ターニング・ポイント


 影の中へと消えていった少年に、第二の破滅は少しだけ瞠目し、それからゆるりと首を動かした。


 フッ、と少しだけ笑う。

 無駄な抵抗だな、と。


「はっ、はぁ、はぁっ……」

 

 その先で息を切らすのは、一人の少女──アイラ・ル・リル・ラ・ネフィリアムだった。


 先程まで、自身と周りに回復魔法をかけながら、日之守の戦いを見ることしかできなかった彼女は、それでもギリギリでの救出に成功した。


 立華たちの影に出現した彼女は、今も大切そうに、気絶した日之守を抱きしめている。


(逃げられ……はしないわね。かといって、撃退は不可能だわ。少なくとも、私では無理。日之守くんが、もう一度起きてさえくれれば、逆転の目はあるかもしれないけれど……)


 自分達と同じように、あっさりと敗北を喫した日之守を、しかし、ネフィリアムは未だに信じている。


 それは、日之守を盲目的に信じているから────ではない。

 明らかに、今の日之守の動きは精彩を欠いていたからである。


 メンタルが万全ではないのだろう、とネフィリアムは予測する。そしてそれは、実際に正しい。

 日之守は動揺や困惑といった感情を、使命感だけで押し込んでいた。


 それが結果的に、自らのパフォーマンスを、酷く落としていたということにも気付けずに。


「健気なもんだな、人の子ってのは。そんなに特異点が大切か?」

「随分と頭の悪い質問をするのね。そんなこと、言うまでもなく、当たり前じゃない」

「ハッ……じゃあ、そうだな。そいつを俺様に寄越せば、お前は助けてやる……つったら、どうする?」

「断固拒否に決まってるでしょう。あなた、三流の悪役みたいなことを言うのね」


 強気なことを言うネフィリアムの身体は、しかし恐怖によって震えている。 


 それなのに、その瞳だけは確かな強さを放っていて、だからこそ、第二の破滅は理解できなかった。


「……恋愛感情ってやつか、下らねぇな」

「あら、感情を獲得したとか何とか、言っていたように記憶しているのだけれども……それは嘘だったのかしら?」

「獲得したからこそ、だ」

「ということは、理解は全然できていないってことなのね……ふふっ、まるで生まれたての赤ん坊みたい」


 一つ、教えてあげましょう。とネフィリアムは言った。

 その手にある少年の頭を撫でてから、その場に寝かし。

 守るように前に立ってから。


「私ね、日之守くんに言ったのよ。『私は日之守くんのことを、一番に愛する自信があるわ』って」


 大気中の魔力が、少しだけ騒めいた。

 ネフィリアムを中心に、渦巻くように。


「一番って、何も私の中で一番ってだけではないの。世界中の誰よりも、私が一番に愛する自信があるってことなのよ。まあ、彼は照れ屋さんだから、まだ受け取ってもらえてないのだけれども」


 片想いも楽しいわ、と恥ずかしそうに笑いながら、ネフィリアムは言う。


 頬は少しだけ赤らんでいて、この場には似合わないけれど、見た目相応の女の子らしい。


「話が見えねーな、だからどうしたんだっつーんだよ。そんなモンは、今だって何の役にも立ちゃしねーだろ」 

「だから、教えてあげると言っているでしょう────恋する女の子は、最強なんだってことを!」


 アイラ・ル・リル・ラ・ネフィリアムという少女は、この世界に存在するあらゆるものよりも、日之守甘楽という少年を愛している。


 日之守甘楽という少年の為ならば、命の一つだって惜しくはないし。


 日之守甘楽という少年の為ならば、誰の運命だって変えてしまうだろう。


 それはきっと、世界の運命だって・・・・・・・・


深淵Ombre よりprofonde 極黒dall'abisso


 渦巻いていた魔力が、騒めいていた魔力が形を与えられる。

 闇よりも濃く、黒よりも深い影が、産み落とされていく。


呑まAbbi れゆpietà く運del 命にdestino は慈che ti 悲をinghiotte


 それを見て、しかし第二の破滅は鼻で笑った。


 根源魔術──確かにそれは、人類が行使できる最強の奥義。

 魔術の秘奥、その一つである。


 けれども第二の破滅にとって、その程度は児戯に過ぎない。

 第一の破滅とは違い、第二の破滅の顕現度合いは、比較にならないほどなのだから。


想いmetti qui i tuoi 処にpensieri


 それでも高まり続ける魔力を、抗うことをやめない姿勢を、第二の破滅は面白く思う。


 だからこそ、真正面から打ち破ろうと手を上げた。

 黒焔が蠢く。


底無l'ombra senza 影はfondo 悉くをaccetta 受け容れるだろうtutto


 それすら呑み込むほどの影が、際限なく広がり続けていく。

 この場の制圧権は、既にネフィリアムの手の中にあった。

 それを握りしめて、彼女は叫びをあげる。


我がL'ombra 身にche 宿りalberga nel mio影は corpo────《極夜Notte》!」


 熱く燃える感情が、ネフィリアムの中を駆け回る。

 彼女の持つ愛情が、あらゆるものに劇的な変化をもたらしていく。


 ネフィリアムは想う。もっと一緒にいたいと。もっと生きたいと。もっと傍にいたいと。


 だから────だから、日之守くん。


 これが終わったら、私、貴方にアイラって呼んで欲しいわ。そして、私は貴方のことを、甘楽って呼ぶの。良いでしょう?


我が愛はil mio 此処にamore 在りè qui


 遍く全てを食い広げる影の群れが、迷宮内を支配する。


 深く、広く、果て無く続く影はさながら夜そのもの。


 概念すら上書きするそれを前に、第二の破滅は己の一部とも言える黒焔を対峙させ、


「──な、んだ、これは……!」


 一方的に食い消すどころか、完全に拮抗したのを感じ、思わず声を零した。


 どちらかが、優勢になるほど押し込めてはいないし、押し込まれてもいない。


 それ自体がもうおかしい。有り得ない。あってはならないことだ!

 魔術が魔導と、同等の火力を発揮するなど──!


「認めねぇ────認めねぇ! 感情一つで、何かが変わるなど!」

「必死になればなるほど、認めてるも同然だと思うわよ、ベイビーちゃん?」


 軽口に乗るように、放たれる根源魔術は限界を軽々と越えていく。


 それは偏に、彼女の持つ愛情故に。

 出力が際限なく上がる黒焔に、彼女の影は、全く負けないほどのものへと変貌していく。


 それは、正しく異次元の戦い。その余波だけで、街が一つ消し飛んでもおかしくないほどの拮抗。


 世界の行く末を定める分岐点ターニングポイントだった。



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