト。彼の呪力放出は、カイウス・ラウレストすら上回る。

 自身の裡から生み出す莫大な呪力を全て、物理ダメージへと変換した彼の拳と蹴りは、たとえガード越しであっても、あらゆるものを砕く。

 だからこの場合、むしろ立ち上がることが出来ない程度で済んでいる、アイラの方を称賛するべきではあるのだろう。

 無論、敗北した時点で、それも意味のないことではあるのだが。


「さようなら、頭のおかしいイカレ女。次生まれた時は、もう少しまともな脳だったら良いですね」


 至極真っ当に、レトは足を振り上げる。渾身の一撃ではない。人の頭を踏み砕くのに、彼はそこまでの力を必要としない。

 だから、実にゆっくりとした時間だった。

 油断というよりは、事実として余裕である状況による、緩慢な呪力操作と動作。

 それでも振り落とされた一撃は、鋼ですら突き破る──当たれば、の話ではあるが。


沈みなさいLavello!」

「無駄だ──幼馴染の彼女を先輩に寝取られたショォォォット!」


 瞬間的に身体を沈ませたアイラを、そのまま構うことなく追うように、レトは足を振り切った──アイラが得意とする、影に出入りする魔術は、確かに便利ではあるが、入出に制限がある訳では無い。

 直撃はしなくとも、呪力によって形を得た衝撃が、影の中で強かに、アイラの背中を打ち付けた。


「がっ、ぐ、うぅぅ……!」


 そして、影を行き来する魔術は、緻密な演算を必要とする魔術である。あまりの痛みに一瞬だけ意識を飛ばしたアイラは、強制的に近くの影から排出された。

 それでも倒れることはなく、すぐさま影へと戻ることで距離を取ったのは、流石と言ったところか。

 戦況は未だ劣勢であることに変わりはないが、一旦の仕切り直しにはなった。


「本当に、タフですね。無防備な背中にクリーンヒットして、まだ動けますか」

「……ふふ、そうね。あまりにも芸が無さすぎて、身体が慣れてきたのかも、しれないわね」

「強がるのなら、もう少し取り繕ってみては、如何です、かぁ!」


 ダンッ! という踏み鳴らしが聞こえた時には既に、アイラは回避行動に入っていた。思考を挟まない、反射の行動。

 美しく伸ばされたレトの足先が、アイラの鼻先を掠め、それによって生まれた衝撃波が、学園の壁に罅を入れた。

 直撃すれば、今度こそ命を落としかねない威力。 

 それでもアイラは、訝し気に眉をひそめた。


(見えてきた……いいえ、遅くなっている? 癪だけれども、満身創痍の私が躱せている時点で、それは間違いない。であれば、出力が低下している?)


 振るわれる拳を、蹴りを、辛うじての反応でアイラは回避し続ける。

 超至近距離での高速近接戦闘に、アイラがこうも付いて行けているのは、元よりインファイターの気質があるからだろう。

 そして、同時にアイラには、これほどの距離で、一撃喰らえば即死に繋がるような攻撃を、恐れることなく観察できる胆力があり、冷静さがあった。

 全てを紙一重で躱し、一撃の重さを、早さを、後に残す影響を、何もかもを視界に焼き付け頭を回す。

 何度も何度も何度も何度も。

 レトの絶叫を聞き流しながら、数百を超えるそれを、アイラは躱し続ける。


(遅くなっているだけじゃない、威力も目に見えて落ちている。思ってもみれば、直撃した時だって、本来なら背骨が砕けてもおかしくはなかったはずよ。最大防御の上からでもこれだったのに、無防備状態でこの程度というのは、幾ら何でもおかしい。何か仕掛けが──)


