百日紅
井内 照子
百日紅
団地の作りは湿気の籠りやすい内向きの構造で、五階建ての一階に少年の家はあった。
狭い玄関の備え付けの小さな下駄箱。
その上には印鑑や鍵などのもの入れがあって、一見して不釣り合いだが手のひらに乗るほどの大きさをした妖しい神を象る黒檀の木彫りの像がその脇にあった。像はダルマのように洋梨型だった。しかしダルマとは違い太陽を背に向けた光かそれとも鳥の羽で飾った装束か、なにを意味するのかは分からないが、縁取りはノコギリの刃のようにギザギザしていて、半裸の姿のヤリを持った立ち姿とその表情の鬼気迫る風で、少年には鬼にも見えた。
その神の御姿をどこか自分とは違う自然を生きる人が映したのだと、それだけのことはわかった。
ことあるごとに少年は「このお人形さん、なあに?」とふた親に聞き、ふた親は「山のジサマがインドネシアという遠くの国のバリ島という島に旅行に行った時に買ってきたお土産だよ」と、毎回聞きたいこととは違う答えを返すから、聞いてはみるが聞いていけない答えがあるようにも少年には思えた。
少年はそのインドネシアやバリ島という想像も及ばない途方もなく遠い地に住まう見たこともない人々が、木彫りの像のような姿をしていて、妖しい儀式をしたり、ヤリを持って生物図鑑に載っている奇妙な生物を狩って食べるのに違いないと冒険心を掻き立て想像してみたりもした。少年は兄にその図鑑のインドネシアの項を教わり、ようやくそこに住まう珍妙な形と彩色の猿や鳥、虫やトカゲを見つけると、やはり自分の想像通り彼らは奇妙な生物をヤリや弓矢で狩りをするのだと確信を得て、そこに住まうあの木彫りの像のような姿をした人々とは、はたしてどのような暮らしぶりなのだろうかとあいも変わらぬ空想を繰り返すのだった。
その木彫りの像をインドネシアから買って来た山のジサマというのは少年の母方の祖父のことで、丘のような起伏のある緑多い田舎の方に住んでいるから、少年の家では山のジサマと呼んでいた。
少年もやがて成長し、その間に少年の母方の祖父は亡くなった。
伯父の家族の住む田舎家の離れに、山のジサマの部屋はあった。
秋の深い木漏れ日溢れるジサマの部屋の縁側で、少年はジサマの胡座をかいた膝の上に乗って、庭に生っているすっかり熟れて黒くなった渋柿の実を剥いて一つ一つ食べさせてもらった。そのときジサマは渋柿をして少年に祖父としての教えを説き、にんまりと優しい笑みで自分の孫に笑いかけるのだった。
「いいか、渋柿は甘柿と同じような色をしてもまだ渋い。それよりもずっと熟れて、こうして実を握ったら崩れるほどに熟れたら、ようやく食べられるようになる。お前ぇさそれと同じで、食べるのを焦っちゃあいけねし、なにかすることさ焦って、結局失敗したりしたらだめだ。よぉぐ考えて、人に急かされたってそんなの気にせず、よおく考えて、それから自分の思うようにすれば良い。それで柿が渋くたって仕方ない。なあほら剥けた。さあお食べ」
少年は山のジサマのところへ行くと毎度なにか旨いもんを食えると思っていた。実際に行く度家では食べないような和菓子や砂糖菓子、昼時なら外で高い蕎麦や寿司を食べることもあった。少年には兄が一人あったが、ジサマのところへ行くのにほとんど自分ばかりが連れて行かれるので多少特別な感情を持っていた。それでもジサマの白檀の香の匂いに混じったかび臭さは嫌いだった。
そんな秋の日があって、その半年の先に隣町の総合病院の一室があった。
その日は梅雨らしく雨が降っていた。
少年の家から隣町の病院に着くまで、少年は冷たく曇った車の窓ガラスに頬をすりつけて凝っと辺りを観察し続けた。道路には小さな黒い川が延び、その表面は金属的な白い光沢を発していた。道を行き交う車は皆忙しそうに先を急ぎ、車の赤いテールライトが世界を華やかにみせる最後の一物であるようにも思えた。町は沈黙し、昼間だというのに蠢く厚い雲に覆われた空は暗かった。街に降り注ぐ大粒の雨と厚い雲の他は随分遠くの物事のようで、傘を差し歩く人、差さずに歩く人、カッパで自転車を漕ぐ人、行き交う車の中身、自分のいま乗っている車の中に居る家族さえ遠く離れた世界を往く泥人形の群に少年には思えた。
