第四章 善と悪
玄武、再会-1
青の海域を北へ北へと進んでいくと、だんだんと寒さを感じるようになってきた。今まで訪れた場所は温暖な地が多かったので、薄着でいた奏澄は肩を震わせた。
「次の島で服を買うか」
「メイズ」
奏澄の肩を抱いたメイズも、上はシャツしか着ていない。彼はまだ寒さを感じるほどではないようだが、この先もっと寒くなるなら上着が必要だろう。
「北の方ってどのくらい寒くなるの?」
「黒の海域まで行けば、雪が降る程度には」
「えっ!? 雪降るんだ!?」
奏澄は驚きの声を上げた。なんとなく、雪という気象が存在しない気がしていたのだ。
土地で言えば、セントラルがある場所も南極にあたる。気象条件を考えれば極寒のはずなのだが、あそこはかつての神の領地なので気候が安定しているらしい。セントラルが世界の中心であるため、そこから一番離れた果ての地、黒の海域は人には厳しい寒さが待っている。そして黒の海域に近づくと、その寒波の影響を受けるようだ。
「あーでも、それでか。なんか納得」
「何がだ?」
「メイズの格好。寒い土地出身だからなのかなって」
言われて、メイズは首を傾げた。特にそういう意識は無かったらしい。
湿地帯もある緑の海域はともかく、赤の海域ではサンダルの男性も多かった。しかしメイズは、最初からしっかりした皮のブーツだった。シャツも大きく前をはだけることなく、割と上まで留めている。あまり露出する習慣が無いのだろう。
ターバンは日射を遮ったり発汗を抑える役割のため、暑い地方での印象が強いが、実は寒さを防ぐ目的でも使用する。彼の服装は、現在の気候に合わせてはあるものの、元々寒冷地にいたと言われれば頷けるものだった。
「黒の海域に行くまでには、防寒具を揃えないとな」
「かさばるなぁ」
冬物は分厚い。化学繊維がまだ未発達なこの世界では、薄くて軽くて暖かい素材はなかなか存在しない。場所を取るが、必要なものだから仕方ない。
具体的に必要なものを考え出すと、実感する。黒の海域に、近づいているのだと。
メイズはまだ、多くを語らない。黒弦と戦うまでには、聞けるのだろうか。それとも。
青の海域、ミラノルド島。
たんぽぽ海賊団は、この島で寒冷地用の備品を買い揃えることにした。南から北へ向かう航路の途中で、黒の海域に近くなり、寒さを感じ始める位置にあるこの島は、似たような船団が多く訪れるため商店も多く賑わっている。
島へ降りるために身支度を整えた奏澄は、上甲板で待つメイズの元へ向かった。
「お待たせ。行こっか」
声をかけられたメイズは、奏澄の格好を眺めて眉を寄せた。
「置いていった方が良くないか、それ」
「え、気になる? 一応貴重品だし、いつ遭遇するかわからないし、身につけておいた方がいいかと思って」
奏澄は剣帯に下げた神器を見下ろした。剣を身につけて行動することにも慣れておきたい。鞘に入っているのだし、怪我をするようなことはないかと思うのだが。
疑問を示す奏澄に、メイズは暫く渋い顔をしていたが、やがて何か納得したのか、息を吐いた。
「まぁ、いい。持っていればわかる」
「? うん」
結局奏澄は剣を下げたまま、メイズと二人島へ降りた。
全体的な雰囲気はヴェネリーアに似ているようにも見えるが、友好的なヴェネリーアの空気とは違い、ミラノルドの方が都会的な印象だ。十分に賑わってはいるが、それは楽しんでいるというより、繁盛している、という言葉が似合う。
人や物がごみごみしており、気をつけて目をやると、建物と建物の隙間、裏路地などに、堅気ではなさそうな人が立っていたりもする。
これは気づかない方がいいやつだ、と奏澄はきょろきょろするのを止めた。
服屋で適当に冬服や小物を見繕い、それから分厚い黒のオーバーコートを探した。試しに羽織った奏澄を見たメイズは、まじまじと眺めて。
