第三章 彼と彼女のエトセトラ

再出航-1

「さて。黒弦、ってことは、まずは黒の海域に向かわないとな」


 言いながらライアーが机に海図を広げる。

 会議室にて、奏澄たちは今後の航路の確認をしていた。面子は昔と同じように、奏澄、メイズ、マリー、ライアーの四人だ。

 やることは決まっているので、大人数で相談することもない。残りの乗組員たちは、長く空けていた船内を各々整えている。


「しかし、黒……黒かぁ……」


 ライアーが長い溜息を吐いた。その様子に、奏澄はメイズを気にしつつも、ライアーに尋ねた。


「行くのが難しいところなの?」

「や、航路は問題ないけどね。黒の海域に寄るほど、治安が悪くなるから」


 そう言うと、ライアーは一番大雑把な海図を広げて、まずその図面の上の方をぐるりと指で示した。


「オレたちが以前回ってたのって、この上半分、つまりセントラル寄りだったわけ。だから、治安もそこまで悪くはなかったんだよ」


 海域は緯度で区切られている。つまり、以前は白の海域を中心に据えて、赤、緑、青、金と南半球にあたる部分をぐるりと一周していた。


「それが今度はこっち」


 ライアーの指が、海図の下の方をぐるりと示す。黒の海域を中心に、北半球にあたる部分だ。


「セントラルから離れるほど、影響は弱くなる。兵の派遣も手間だしね。もちろん支部もギルドもあるんだけど、ちょっとした事件くらいだと面倒だからもみ消したりとか」


 警察署の近くの方が治安が良いのと同じ理屈だろう。取り締まる者がいなければ、好き放題にする輩は出てくる。黒の海域には自治組織も無い。悪事を好む者には、さぞ居心地が良いだろう。


「治安の面で言えば、あたしらだって海賊なんだから、人のこと言えた義理じゃないけどね」


 マリーの言葉に、確かに、と奏澄は頷いた。どんな人間が乗っていようが、何をしていようが、結局のところ海賊は無法者だ。島から出ることの無い一般市民からしたら、誰であれ海賊は脅威だろう。


「まぁカスミは、絶対一人にならないこと。それだけは約束ね」

「うん、わかった」


 以前の航海も一人になるようなことはほぼ無かったが、改めて奏澄は気を引き締めた。


「で、黒の海域まで、どこの海域に沿って行くか。補給を考えれば、赤の海域沿いに進むのがいいかな。ドロール商会のツテが一番利くから」

「いや、できれば青の海域沿いに進もう」

「え、青?」


 メイズからの意外な提案に、ライアーが目を丸くした。


「どこかで玄武と合流したい」

「玄武と!?」


 これにはライアーだけでなく、奏澄とマリーも驚いた。玄武とメイズとは因縁がある。以前、たんぽぽ海賊団とも一悶着あった。最終的に、玄武の船長であるキッドは奏澄に対して好意的だったが、わざわざ再会するほどだろうか。