雨の休日。昼過ぎの病院の駐車場は狭苦しく、病院の入り口に赤紫のアジサイを見つけるとなぜだか淋しくなって、少年は自分が病気にかかった気持ちにもなった。病院の蛍光灯の光は厚い雲の上から指す陽の光にも似て薄暗く白いから、病院の中に足を進めても相変わらず世界は遠く黙っていた。
ジサマの病室は七階にあった。エレベーターは鈍く歩いて上がるよりもずっと遅く感じられ、揺れも感じないくらい慎重だった。そんなエレベーターに青い入院服を着た患者が二階で乗ってきて、少年はその患者の生気を感じられないほど血色の悪い顔に慄いた。血色の悪い入院服の患者の顔は鈍いエレベーターの起動音と溶けて、むしろのその存在感のなさが不気味に思えた。その患者は四階で降り、エレベーターの扉が閉まる。居るはずのないその顔がまだすぐそこにあるような気もした。
ジサマはそのときには末期の胃がんで、手術を受けるとそれから意識も生命の力も衰えたまま覚醒したかと思うとまた眠りに就いた。眠りに就いたあとには、管に繋がれた人間の呼吸と、喉で痰の絡むずうずうという音がした。心臓が動いていることを伝える画面の緑の線が波打ち、赤いランプの点る機械の音が病室に響いていた。そのことが哀れで情けなく、そう思っている今こちらに残されようとしている側の人間のその心の陰は、少年と近しい人の死との初めての対面だった。
山のジサマはそれから二ヶ月あまりして息を引き取り、火葬場でお骨を拾う時にどの部位かはわからないがその骨に点いた緑色の染みに少年は、がんは焼けた人の骨にも残るに違いないとがんと死とその往生際の悪さとに恐怖した。町の火葬場の埃っぽい臭いにその一部分がジサマであったものなのだとも思った。それはその臭いが、ジサマのカビ臭さによく似ていたからかもしれない。
そのとき少年の喉の奥にまた秋の日の柔く繊維が崩れかけた渋柿の実が落ちたように感じられた。
渋柿を食べると黄色の痰になり喉に絡んで、それが火に焼かれると緑色の染みに成って骨に焼き付く。その喉に絡まっている黄色の痰は自分を蝕む緑色のがんに違いないと吐き気を覚えた。息苦しい火葬場の空気に気怠くなって、少年は一人外へ抜け出した。少年は緑色の一塊のがんを火葬場の前のアスファルトの地面に吐き出そうとして、努力虚しく結局なにも出てはこないで、ふと火葬場の上の空へ振り返ると火葬場の煙突からモクモクと白い一筋の煙が薄雲のかかった水色の空に延びていた。
火葬場の煙突から水色の空へと延びる煙はパンを焼くものでもなければ陶器を焼くものでもない。やはりジサマと同じように人間だったもののその亡骸を焼き、無機質な白いお骨にしたときに出るものだと少年は悟った気にも成った。
火葬場から伯父の家へ帰ると少年は急に便意を催し、年長の従姉妹に連れられて便所へ入った。従姉妹は便所の前で待っているからと少年を便所に入れ、その便所というのが初めて見る暗く湿気たボットン便所で、少年は前日に読んだ妖怪大図鑑に載っていた世にも醜い河童の絵を思い出し、便所の底の見えない暗がりに妙な寒気を覚えた。
それでも従姉妹に助けを頼むわけにもいかないから、河童が出て引きずり込まれる心配は別にして、ボットン便所の底なしの闇の中へお尻から落ちることだけはどうにか避けようと明一杯足を開き、思いっきり下腹部から便を捻り出した。どうやら作戦は上手くいきあとはお尻を拭くだけだがどうにも紙がなく、扉の外の従姉妹に紙がないと言うとしばらくして紙を持ってきた。ところが足を明一杯開いている少年の姿を見てその従姉妹は思わず吹き出して笑った。少年はそれがひどく恥ずかしく、惨めに感じられた。
密葬が終わると少年と兄は母の妹の嫁ぎ先に預けられ、ジサマの本葬には行かなかった。なによりその叔母の嫁ぎ先は少年にとって非常に馴染み深く、少年は産まれてからしばらくはそこで生活をしていたこともあって、その義理の祖父母には実の祖父母に対する以上の親しみを寄せていた。といっても、母方の祖母は少年が産まれる以前に亡くなっているし、父方は遠く四国に在るから会っても一年に一度だったから、よく会っては可愛がってもらう人に親しみを寄せるのは少年をして当然であった。
少年はその義理の祖父母は大きな沼の近くに居を構えていたから沼のジサマ、バサマと呼んでいた。叔母夫婦には子供がなかった。叔父の妹には子供が三人あったが、その子供達は叔父の妹の嫁ぎ先の子供達だというのが世間の認識であった。
沼のジサマ、バサマにあって、少年の赤子の頃の沐浴やオムツ替えの世話はその年老いた夫婦の仕事だったし、ジサマにすれば人生で少年にしかしたことのないことでもあった。少年は兄や従兄弟達が数人揃ってないと預けられないのとは違い、なにかある毎に一人で預けられることがよくあって、回数からしても最も多く遊びに行っていたのは少年だった。沼の家での少年への扱いも少年の二人への親しみも得難い特別なもので、少年もそれと心得ていたから兄や従兄弟達とは違い別の遠慮の上に親しく接していた。
山のジサマの本葬が終わり、少年のふた親と叔父叔母が一緒に葬式まんじゅうを持って帰って来ると、少年はやっぱり山のジサマはいつも旨いもんを食わせてくれると感心しながらまんじゅうを食べ、もうこれが最期なのだとこころの片隅で考えもした。
山のジサマが亡くなって、それから幾日かあったある夕方に少年が一人で窓から遠くを眺めていた。西に傾いた陽の光に焼けた黒い雲を地にして、にわかに音もない幾筋もの青白い稲光が走り、千鳥がけたたましく鳴き叫びながら幾万と森から飛び立つのが見えた。
その窓の手前にある透明のプラスチックでできた虫籠の中で、光の透けたような薄緑の蝉がいままさに羽化しようと力を振り絞っていた。日が暮れて遠い空の稲光が収まってから少年は蝉の羽化をただ何時間もじっと見つめ、蝉の身体が蛍光色から黒く乾いて行くのを見終えると、思い出したように夕飯を食べ、風呂に入り、疲れてこてりと眠りに就いた。
少年が観察をしていたその蝉の幼虫は、少年が昼間に土いじりをしているところで拾って虫籠に入れ枝にとまらせたものであったが、結局蝉は羽を広げ切ることもなく、枝の上へ昇ってはその折れ曲がった羽を羽ばたかせジイという鳴き声を上げ虫籠の底へ落ちることを繰り返し、数日後にはからからと寂しげに鳴き、そのあとで死んでいった。少年は空蝉と死んでいった蝉の死骸とを見比べて、どちらも死に絶えた魂の抜け殻には違いないと結論づけた。
羽の曲がった蝉と山のジサマが死んだ暑い夏があった年、少年は五歳だった。
その時分少年は人に見られる限りではやんちゃに笑い、無邪気に遊び、不器用で鈍くはあったが、それでもよく目立った。その目立ち方も悪いのも良いのもどちらも十にあって、よく人を笑わせもしたし困らせもした。それは子供らしく天真爛漫な風であったし、まったく子供としての仕事とわきまえたものと自分なりの正義感が少年の原動力であり、その分別は決して過ぎたものでも足りないものでもないように思えた。少年は時には一人ぽつりと土を弄ったり虫を探し回ったり遊ぶこともあったが、そんなときはむしろ友達と遊ぶときよりずっと自分の居る世界が広く感じられ、冒険に溢れていた。
少年の心ではそのような立ち振る舞いは所詮ジサマの骨の緑色の染みや、あの蝉の魂の抜け殻だけを残す虚しい世界の出来事であって、自分のいまある心とその源である魂との住まう世界ではまったく別な風景が広がっているのに違いなく、その全く違う世界にいく前の仮住まいこそが自分のこの重苦しく息を吐く不自由きわまりない身体であると、どこか宗教めいた考えが浮かび上がっては消え、消えては浮かび上がってくることがあった。
