取引-5

 話し合い。と言っても、奏澄はほとんど勝ち目は無いと感じていた。

 監獄島の洞窟で感じたこと。オリヴィアとは、言葉を用いてわかりあうことができない。

 それでも、国のトップに立つ人間だ。全く他人の意見に聞く耳を持たないわけではないだろう。

 とにかく、彼女に呑まれないこと。できるだけ不利な条件を避けること。相手の利になる提案をすること。

 意識して、深く、深く呼吸をした。


「私の要求はあの時と変わらないわ。私たちセントラルの軍人と研究者を、はぐれものの島へ案内すること」

「できません。それは、あの時お断りしたはずです」

「断れる立場かしら?」

「あなたは、あの島のことをわかっていません。はぐれものの島は、無尽蔵に武器が集まる場所じゃない」

「そうかもしれないわ。でも、あの島のことが解明できれば、あなたの世界へ行く道も開けるんじゃないかしら」

「……今、なんて?」

「あの島は、異界へ繋がっているのでしょう。あなたの世界へ直接行くことができれば、武器の調達は容易いわ」

「それは――できません」


 オリヴィアは、何かを誤解している。そもそも彼女は、はぐれものの島のことをどれだけ把握しているのか。オリヴィアの口ぶりから察するに、彼女自身はおそらく島に訪れたことが無い。なら何故ここまで拘るのか。


「何故? あの島の流れが、不可逆だから?」

「知っているなら」

「でもあなたは、戻ってきたじゃない」


 奏澄は息を呑んだ。オリヴィアの視線が奏澄を射抜く。


「はぐれ者が島を出て来ることはほとんどない。数はごく僅かだけれど、過去にはぐれ者を使って島に訪れた記録はある。でもあの島の流れは。はぐれ者を使って訪れれば、そのはぐれ者は島を通過して異界へ渡ってしまう。同じはぐれ者を二度使うことはできない。そして、はぐれ者を使ったとしても、必ず全員が島に辿り着けるわけでもない。中にはコンパスを使えない者もいた。あの島は、私たちにとってまだ未知数なの」


 滔々とうとうと語るオリヴィアだったが、その指先が軽く卓を叩いている。


「だから、あなたの存在は貴重なのよ。コンパスの使用資格を持ち、記録にある中では唯一あの島からこちらへ戻ってきた。あなたは、世界と世界を繋ぐ鍵となる可能性がある」


 オリヴィアの目は、『物』を見る目だ。奏澄を、人として見ていない。感情に訴えても、意味が無い。それならば。


「残念ながら、それは的外れです」


 オリヴィアの眉が動く。

 奏澄の命だけを考えるならば、この誤解は解かない方が良い。利用価値があると思わせておけば、奏澄の命は保障される。けれど、それではずっと仲間を人質に取られたまま、利用されることになる。


「私がこちらへ戻ってきたのは、この世界を選んだからです。元の世界を捨てて、二度と戻らないと道を閉ざした。私にはもう、向こうの世界へ行く資格がない。コンパスだって、使えるかどうか」

「試してみればいいじゃない」


 オリヴィアの言葉に、奏澄は動揺した。試してみる。何を?

 あのコンパスは、洞窟で使うことに意味があるのでは。


「まだ、持っているのでしょう。使ってみればいいわ」


 どうぞ、と視線で促されて、奏澄は首から下げたコンパスを取り出した。

 意味は無い、はずだ。何も、起こるはずはない。このコンパスは、既に役目を終えている。

 それなのに、何故だろう。コンパスが、熱を持っている気がする。

 心臓の音が耳まで響くのを聞きながら、奏澄は針を指に刺した。


「えっ!?」


 磁針が血を吸って、赤く染まる。くるくると回ったそれは、やがて一方を示し、赤い光を伸ばした。


「嘘……」


 奏澄は愕然とした。もう使えないとばかり思っていた。これでは、奏澄はまだセントラルにとって価値のある存在だということの裏付けになってしまう。

 しかし、おかしい。光が示す方角は、監獄塔の方角ではない。いったい、何を指しているのか。

 考えるようにして光を見つめていたオリヴィアが、口を開いた。


「悪魔を指しているのかしら」

「悪、魔?」

「そのコンパスは、元々私たちセントラルのものではないわ。悪魔が作ったものなの」

「悪魔、って、大昔の……伝承、ですよね」

「いいえ。悪魔は今も存在する」


 奏澄が息を呑む。オリヴィアが、冗談など言うわけがない。では、本当に。


「セントラルが軍事化を急いだのは、そのためよ。悪魔の復活を観測して、襲撃に備える必要があった。今のところ、それなりに大人しくしているようだけれど……いつ猛威を振るうか、わかったものではないわ」


