取引-3
眩しいほどの白。またここに戻ってきたのだと、奏澄の心臓が大きな音を立てる。
大丈夫。大丈夫。意識的に、深呼吸をする。
険しい顔でセントラルを見つめる奏澄の頭を、メイズが軽く撫でた。
「今からそれだともたないぞ」
「……うん」
そうだ。まだ、何も始まっていない。これは武者震いだ、と奏澄は手を握りしめた。
「おし、んじゃ乗り込むかぁ!」
「待て」
正規の港にそのまま入ろうとしたロッサを、メイズが止めた。
「本気で正面から乗り込む気か」
「そう言っただろ?」
きょとん、としているロッサに、こちらがおかしいのかと錯覚してしまう。
「そんな目立つことをしたら」
「けどよぉ」
ロッサが親指で港を示す。その先を見て、メイズは目を瞠った。
「アンリはもう来てるぜ」
ロッサが示した先には、竜の海賊旗を掲げた、グリーン・ルミエール号があった。
「ここに来んのも久しぶりだなぁ」
船から降りて、周囲の視線をものともせず、ロッサは大きく伸びをした。
セントラル市民の視線は、何もロッサが半裸だからではないだろう。いやそれもあるかもしれないが。
彼の顔は、広く知れ渡っているはずだ。朱雀の頭が、何故セントラルに。そういう視線だろう。
彼らは自分たちの影響力を知っている。だから不用意に他の海域に踏み入るようなことはしない。
こんなに目立ってしまっていいのだろうか、と奏澄は身を縮こませた。
「おーし、んじゃ司令本部に」
「行くな馬鹿!」
突然、ロッサが後ろから殴りつけられた。乱入してきた人物に驚いて奏澄が視線を向けると、緑色の髪をした男が眉を吊り上げて拳を握りしめていた。
「アンリ!」
大してダメージを受けた様子もないロッサに大声で名前を呼ばれて、その人物――アンリは、顔を顰めて眼鏡を押し上げた。
センターで分けられた、ストレートのセミロング。白いシャツに、シンプルなモスグリーンのロングコート。腰には細身の剣を差していた。歳は四十を超えたくらいだろう。全体的にスマートで、理知的な空気が漂う。
「なんだ、もしかして待ってたのか?」
「そんなわけあるか。騒ぎを聞いて来たんだ。お前に暴れられたら、全部台無しになる」
「台無し?」
「何のために真正面に船をつけたと思っている」
「喧嘩売るため!」
「
一見口論しているように見えるが、テンポの良い会話には慣れが見える。もしかしてこの二人は仲が良いのだろうか、と奏澄は蚊帳の外からやり取りを眺めていた。
「私たちはセントラルの行いに対して、正式に抗議しに来たんだ。きちんと手続きを踏んで面会することで、民間人にも争うために来たのではないとアピールする必要がある。いたずらに怯えさせる気か」
アンリの説明に、ロッサはいまいちピンときていない様子だった。それを見たアンリが、更に青筋を立てる。
「だいたい、非公式に会いに行けば、こっちが消されても文句は言えないんだぞ。あの白虎ですら、喧嘩を売った結果、痛み分けだったのは記憶に新しいだろう」
「エドアルドさんに何かあったんですか!?」
突然割り込んだ女の声に、アンリは視線を下げた。長身のアンリからは、奏澄は見下ろす形になる。
ロッサに向けるのとは違う瞳の温度に、奏澄は一瞬怯んだ。しかし、先ほどの言葉は聞き捨てならない。
「申し遅れました。私はたんぽぽ海賊団の船長、奏澄といいます。白虎海賊団の方々には、以前お世話になったことがあるんです。彼らに何かあったのなら、教えていただけませんか」
アンリは値踏みするような目で奏澄を見ていた。手が出るタイプではないからか、武器に手をかけてこそいないものの、メイズは鋭い目をアンリに向けている。
「これは、ご丁寧にどうも。私は青龍海賊団で船長を務めます、アンリと申します。白虎の件は、当時そこそこ話題になったんですが。ご存じありませんでしたか?」
奏澄は言葉に詰まった。奏澄は、暫くの間この世界にいなかった。その間の話題は、あまり細かく把握していない。赤の海域に出てから耳にした話では、白虎は今も金の海域で変わらず活動しているようだった。そのため、そう大きな被害は無かったのだと解釈していたが。
