過去と今と未来と-5

 奏澄の両親は仲が悪かった。奏澄は物心ついてから今に至るまで、両親が仲良く微笑み合っているような姿を一度たりとも見たことがない。だから仲の良い家族というのは、ホームドラマの中にしか存在しないのだと思っていた。喧嘩はしょっちゅうで、その原因が奏澄であることもあった。そういった時は、より一層強く胸が痛かった。


 父は後継ぎの男児に固執していた。由緒ある家系でも、代々続いた事業があるわけでもない。単に古い考えの家で生まれ育った人で、家は当然嫡男が継ぐものと決めていた。

 だから奏澄が生まれた時、父方の家は大層落胆した。母はそのせいで、姑からずっといじめられていたらしい。父はそんな母を庇ったりはしなかった。家庭のことは全く顧みなかった。お金さえ払えばいいという人だったから。奏澄の記憶の父は、いつも怒鳴っている。

 それでも、母は奏澄を愛そうと努力をしてくれた。努力はしたのだと、言っていた。だからこそ奏澄は、両親の不仲の原因が自分にあると思っていた。自分が女だったから。そして母が、家の役に立たない奏澄を愛そうとしたから。


 間もなく弟が生まれた。待望の男児に、父方の家はひとまず落ちついた。母はとても喜んで溺愛した。奏澄は見向きもされなくなった。

 少しでも役に立ちたくて、奏澄は早くから家事を覚えた。家のことや、弟の世話を積極的に手伝った。すると、母は言った。


 ――娘って便利なのね。


 その言葉を聞いた瞬間。奏澄の胸に沸き上がったのは、喜びだった。奏澄はこの言葉が嬉しかった。認めてもらえた気がした。必要とされた気がした。

 やっと居場所ができた気がして、奏澄はより一層家のことを頑張った。もちろん、そのせいで両親が悪く言われることの無いように、学校の成績も上位を保ったし、生活態度も優等生だった。

 やがて奏澄のすることは全て当たり前になっていった。足りないことがあるとひどく怒られた。だけどそれさえも、期待されているのだと思えた。何もせずに甘やかされる一方だった弟は素行不良が目立つようになり、母には相変わらず溺愛されていたが、父方の家からは諦めの目で見られ始めていたからだった。

 それでもどうせ女は家を出るからと、父の目が奏澄に向くことは無かった。けれど、もしかしたら。頑張れば。頑張って、家の役に立つような仕事ができれば。父も、奏澄を見てくれるのだろうか。

 役に立てば。自分が頑張れば。いつかきっと、必要としてもらえる。


 あの頃の自分は、自分がいてもいい場所を守るために必死だった。




「だけど、本当は」


 語っていた奏澄の声が震える。


「役になんか、立たなくたって。娘だってだけで、愛してほしかった」


 ああ、私は。傷ついて、いたのか。


 言葉にして、初めて自覚した。

 愛してほしかった。

 何もできなくても。弟のように、いるだけで喜んでもらえるような存在になりたかった。祝福されて生まれてきたのだと、言ってほしかった。

 両親のおかげでここまで無事に育つことができた。何不自由ない生活を送れた。そのことには感謝をしている。

 だから。それ以上を望むのは、わがままだと思っていた。愛情、などと。人の意志を強制するようなことなど。

 言えなかった。望めなかった。

 努力はしてくれたのに。それでもやっぱり愛せないと、面と向かって言われたら。何かが壊れてしまうから。


 愛されたいと泣く小さな女の子を、メイズは隙間なく抱き締めた。

 何かを言おうとして、何も言えなくて。言葉の代わりに、体温だけを伝えた。

 傷の舐め合いでしかないとしても。お互いが、必要だった。二人でやっと、一つの形になる。

 己の半身を。異なる世界で、やっと見つけたのだ。



 泣き疲れて眠ってしまった奏澄の目元を、メイズはそっと拭った。

 ただでさえ疲労があったところにさんざん泣いて、体力が尽きてしまったのだろう。日を改めれば良かったか、と少々後悔する。

 しかし話を聞いて、メイズはようやっと彼女の本質を理解した気がした。

 役に立てば愛してもらえる。常に与える側でいれば必要としてもらえる。

 それこそが、彼女の全てを投げ出すような、献身の理由。

 そうでなければ、居場所が無かったからだ。本来無条件で愛情を与え、居場所を与え、彼女を肯定するはずの両親が、それをしなかった。だから彼女はいつも不安定で、他人の顔色を窺い、行動の基準を他者に置いて生きてきた。他人を通さないと、自己の存在が確認できない。他者を優先することが、自分自身のためでもあった。


 人をよく見ていると思う。人を大切にしていると思う。人を尊重していると思う。

 その中に。おそらく、『自分』が入っていないのだ。

 

 正確には、そうと言うべきか。

 彼女の危うさは、仲間たちと過ごすにつれて、次第に薄れていった。奏澄を肯定してくれる者たちに囲まれて、向けられる感情に怯えることが減った。自分の価値を知ったから、自分を大切にしてくれる他者のために、自分を大切にしようとしている。

 自惚れでなければ、自分も。彼女が最も欲しがっていた愛情を与えているのは、自分だという自負がある。

 けれど、人には役割がある。恋人からの愛情を得ても、親から与えてほしかった分の愛情は埋まらない。それは彼女の中に昏い穴として残り続ける。


 ――『できます』


 キッドに啖呵を切った、奏澄の様子を思い出す。今の彼女は、使命感で動いている。それがいっそ世界を救う、などという大きなものだったら、もう少し迷えたのかもしれない。でもそうじゃない。

 仲間が囚われている。明確に、助け出すべき対象が、一人。そしてそのための方法は、一つ。逃げ道が無いのだ。

 聞き分けが良すぎる。身を削ることに抵抗が無い。仲間のために、できることをしなければと。役に立たねばと、躍起になっている。期待に応えないことを、裏切りだと感じているのだ。

 泣けばいい。喚けばいい。そんなことはしたくないと。人など、殺したこともないくせに。

 彼女さえそう言ってくれたなら。今すぐさらって逃げてやるのに。


 それが決して叶わないと知っているから。メイズは泣き過ぎて赤くなった奏澄の目元に、キスを落とした。

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