 急に現実感の無い話をされて、眩暈がする。悪魔が、今もこの世界にいる。それに対抗するために、セントラルは軍事国家となった。ならば。


「なら、セントラルの目的は、最強の軍事国家になることではなく、悪魔を打ち倒すことなのではないですか?」

「同じことよ。何者も逆らえない強さを手に入れれば、悪魔を含めた全ての脅威に怯える必要はなくなる」

「それは違うでしょう」


 オリヴィアの意見を真っ向から否定してみせた奏澄に、オリヴィアの視線が刺さる。


「セントラルが、唯一絶対の力を手に入れても。抵抗する人々は、いなくなりませんよ。その結果が、今の四大海賊なんじゃないんですか」

「あれらはただの無法者よ」

「その無法者を、必要としている人たちがいるんです。四大海賊を潰せば、彼らを慕っていた人たちが敵になります。武力で押さえつけて、無理やり全てを取り込んだとしても、今度は争いの形が内乱に変わるだけです」

「完璧な統治を行えば、反乱なんて起こらないわ。異分子を許すから軋轢が生じるの」

「いいえ。軋轢は、必ず起こるものです。争いはなくなりません」


 奏澄の言葉に、オリヴィアは意外そうに息を漏らした。


「あなたは平和主義者なのだと思っていたわ。人間は皆善良である、とでも思っているのかと」

「平和主義者ですよ。人の善性も信じています。だから、争いはなくならないんです。人の正義は、価値観は、必ずぶつかるものだから」

「正義は勝者にあるものよ」

「そうです。だから敗者が淘汰される。けれど、いつも負けた側を排除し続けていけば、最終的には何も残りません。人には必ず差異があるからです。国で分けて、種族で分けて、性別で分けて、知能で分けて、貧富で分けて。どれだけ分け続けても、終わりはありません。全く同一の個体は存在しないからです。二人以上が存在すれば、絶対に差は生まれます。だからどこかで許容するしかないんです。その差を」

「それがどうしても許せなかったら?」

「言葉で争って、落としどころを探します」


 奏澄の発言に、オリヴィアは子どもの戯言を聞いたかのようにわらった。


「できるかしら?」

「そのために、バランスが必要なんです。突出した武力があれば、潰せば済んでしまうから。独裁は強いけれど危うい。あなたが誤った時、誰があなたを止めるんですか。あなたは機械じゃない。人は絶対に間違う。あなたがこの国のトップだとしても、あなたと同等の力を持つものが、外部に必要なんです」

「私に逆らうために?」

「そうですよ。神の血を引いていても、あなたは神じゃない。人間です。人々から思考を奪って支配したいわけでないのなら、あなたも民と同様に、言葉で争う必要がある」


 オリヴィアは、洞窟で「平和のため」だと口にした。やり方に問題はあれど、あれが嘘だったとは、奏澄には思えなかった。彼女は、世界を支配したいわけではないはずだ。

 奏澄の言葉は、おそらく彼女の心には何一つ響かない。それでも、何かしら有用だと思えば、それを感情で排除することもしないだろう。


「理想論ね」

「リーダーは理想を語るものですよ」


 それを実現させるのは、サポートの役目だ。理想を掲げる者が誰もいなければ、しるべもなく彷徨うのと同じこと。リーダーの役割は、誰より明るい光を灯して、先導すること。


「あなたのそれには、絶対的な悪の存在が抜けているわ。言葉など用いる暇もなく、武力で潰すしかない害悪が」


 奏澄は眉を顰めた。絶対悪など無いと、信じたい。しかし、覆せない悪が存在することも知っている。ねじの外れた人間というのは、どこにでも存在するものだ。それはねじを締め直せば解決する問題ではない。そもそもの構造において、。これは人の手では直せない。神の采配なのだから。


「それが、悪魔ですか」

「あれはただの災害よ。私たちの常識では計れない。放っておけば確実に大きな被害が出るわ」

「そこまで言うのなら、何故まだ自由にさせているんですか。今の軍事力では、捕らえられないほどに強いんですか」

「強い弱いではないわ。悪魔は狡猾な上に、不老不死なのよ」


 不老不死。唐突な単語に、一瞬思考が止まる。そんな人類の夢のような生き物が、現実に存在するとは。


「あれは神の力でしか殺せない。神の血を引く王族か、女神と同類のはぐれ者か――」


 そこまで口にして、オリヴィアは真っすぐに奏澄を見据えた。


「な、なんですか」

「条件を、変えてあげてもいいわ」

「え?」

「悪魔の首を取ってきてちょうだい。そうすれば、仲間は返してあげる」


 奏澄は絶句した。首を取ってくるなどと。


「無理です。セントラルが勝てない相手に、どうしろと言うんですか」

「あなたにだけ使える手段があるのよ。ついてきなさい」

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