「──あぁ、なるほど。そう、そういうことなのね」

「考え事ですか? 余裕ですね……それとも、考えていたのは遺言でしたか?」

「口だけ達者な男は嫌われるわよ? ああ、だから奪われたのね。ごめんなさい」

「──幼馴染の彼女を」

「それ、もう聞き飽きたわ──偽りには罰をpunizione per le bugie

「そんなもの、今更!」


 ビタリと、不意にレトは動きを止めた。止められた。

 自身の影から這い出たかのような腕が、全身を握りしめるようにして拘束している。

 当然のようにレトはそれを破壊しようとして、けれども振りほどけなかった。

 この短い攻防の間に、幾度も壊したそれを。

 降り抜こうとしていた拳は微動だにせず、レトにとって最大の呪力を生み出す台詞を吐いても、それは変わらなかった。


「ボク、に、何を、した……!?」

「何も。何もしていないわよ。強いて言うのなら、貴方が勝手に自滅した、と言うべきでしょうね」


 はぁ、と小さくため息を吐いたアイラは、あろうことか杖をしまい、気楽な様子でカツカツと歩み寄る。

 レトは青筋を立てたが、それでも指先一つ、まともに動かすことは叶わなかった。

 一分の隙もなく、全身が縛り上げられている。


「貴方、想いを安売りしすぎたのよ。あるいは貴方にとって、は大した想いものではなくなってしまった、ということかもしれないけれど」

「話が、見えないですね、何を言いたいんですか?」

「私の魔術が強くなった訳ではない、ということよ」


 つまり、レトが弱体化している。

 出力の低下は、呪力の低下とイコールだ。

 そして呪力が低下しているということは、即ち、レトの負の意思が、弱く小さなものになっているということを意味していた。

 呪術とは、呪力を消費するものだ。


 ──そう、

 そこに確かにあったものを、貪り無くしてしまう。

 それが良くない想いであったとしても、大切な想いであったとしても。

 力にした時点でそれは、想いではなくなってしまう。


 言葉を、想いを、感情を、ただの力と変えてしまう。

 故にこそ、なのである。


「……そんな、馬鹿な。有り得ない!」

「有り得ないかどうかは、貴方自身が一番、分かっていることだと思うけれど」


 バッサリと切って捨てた言い方をするアイラに、レトは押し黙る他なかった。

 あるいは、現状が何よりも雄弁に語っていたのだから、言葉を重ねる意味が無かったとも言えるかもしれないが。


「気付かなかった……いいえ、気付かない振りをし続けたのが、貴方の敗因ね。執着したかったのなら、利用しなければ良かったのに」

「知ったような口を……! キミのような異常者に──そうでなくとも、ボクの気持ちが分かるものか! 消費しなければ、無かったことにしなければ、やっていけなかった!」

「だからこそ、大切にするべきだったのでしょう? 誰にも分からない、自分だけの気持ちだから。貴方は尚更、消費してはいけなかったのよ」


 アイラはただ真っ直ぐに、レトの瞳を見据える。諭すように、あるいは思い出させるように。アイラはゆったりと言葉を紡ぐ。


「想いは消費するものではなくて、昇華するものなのだから。あるいは最後まで貫くか、かしらね」

「……簡単に言いますね」

「簡単なことなんだもの、当然でしょう?」


 むしろ苦悩しているレトが不思議であるかのように、アイラは首を傾げながら言う。

 煽っている訳ではない。本当の本当に、アイラにはそれが容易いことであるのだ。

 己の愛が届けばそれで良いと思っている女。

 見返りを必要としたことがない女。

 一番でなくとも良いと思っている女。

 それがアイラ・ル・リル・ラ・ネフィリアムという女なのだから。

 あるいは、そのように育ってしまった女なのだから。

 そのことを理解したレトは、脱力と共に降参を示した。


「なるほど、勝てない訳です。キミの在り方は、歪んでいるように見えるくらい、真っ直ぐに貫いている」

「そうかしら……きっと、貴方も間違ってはいないのよ。私と貴方、どちらが正しいという話ではなく、貴方がただ、その使い方を間違えただけ」


 拳を交える前から変わらない強さを持つ声のまま、瞳のまま言ったアイラに、レトは目を見開いた。

 アイラの在り方は確かに、常人のそれとはかけ離れているのかもしれないが、それでも他人と相容れない訳ではない──相互理解が不可能な女という訳ではない。

 相手の在り方を、基本的には理解はしているし、納得もしているのだ。

 ただ、それに同調はしない。

 それが、アイラ・ル・リル・ラ・ネフィリアムという少女なのである。


「どういう形であったとしても、振り切れたなら、おめでとうと言わせてもらいましょう。次こそは、上手くいくと良いわね」

「……ふっ、そうですね。どうです? やっぱりボクと、一曲踊ってくれたりしませんか?」

「お断りよ──それより、歯を食いしばりなさい」

「え?」


 なんて? と疑問符を浮かべたレトに、アイラは拳を引き絞り、魔力を集中させる。

 さながら、先程までレトが振りかざしていた一撃必殺のように。


「いやっ、ちょ、ちょっと待ってくれませんか!? 勝負はついたでしょう!? ボク、殴る蹴るとか必要ないと思うなーッ!!!」

「嫌よ、さっきから身体が痛くてイライラしてるんだから。やったらやり返されるのが世の常よ?」

「ひ、ひぇ──」

先行く者には栄光をGloria ai coraggiosi 外れた愚者には餞をaddio a uno sciocco


 紡がれた詠唱が、影という形を得てアイラの拳に纏わりつく。直後、踏み鳴らされる音が鋭く響き渡った。

 お手本のように腰を回転させ、体重を乗せた右ストレートが、丁寧にレトの顔面ど真ん中を捉えてぶち抜いた。



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