「玄武は黒弦を目の敵にしている。黒弦を潰すための協力なら喜んでするだろ」

「そりゃそうかもしれないけど……メイズさん、それでいいんすか?」

「戦力は多いに越したことはない。数さえあれば勝てる相手じゃないが、玄武は黒弦との戦闘経験もある」

「メイズさんがいいなら……」


 メイズの提案により、たんぽぽ海賊団はまず赤の海域で可能な限り装備等を揃えた後、青の海域に沿って進み、玄武との合流を目指すことにした。


「よし。マジメな話はこれでおしまい、かな。あと何かある?」

「今は大丈夫だと思う」

「そっか。んじゃさ、オレ、ずっと気になってたんだけど」


 前置きするライアーに、奏澄が首を傾げる。


「メイズさん、ヒゲェ!!」

「え、そこ?」


 大声でつっこみを入れたライアーに、奏澄は思わず拍子抜けした。何を言い出すのかと思えば。


「いやだってずっと無精ヒゲだったじゃん! 急に小ギレイにしてたら気になるでしょ!? 聞ける空気じゃなかったからずっと我慢してたけど!」


 メイズは心底どうでも良さそうな顔をしている。それを見て奏澄は苦笑した。

 そう、メイズは今髭が無い。以前の航海の時は適当に伸ばして、邪魔なタイミングでこれまた適当に剃っていた。それが今は、まめに綺麗に剃り落としている。


「えぇ~なんで剃っちゃったんすか~! あった方が海賊っぽかったのに!」

「どっちでもいいだろ……」

「見た目は大事でしょ! なぁ、カスミはどっちがいい!?」

「え!?」


 思いもよらないところで話を振られて、奏澄はうろたえた。これは結構重要な質問なのではないだろうか。


「えー……と、まぁ、見た目だけなら、あった方が良かった、かなぁ……?」


 出会った時からそうだったし、見慣れていたから。という程度の理由だったのだが、それを聞いたメイズがやや目を瞠った後、苦々しい顔をした。


「えっやだごめん、私何かした?」


 メイズの反応にも慣れてきた。これは自分が何かした可能性が高い、と奏澄は焦った。

 不安そうに見上げる奏澄に、メイズは渋々、目を逸らしながら、唸るように小さな声で零した。


「お前が当たると痛いって言ったんだろ……」

「……言ったっけ」

「お前本当そういうところあるよな」


 指摘されて、奏澄はごまかすように愛想笑いをした。確かに、言ったかもしれない。

 それにしても、相変わらず妙なところで律儀だ。黙って実行しているところも。


「もうやめる」

「ごめん、ごめんって! 無い方がいいなー、助かるなー」


 これも本音だ。髭が当たるのは肌荒れの原因にもなるし、無い方がありがたい。

 手を合わせてお願いする奏澄に、メイズは数秒だけ拗ねたようにしていたが、ややあって息を吐いた。これは許してもらえた合図だ、と奏澄はほっとして微笑んだ。


 メイズばかりを気にしていた奏澄の耳に、「ふぐぅ」という奇妙な音が聞こえ視線を向けると、ライアーが顔を覆って膝をついていた。


「えっなに、何事!?」


 ライアーに何があったのかとマリーにも目を向けるが、マリーはにやにやとした顔で奏澄とメイズを見るばかりだった。


「ライアー大丈夫?」

「オレは今ものすごく感動している……」

「え? なんで?」

「いつの間にそんなヒゲが当たるような行為を当然のように……おめでとう……」

「え……あっ!?」


 ライアーの言葉が意味するところに、奏澄は顔を真っ赤にした。

 メイズと恋人になったことはきちんと伝えるつもりでいたが、それより先にこんな形で知られたことが何だか気恥ずかしかった。


「良かったじゃん。やっとくっついたんだ、おめでと」

「う……ありがとう」


 マリーからも祝いの言葉を貰い、奏澄は赤い顔のまま答えた。


「夜は部屋の方近づかないようにするからさ。あたしらのことは気にしなくていいよ」

「いやそこは」

「そうしてもらえると助かる」

「メイズ!!」


 わいわいと賑やかな空気に、奏澄は心が解れていくのを感じていた。

 アルメイシャに着いてから、ずっと緊張していたのだろう。レオナルドのことは気がかりではあるが、やっと仲間たちと再会し、こうして気心の知れた会話ができている。奏澄の世界が、戻ってきた。


「ああ、そうだ。まだちゃんと言ってなかったね」

「え?」


 ライアーとマリーが顔を見合わせてから、笑顔で声を揃えた。


『おかえり、カスミ』


 それを聞いて、奏澄は目がじんと熱くなった。

 間違っていなかった。ここが、帰る場所だ。奏澄の居場所だ。帰ってきていい、場所なのだ。


「ただいま!」


 再会してから一番の笑顔を、二人に返した。

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