プロローグ 長内苺は大人らしい
彼女の名前は
癖のない艶やかな長い黒髪に、同じ高校二年生とは思えないほど小さくて華奢な体つき。それでいて目はくるりと大きく、肌は雪のように白くきめ細かい。
お人形。
彼女を一言で表すとするならば、これ以上に適切な表現はないだろう。
外見もさながら内面すらも愛嬌に溢れる苺は、蒼依の所属する二年一組にて妹のように可愛がられる存在。言ってしまえば、クラスで一番の人気者だった。
「苺ちゃーん。また先生に叱られちゃったよー」
今日もまた、とある女生徒が癒しを求めて苺の元へ。
「傷ついたあたしを癒してー」
「はいっ、頬っぺぷにってしていいよ?」
「うわぁぁん、マジ苺ちゃん天使すぎー」
突然のことにも全く動じる様子のない苺。
開いていた本をすぐさま閉じ、笑顔と共に差し出したのは、まるでお餅のように白く、触り心地のよさそうな頬だった。
「ふわぁぁ、超癒されるぅぅ」
「いひひっ、くすぐったーい」
「こんなに可愛くてテスト学年一位とか、天は荷物をを与えましたなぁ」
「それを言うなら二物だよぉ」
欲望のまま頬をむにっとされても、苺は決して嫌がる素振りを見せない。
むしろ嬉しそうに笑う彼女からは、もっとたくさん触れてほしいという甘えたがりな一面すら見てとれた。
「よしっ、めっちゃ元気出た! いつもありがとね、苺ちゃん!」
「えへへ、どういたしまして」
無邪気でとっても可愛らしい。みんなが求める理想の妹。
誰もが苺をそう表現し、そんな彼女に多くの人が癒しを求めた。
そして苺自身も、その期待に完璧なまでに応えてみせる。
これが蒼依の所属する、二年一組の日常だった。
長内苺は少し変わった女の子である。
そんな印象を抱いているのは、きっとクラスで蒼依ただ一人。
「じゃあね、苺ちゃん!」
「うん! また明日ね!」
クラスの誰もが信じている。この無邪気な笑顔が苺の素顔だと。
「ねぇ苺ちゃーん。最後にもう一回頬っぺたぷにってしていい?」
「もー、仕方ないなー。はいっ、どうぞー」
クラスの誰もが信じている。子供らしい彼女こそが本当の苺だと。
「やっぱり苺ちゃんはあたしたちみんなの妹だね!」
誰もがそう信じて疑おうとはしない。
それはきっと苺がお人形のような姿形をしているから。その外見に似合う無邪気な笑顔を見せるから。目に見える情報が全てだと、クラスの誰もが思い込んでいる。
「やっぱり変わってるよな、長内さんって」
クラスメイトと戯れる苺を前に、蒼依はポツリと本音を漏らした。
誰もが日常とするこの光景に、どうしても違和感を覚えてしまう。
それはきっと、蒼依だけが知っているから。
理想の妹たる長内苺の裏の顔を。教室とは真逆の大人らしい彼女を。
* * *
「ねぇ、長内さん」
放課後の図書室。
蒼依はついに覚悟を決めた。
人気者の苺に教室で話しかけるのは少し難易度が高い。
蒼依が疑問を晴らすタイミングがあるとするなら、図書委員の仕事で苺と二人きりになったこのタイミングしかない。
「長内さんってさ、ちょっと変わってるよね」
緊張により高鳴る胸の鼓動を抑えながら、蒼依は意を決して言った。
「それはどういう意味かしら」
「ああいや……ごめん。悪口とか、そういうわけじゃなくてね」
でも、少し言葉選びを間違えたような気もする。
横目で苺に睨まれた蒼依は、慌てて言葉を付け足した。
「長内さんって、教室では凄く明るいし元気でしょ? でも図書室だといつも大人しいから、どっちが本当の長内さんなのかなーって」
今、蒼依の目に映っている苺は、教室のそれとは全くの別人だった。
度々見せる無邪気さや子供っぽさは一切なく、むしろ静かに本を読むその姿勢からは気品さえ感じられる。纏う雰囲気はまるで年上のお姉さんようだった。
「なるほどね。確かに水城くんの疑問は最もだわ」