その考えの中では土塊は息をし土塊の言葉を話し、お天道様は光になって囁きかけ、鳥達の歌もまた複雑な姿をした言語で、自分の仮住まいである身体から延び縮みする青い陰も闇夜に隠れては一人歩きをするに違いないと考え、ある連続的な死生観を身近に感じ、それは他人に話せるようなことではないと分かっていた少年は、そのことをひた隠しながらいつも一種の死に対する観念を自分の心に巣食わせて育てていった。少年のふた親はそのような宗教的関心や感受性の乏しい実利主義者であったから、少年の心にそのような関心、観念が芽生えていたことを気付くことはなかった。
少年は昨秋山のジサマに渋柿を剥いてもらったことを思い出しながらその年の秋を迎え、その秋に少年は自分の身にもすぐその死が迫っているのだと考えるに至る経験をした。
少年は夏よか秋が好きだった。
なにより好きな食べ物が秋にはあった。少年の好むその秋の実りの中でも特に好きなものは木通だった。木通は少年の家の庭にも蔓を伸ばして植わってもいたが、それよりも沼のバサマの家の近くの森にある太く立派な木通の木になる大きく甘い木通の実が好きで、毎秋取りに出かけるのが一家の恒例行事になっていた。
それも少年の我が侭からそうなったわけで、木通取りの隊長は少年であった。
今年もその時期になったのだと、少年は木通取りの日を楽しみ過ごし、いよいよその日に成ると朝も陽ののぼる前に起きだしていそいそと大きな篭を押し入れから取り出し、ふた親と兄を叩き起こして出発を急かした。
しかし、そんな朝早くに出かけるわけもなく、刻々とときは過ぎて一時間経つごとに少年は言葉にもならない言葉を頭に溜め込んで、その煩さに狂いそうになりながら暴れ回り、結局一家が揃って家を出たのはそれから二時間もした頃であった。その間に暴れ疲れた少年は二度目の眠りに就き、次に目覚めたのはたっぷりと陽が昇り昼も過ぎた頃で、いつの間にか沼のバサマの家に着いていた。
少年は嬉しいようですっかりこころは勇んでいたから、凝っとしても居られずにふた親に木通を取りに行くことを急いて、疲れた親を他所にさっさと先に出ようとすると、叔母と兄と三人で行ってくると良いと、もとより一人で行っても良い少年にはどうだって良いことを言われ、その三人で行くことになった。
気が急いている少年にとって木通取りは一大事、一年のなかにある幾つかの大行事の一つであるから、保育園で習った歌を大声で歌っては急ぎ足で山道を歩き、木通の木に辿り着くと大きな篭いっぱいに木通を取るのを叔母と兄に手伝わせた。
良く紫に熟れぱっくりと白い口を開いてなんとも言えない甘い香りを漂わせる大きな木通が篭いっぱいなると、まだ木に付いている木通をもぎっては啜り、もぎっては五、六食べると大きな実であるからお腹を膨らせて、横で同じようもぎっては啜っていた兄とお互いに見合って大声で笑った。
篭と腹いっぱいに木通を詰めた少年は帰り道には暢気なもので、重たい篭を伯母に持たせ、膨れた腹を叩いて、兄を見ては自分の方が食べたと言ってニヤニヤと厭味な笑みを浮かべていた。そこへ不意にブンと低い音が聞こえ、少年が木立の隙き間から空を見上げたそのとき。
「スズメバチ、止まれ!スズメバチ、動くな!」と叔母が叫ぶ。
少年は反射的にびだっと身体を硬くして、その音の方へ首を傾けた。すると濃い柿色をした松の実ほどもあるスズメバチが三匹並んで飛んでいて、少年はそれまで蜂というものに刺された試しはないからその痛みは知らずも、痛いものだというのは習っていたから刺されたくはなかった。それに、大きくて凶悪な顔つきのスズメバチを見るに、その針も凶悪で痛いものに違いなく、とにかく叔母が動くなというのだから動かなければどうにかなるに違いないと、少年は動かずに目の前を飛ぶ大きな柿色の虫を凝視し、その羽音を聞いて鳥肌が立つのを感じていた。羽音をさせるものが、すぐ顔の前まで来ると鼻にその羽からくる風を感じ余計に大きく見えるから、どうにかならないものかと思っていたら、すぐ前にいた兄がさっと駆け出して逃げて行った。その次の瞬間スズメバチはカチカチという音をさせその尻から黒く長い針を出すのが見えた。針におののいた少年が首を僅かに動かした瞬間スズメバチは少年の右の耳朶をその凶悪な針を使って刺した。