「お前黒似合わないな」
「知ってる。もうちょっと明るい色がいいなぁ」
「夜に紛れるから黒の方がいい。雪に紛れるなら白があってもいいが……積もる場所で行動することはあまりないだろ」
「白は白で汚れが目立つから嫌だなぁ」
注文が多い、とメイズは溜息を吐いた。ただの軽口だということはわかっているので、注意をしたりはしないが。
「メイズは黒似合うよね」
「そうか?」
同じようにコートを羽織ったメイズを、奏澄はじっと見た。
惚れた欲目かもしれないが、黒の面積が多いと凛々しさが増す気がする。
「カメラほしい……」
「くだらないことを考えているのはわかった」
呆れたように言って、メイズはコートを脱いだ。
同じように奏澄も脱ごうとして、かつりと剣に手が当たる。
「これ剣はコートの内側? 外側?」
「使う状況になったら外側だが……お前は、暫く内側で隠しておいた方がいいんじゃないか」
「島に降りる時も言ってたね。まぁ、ちょっと目立つよねこれ」
島に降りてから、ちらちらと視線は感じていた。真っ白な剣などそうそうないから、物珍しいのかもしれない。人から注目されるくらいなら、確かに隠した方がいいだろう。
もっと寒くなったらそうしよう、と思いつつ、この島はコートを着るほどの寒さではない。購入したコートは抱えて、荷物を置きに船に戻ろうと雑踏を歩き出す。
暫く歩いたところで、メイズが急に視線を鋭くした。
「メイズ? どうし――」
最後まで言い切らない内に発砲音が響き、呻き声がした。
驚いて奏澄が振り返ると、一人の男が血の流れる手を押さえていた。にわかに周囲がどよめく。
「え……え?」
何が起こったのかさっぱりわからない奏澄は、間の抜けた声を漏らすしかなかった。
「行くぞ」
すたすたと歩き出すメイズに、動揺したまま慌てて付いていく。
「ねぇ、今……なに? メイズ、撃った?」
「あいつはスリだ」
「スリ……?」
「お前のそれ」
メイズが視線で示したのは、奏澄が下げている剣だった。財布でも荷物でもなく、剣? と奏澄は戸惑った。
「見るからに高そうだろ。そりゃこうなる」
言われて、奏澄は息を呑んだ。剣は武器である、という意識が強すぎた。
この神器は、見た目は儀礼用の剣だ。純白の鞘、細かな金の装飾。それは値打ちものに見えるだろう。この剣の真の価値など知らなくとも、売り払ったらそれなりに高値がつく。そんなものを、腑抜けた顔の女が呑気に腰に下げて歩いているのだ。簡単に盗めると思うだろう。
今更ながら、メイズが気にしていた理由がわかって、奏澄は青ざめた。
「でも、物取りくらいで何も撃つこと」
「手でも掴んで、優しく諭してやれば良かったか? そうすれば次は
「ちょうど、いい……って……」
奏澄は口を噤んだ。メイズの言う全部とは、おそらく所持品だけを指しているのではない。なめられたら終わりだ。むしろ手を撃ったのは、奏澄に気づかったのかもしれない。
「治安、悪くなるって聞いてたけど、こんなの」
「こんなもんじゃないぞ。確率が上がっただけで、スリくらいならどこにでもいる。この先は、もっとやばいのがごろごろいる。近づいてくる人間は全員警戒しろ。口にするものもな」
奏澄は暗い顔で唇を引き結んだ。しかし、ぎゅっと強く目を閉じて、開くと同時に顔を上げた。この程度で、俯くわけにはいかない。
奏澄がこれから相手にするのは、こんなちんけなチンピラごときではない。悪と呼ばれる存在を、奏澄の手で、葬らないといけないのだ。
その覚悟は、事前に固めておかなければ。
奏澄は剣の柄を、強く握り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます