青いスカートの女

めへ

始動

 

スピードを落とした軽トラックを、中村は素早く左へハンドルを切り、コンビニの駐車場に滑らせた。


コンビニで買ったコーヒーを飲みながら、喫煙所で煙草を吸いつつ時計を見ると、既に六時だというのに空は真っ暗だった。


昨夜は雨で、まだ雲っているのだろう、月も星も見当たらない。


十二月になり、日が昇るのも遅くなった。一月程前は、六時頃にもなれば山の裾から微かな光がもれて、薄暗いながらも朝を感じる空景色であったのに。


ふと右を向くと、コンビニを囲うブロック塀の先に、高い1.5キロメートルはありそうな電灯があり、煌々と光を放っている。

いつもと同じ風景のはずだった。

しかし今日は、そこにいつもと違うものがあった。


その電灯は、まるで俯くような形の先に灯りがついている。


ちょうど灯りのある辺りに、紐のようなものがぶら下がっていた。


ぶら下がった先には人影がある。


首の辺りから紐が付いており、頭は電灯同様に俯き加減だ。

首以外の体はぐったりと垂れ下がり、冬風に揺られていた。


首吊り死体だ、と判断した。


暗い中、それでもその死体は煌々と光る電灯によって、栗色のショートヘアと青いスカートを明らかにしていた。


警察に届け出るべきなのだろうが、面倒なので見なかった事にした。

いずれ誰かが通報するだろう。





その死体が、自分の職場近くに勤める一人の女であったと後から風の噂で知った。


何でも精神疾患、発達障害とかいうのだったそうで、おそらくそれを苦にしたのだろうとの事だ。


彼女の事は何度か見かけた事があったが、どこか、何か足りなさそうな女だと思っていただけに合点がいった。


ろくにセットしてないのか、栗色の髪は常にボサボサで、服装も野暮ったかった。

挨拶されても返事が無く、表情は能面の如しであった。

ああした人間は、外見上の気味の悪さのみならず、仕事においても無能で足を引っ張るばかりだという。


ああいう足手まといが、うちの職場にいなくて良かったと思う。

こっちは自分の仕事だけでも忙しい。余分な賃金を貰うわけでもないのに、無能な人間に時間と労力を払うわけにいかない。

彼女の職場の者達は、彼女が静かに一人で死んでくれてホッとしただろうと思った。


そういえば、うちにも昔、発達障害ではないかと思われる職員がいた。


仕事を見て覚える事ができず、口頭で説明しても理解に時間がかかり、手先も不器用だった。


それでも愛嬌があるなどの、人間的魅力があれば救いがあるのだが、そいつはあの女同様に、無愛想で雑談の一つもできなかった。


仕事に一切関わらせないという形をとっているうちに、辞職していった時は清々したものだ。


仕事は見てやり方を盗む、やる事は自分で見つける、上司の機嫌を取る


自分もそうやって生き残り、今がある。

それができない奴は、切り捨てられ、排除されて然るべきである。



この日、中村は洗いだしの作業をしていた。


細かい石をモルタルに混ぜたものを、手際良く塗り付けていく。


塗り付けている者は中村一人。後輩が材料を練った。

作業範囲が一メートルも無いため、塗り付け作業は自分一人でじゅうぶんだった。


視界が急に、チカチカとした。

まるで真っ暗な中、雷でも間近で光ったかのような光景。


視界の端に女の影が映る。


栗色のショートヘア、青いスカート、目を細め、唇はつり上がっていた。


視界が元に戻った。辺りを見回したがあの女の姿はどこにも見当たらない。


きっと疲れているのだろう。そう考え、作業を続けた。



首吊り自殺した女のいた会社が、いつの間にか潰れていた。


女が自殺してから、従業員らの病気や怪我などの不幸が相次いだ。

盲目になったり、両手、両足を失ったり、脳に重篤な障害を負う者もおり、バリアフリーと無縁なその会社ではやっていけず、多くは精神を病み、自ら命を絶った者も少なくなかった。


会社も経営難に陥った末、社長は精神を病み、首を吊ったという。


首吊り自殺した、あの女の祟りではないかと噂になった。


だとしたら、とんだ恩知らずだ。

役立たずどころか、散々他の職員の足を引っ張り、それでも給料を貰っていた。つまりあの女は、強盗や詐欺のようなものであった。


にも関わらず、周囲は目を瞑り、大目に見て咎めずにいてくれた。その恩を仇で返したようなものだ。

中村は、潰れた会社の社長や他の職員らを気の毒に思った。


会社は取り壊しになり、更地になった。


どこかの会社が土地を買い取り、事務所が建つ事となった。


中村は同僚や後輩と共に、土間打ち作業のため、そこへ来ている。


コンクリートを練る必要は無い。範囲があまりに広大であるため、コンクリート屋に依頼し流してもらうからだ。


深く、広い窪地にコンクリートが流れ込む。


中村の視界がまたチカチカとしだした。


視界の端には、またあの青いスカートをはいた女がいる。

表情は相変わらずで、ニタニタと気味の悪い、そして実に楽しそうな顔をしていた。


生前の彼女がこんな生き生きとしているのを、見た事が無い。

自分が知らないだけで、勤め先やプライベートではあったのか知らぬが、中村の記憶にある彼女は常に、能面の様な無表情であった。



いい加減にしろ!


中村は心中で彼女に怒鳴った。


生前、散々周囲に迷惑かけてきて、死んだ後まで皆の足を引っ張る気か?!


お前も大変だったんだろうが、皆大変なんだよ!

それでも頑張って生きているんだ。


合理的配慮だの何だの、お前一人に労力かけてたら、世の中上手く回っていかない。


これ以上、頑張って生きている皆の足を引っ張るな!





私を切り捨て、排除しなければ上手く回っていかない世の中なんて、社会なんて壊れたら良い。潰れたら良い。



初めて聞く女の声が頭に響いた。


そして次の瞬間、中村の視界が真っ白になった。


「おい、中村どうしたんだ?!早くこっち来て、あれやってくれ!」


どこからか同僚の声が聞こえる。

コンクリートの流れ込む音、人の声、なのにどちらを向いても白い壁しか見えない。


「おかしい…目が見えなくなった?!」


「何言ってんだ!見えるように努力しろ!」


「そんな事言ったって…」と、動かした左足が宙に浮いた。陸が無い。


中村はどこかへ滑り落ちた。

幸い、落ちた先は固い地面ではなく、深い泥水の中だった。


違う、これはコンクリートだ。

窪地に流し込まれていた、コンクリートの海の中だった。



必死にもがき、助けを呼ぶが、誰も気付いていないようだった。


コンクリートが鼻に、口に流れ込む。


あの女の声がした。クスクスと笑っている。




仕方ないじゃない、皆大変だけど頑張ってるんだから。

あなた一人に労力かけてたら、世の中上手く回っていかないんでしょ。

これ以上、皆の足引っ張っちゃだめだよ?



力尽き、コンクリートの中を深く沈んでいく瞬間、女の声だけが響いた。




誰もかれも地獄に叩き落としてやる





















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