「おいアンリ、その嫌味ったらしい喋り方やめろよな! カスミはいい奴だ。それはオレが保証する」
「ロッサさん……」
奏澄を庇うロッサに、アンリは眉を寄せた。そして、長い溜息を吐く。
「お前の野生の勘は動物並みだからな……。まぁ、何か企んでいるとは最初から思っていない。それと、役に立つかどうかは別の話だ」
役に立つ。その言葉に、奏澄の心臓がどきりと跳ねた。
それを気に留めた様子もなく、アンリは奏澄を見据えた。
「ロッサが連れてきたということは、今回の件の関係者なんだろう。しかし、足手まといになるようならいるだけ邪魔だ。白虎の件すら知らないような世間知らずではな。事が済むまで、大人しくしていてくれないか。お嬢さん」
アンリの視線に、奏澄は震えそうになる足に力を込めて、きっと彼を睨み上げた。
「嫌です。捕まっているのは、
睨み上げる奏澄を、アンリは黙って見下ろしていた。
やがて、一つ息を吐く。
「……少々意地が悪かった。あなたが、彼らの船長だということは把握している。なんというか、予想以上に……幼かったもので、驚いた。覚悟があるのなら、これ以上は止めない」
「…………あなたの、幼いの定義は、わかりかねますが。一応お知らせしておくと、私は二十代です」
言った途端、アンリが目を丸くした。もはや慣れた反応だが、だからといって何も思わないわけではない。やや不機嫌になった奏澄に、メイズが笑いを堪える素振りをした。
「それは、失礼を。レディ」
今更呼称を変えられたところで、機嫌は直らないが。アンリが冷たい人ではないということは、わかった。あの態度は、子どもを大人の交渉事に巻き込まないようにしたかったのだろう。それが善意なのか、本当に足手まといだと思ってのことかはわからないが。
「無礼の詫びに、先ほどの質問に答えよう。白虎だが、一年と少し前、監獄島でセントラル軍に戦闘をしかけた。両者に被害が出て、白虎の
奏澄は唇を噛みしめた。エドアルドの無事は確認できたものの、やはり白虎も無傷とはいかなかったのだ。奏澄のために、乗組員が犠牲になった。幹部というのは、もしかして、オリヴィアとやりあうことになったアニクだろうか。
「ただこの話には疑問が残る。仲間を取り返すための戦闘だったとのことだが、それにしてはやり口が派手だ。セントラルの側にしても、何故か白虎が襲撃した日には普段以上の戦力が揃えられていた。噂以上の何かがあったと推察しているが、今のところ私には関係が無いので探る気も無い」
四大海賊は別段協力関係にあるわけではない、と聞いてはいたが、なかなかドライだ。たんぽぽ海賊団のことが噂に含まれていないのは、白虎が黙っているからだ。セントラルは自分たちの失態に繋がることなので、話したがるはずはない。ならば、奏澄が口を割るわけにはいかない。それでは白虎の気づかいを無駄にする。
「……教えていただいて、ありがとうございます」
できることなら助けたいが、今は目の前のことに集中しなければ。何もかもを一度に解決することはできない。
「んで、結局どうすんだよ? その手続きってのは済んでんのか?」
「それは私の方でしてある。これから城で謁見予定だ」
「なんだ。ならさっさと行こうぜ」
「だからお前が行くと話がこじれるから……待て、先行するな、止まれ!」
さっさと歩き出したロッサを、アンリが追う。
それを目で追いながら、奏澄はハリソンの側へ寄った。
「ハリソン先生、あの」
「焦らないでください。私なら、大丈夫ですよ」
穏やかに微笑むハリソンに、一つの推測が浮かぶ。もしかして、ハリソンは既に。
「……今すぐは無理でも、この問題が解決したら、助ける方法を考えましょう」
「ええ、ありがとうございます」
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