少年の耳は始めちくりとして次にしぼられるようなぎゅうという痛み、次になんだか分からないがとにかく大きな金槌で殴られたような鈍い痛みが走り、視界は星のような光の粒子で溢れ、その痛みはもう小さな針に刺されたときの点状のものではなく、指の太さほどある枝を無理矢理押し込んだようになった。そんな痛みに耐えられるほど少年は痛みに強くないから思わず大きな悲鳴を挙げた。それから、とにかくその場から逃げ走り出す一歩を踏み出すと、さっきと同じ右の耳の上の方に痛みが走り、それに驚き火を尻に付けられた牛の如く朦朧とする意識のなかを少年は走った。
普段は足遅いほうであったがそのときばかりは年の三つ離れた兄を追い越して沼の家まで帰り、なんとか耳を刺されたことを説明して針を抜いてもらい消毒をし、半分意識がないまま陰に包まれたような病院に連れて行かれ、そこで医者に「次刺されたら毒というもので死ぬ」という言葉を聞かされた。少年は次に刺されたら毒というもので死ぬという言葉と、世にも恐ろしいあの柿色の生物とを思い浮かべ、未だつづく激しい痛みを次に感じる時に自分は死ぬのだと漠然と感じ、すぐ目の前に感じたあの羽音と風がまだそこにある気がした。
少年が漠然と感じた死は、山のジサマの骨についた癌の緑色の染みの代わりにスズメバチの毒が緑色の染みに成って、自分は白い骨の抜け殻を残して、澄みきった世界に不透明な自分という陰を写しとることに違いなかった。
少年は鈍い痛みと毒で朦朧とした意識のまま車に乗せられ知らぬ間に家へ帰り、叔母が持って帰ってくれた篭一杯の木通を見てもスズメバチへの恐怖は拭えず、その秋にはもう木通を食べることはなかった。
二日あまり少年の右耳の腫れは引かずに、調度耳の大きな猿のように、真っ赤になって平時の倍ほどに膨れ上がった耳は自分でも酷く滑稽に思えるほどだった。
それから秋はただ静かに色づいて過ぎ去り、過ぎた静かな秋の日のあとには、冷たく吹く風が乾いた土埃をあげるばかりの寒い冬が来た。
少年は秋よか冬が好きだった。
冬の自分の身体の輪郭を確かめるように冷たく乾いた空気で覆われることも、部屋を暖める暖房の前でその温風が油を含んだ埃の焼く臭いをさせることも、ときより世界を静かに白く染める氷の結晶が降ることも、車のエンジンの排気ガスが空気中に形をなして浮かび上がることも、池の氷が分厚く積もり、乗るとミシミシたてる音も、刻かまわずどっと吹く埃まじりの風も、葉を落とし灰色に染まった森の色も、赤紫に染まる夕陽も、明確な形を持って世界が浮かび上がるその様を現すことが好きだった。
そんな冬の二月のある晴れ間、少年はお年玉で貰った千円札を握りしめた兄に肉屋のコロッケを食わせて貰えると聞いて、兄について肉屋へ向った。少年の住む団地の塔を出るとすぐそこに道路があって、道路を渡ると広い千坪あまりの空き地があった。その信号もなければ横断歩道帯もない道路は比較的車通りの多い二車線道路で、その車の合間に兄が先に渡っていったのを見た少年だったが、そのような信号もなければ横断歩道帯がない道路を渡った経験のない少年は兄のその後ろ姿を目で追っていただけで、ちっとも身体が動きそうにもなかった。
兄は向こう側から少年に「いまだ!渡れ!」という大声と身振り手振りで合図を送り、少年になんとか道路を渡らせようとした。
兄が一度戻ってきて、それからときを見て少年を連れて行けば良かったのだが、兄にはそれが億劫に思え、左に真っ直ぐ二百メートルほど行ったらある信号で渡らせるのも、空き地を突っ切って行く近道が使えなくなるから、どうにか少年を渡らせようと思ったのだ。