さらに言えば口調すらも普段とは違う。
少し前に読んだ異世界小説に登場した、貴族の令嬢のようだと思った。
教室での彼女とのこのギャップこそが、蒼依が苺を変わった子だと言う理由であり、ずっと気になって気になって仕方がなかった、彼が抱いた疑問の正体でもあった。
「今の長内さんを知ってるから、教室での姿がどうしてもしっくりこなくて」
「そうね。私は教室で妹を演じているから」
ここで、思いもよらぬ言葉が苺から飛び出す。
「演じてる? あの妹キャラを?」
「ええ」
「ということはつまり、今の長内さんこそが本当の長内さんってこと?」
「まあ、そういうことになるわね」
蒼依が食い気味に尋ねると、苺は平然と頷いて見せた。
確かにそれなら教室とのギャップにも説明はつく。
でも、わざわざそんなことをする理由がわからない。
「どうして妹を演じたりなんかしてるの?」
続けて蒼依は、新たに生まれたそんな疑問を彼女に投げる。
「長内さんって、教室でも本を読むくらいの読書好きだよね」
「ええ」
「なら本当は、図書室みたいな静かな場所で本を読みたいんじゃない?」
「どちらかと言えばそうかもしれないわね」
「みんなに妹扱いされたりだとか、そういうノリ、嫌だったりしないの?」
これは事実がはっきりしたからこそ出た当然の疑問。
今の苺が本当の姿だというのなら、それは教室の時とは全くの真逆と言える。
普通に考えて、無理して妹を演じているように思えてしまう。
「確かに私は静かな空間が好きだし、複数よりも一人で居る時の方が落ち着くわ」
「じゃあ――」
「でも」
蒼依の言葉を遮ると、苺は開いていた本を閉じた。
そして、蒼依の目を真っ直ぐに見つめながら断言する。
「嫌じゃないわ」
それはとても力の籠った一言だった。
「私が妹を演じれば、クラスのみんなが喜んでくれるもの」
「それは……そうかもしれないけど」
「今日だってたくさんの人が素敵な笑顔を見せてくれたわ」
確かに苺が妹を演じることで、喜ぶ人はたくさんいる。むしろ彼女が妹であることを辞めてしまえば、クラスに何かしらの影響が出てしまうのは確かだろう。
「誰かを喜ばせるためなら、あんな風に可愛がられるのも嫌ではないの」
ある意味それは、みんなに求められた苺の役割。
放棄すれば、きっと良くない方へと環境は変わる。
もし彼女がそれら全てを正しく理解した上で、妹を演じているのだとしたら。長内苺という女の子はかなりの演技派で、そしてかなりのお人よしなのだろう。
「全く我慢していないと言ったら噓になってしまうかもしれない。でも私一人の小さな我慢でクラスのみんなが幸せになれるのなら、わたしは断然そちらを選ぶ」
そこまで言って、苺は手元の本に視線を戻した。
そして優しく微笑みながら呟く。
「私が私で居るのは、本に触れている時だけで十分なのよ」
神妙な声音で語られたそれには、何か深い意味が隠されている気がした。
それが何なのかはわからない。
彼女の吐いた一言は、愛嬌のある見た目からは想像がつかないほど重く、クラスメイトに対する確かな配慮があった。
「長内さんって大人だね」
「そんなことないわ。私は水城くんと同じ十六歳よ」
「歳はあんまり関係ないと思うけど……」
見た目は可愛らしいお人形。でも中身は年上のお姉さん。
これが放課後の図書室で露になる、長内苺の真の姿。
「それより水城くん。今のうちに本棚の整理をやってしまいましょう」
「ああうん。手伝うよ」
そんな苺の素顔を知るのは、蒼依ただ一人だけ。
図書委員という些細なきっかけから始まったこの二人の関係は、今日もまた、秘密裏にそのページを増やしていくのだった。
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