「いまだ!渡れ!」と何度も急かされるものの一向に車が途切れているようには見えない少年にとって、その兄のかけ声はまるでてんで飛び越えることの出来ない崖を飛び越えろと脅迫してくる悪魔に思えた。とはいっても兄であるから悪魔ではないしある程度信頼はしているから、その合図通りに道を渡ろうと思い、縄跳びの中の列に飛び込む要領でタイミングを計り、道路に駆け出した。しかし少年は身体ばっかり大きくって足は遅いし縄跳びにも入れないほど鈍い方だから、兄のタイミングでは向こう側に辿り着けるわけもない。車のクラクションが聞こえた少年はそちらを見ながら身体を固め、次の瞬間、兄の足下まで跳ね飛ばされた。少年を跳ねた車は数メートル滑って止まり、少年のぶつかった部分のボンネットが調度その形にへこんでいた。そのベンツのセダンに乗っていた男はすぐさま車から飛びだして兄を使いにやらせ、しばらくすると救急車のサイレンが聞こえるのを薄れた意識の中に少年は感じた。意識を失った少年は救急車で病院へ運ばれ、外傷はないものの一応精密検査をして無事を確認したあとで家に帰された。その間少年は意識を失くしていたから救急車の音の他記憶もなく、次の記憶は目を覚ました少年にカレーコロッケを差し出す兄の無邪気な顔と見慣れた家のカビっぽい天井であった。
気絶している間の言葉にならない半死の意識は、山のジサマと羽の折れ曲がった蝉の死との魂や心の在処、ある別の世界の存在への確証を強化する出来事であったが、やはりこの考えは他人に話すことのできるものでないことは、少年なりの分別でもって十にわかった。
そんな冬が過ぎ、陰鬱な春が来て、少年は小学生になった。
小学校へ少年が背負っていくランドセルは山のジサマが死期を悟ったときに買わせたもので、少年は小学校に入る一年と半年前からランドセルを持っていた。
少年はそのランドセルを使ってはじめて山のジサマの生きていたときはもう遥か昔のことに思え、その記憶も池の水面の小さな波のように全体からするとごく僅かなその一点に集約されていくことが、その死そのものよりも悲しいことに思えた。
ジサマの大きく厚いしわくちゃの手のひらも、静かで重い声音も少しずつ消えていくことがときに虚しく思え、それなのにジサマの焼いた骨に点いたあの緑色の染みだけは、はっきりと自分の瞳に刻まれていることがなによりも恐ろしかった。
春の晴れ間にあった少年の入学式には、薄桃色の八重桜が満開をすぎ、ほのかに赤い葉を延ばし、薄桃色の花びらが散っては空を舞い、学校の池へ落ちて重なり積もって、水面をびっしりと埋めていた。道の端の吹き溜まりや池の水に落ちた桜の花は黒ずんで近くへいくと厭な臭気をさせ、薄桃色の花びらと土塊にもなり切らない水面の腐敗物を見るに少年は花見をする気にもなれかった。
その一月のあとに少年は赤く腫れた頬を擦りながら、遠く続く下草の絨毯を踏みながらに、すっかり一月前とでは様変わりしたその姿に春は生命の狂乱だと感じた。春の花が咲き誇ったと思えば散り葉を延ばし、その活動が別の花を咲かし、その花が散ればまた別の花が咲く。その活動が青葉に包まれ収束を迎える頃、梅雨が来た。
梅雨は春を奪い去って行く。雨が冷たく降れば、田んぼに笑いが溢れる。時間は流れながら留まり、膨らみながら萎み、物質の運動が時と矛盾していた。少年には可逆的な時が放射状に飛散していく様子が、まじまじと感じられ、それが自然であるのか、あるいは不自然なことであるのか、どちらでも構わないようであった。いま目の前の時間は止めどなく揚々と流れていくし、自分の裡にある時の流れは奔放に向きを変えながら自由に動き回るのだから、どちらも面白いじゃないか。そう思えれば、少年はそれでよかった。
梅雨の臭いをまだ残したままの夏は高く延びていた。少年はとぼとぼと川べりを歩き家路を行く。惨めったらしくも清々しい泪が頬を濡らし、暑い陽と艶やかな風にヒリヒリ沁みた。一人川縁をぼけえとしながら座っているところを、幾つか年の上の数人にからかわれて、逆上して殴り掛かり、返り討ちにあって、そんな下らないことであるが年並の出来事が楽しかった。少年は泪を拭いて、じっと前を向く。先の道には百日紅の薄紅の花が咲き誇っていた。
百日紅 井内 照子 @being-time
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