Case.6 訪問者

「おいっ!あれ、どこだったか?」

「もう、お父さんたら、七五三の写真は戸棚にしまうっていったじゃないですか」

「あー、そうだった。そうだった」

「もう、本当に。ぼけるのは早すぎますよ」

「ばか、なーに言ってるんだ。この前の免許更新の認知テストは満点だったんだぞ」

「はいはい。じゃあ、お昼にしますよ。そこ、新聞とか片してくださいな」

「お前こそ、陶芸教室、もう行かないと間に合わないんじゃないか?確か一時スタートじゃなかったか?」

「あっ、そうでした。そうでした。私、勘違いしてたわ。いつものように二時始まりだとね。お父さん、ごめんなさい。お昼は適当に食べてもらってもいいかしら?」

「いいよいいよ。早く準備しな」



 これが年を取ったということなのだろうか?

 俺と妻の真菜代は二人で一人。どちらも相手のことを補うことで上手く生きている。

 

 俺が丁度三十の頃に結婚したから、もう今年で五十年になるのか。それにしても、長い時間を共にしたもんだ。

 若い頃は、俺のサラリーが低く、こいつには本当に苦労をかけたな。子どもは二人、男、女と年子で大変だったが、賑やかな生活は本当に楽しかった。それに、二人ともいい子に育ってくれた。今は、東京で家族を持ち、仲良く過ごしていることが俺の密かな自慢だ。


 そんな事を思いながらインスタントのラーメンにお湯を注ぎ食べていた時だった。


『ガシャン』


 なんだあの大きな音は!?


「おーい、どうした?真菜代?」


 呼んでみるが返事がない。

「おいおい、どうしたんだい。ラーメン伸びちゃうよ」とぶつぶついいながら玄関へ続く扉を開けると、真菜代が倒れていた。



- - - - - - - - -



「それにしても、突然で…。言葉もございません」


 陶芸教室の仲間達がみんな涙を流しながら挨拶をしてくる。

 本当に、そうだよ。余りにも急すぎる。もう少し俺にも準備をさせてくれれば良かったのに…。ぎこちない笑顔でもちゃんとお前を送り出せただろうに。

 

 真菜代は人気者だった。だから家族葬って言ったはずなのに、こんなに多くの人が弔問に訪れてくれた。

 なのに、俺はただ、ただ、黙って頷くことしか出来なかった。


「真菜代、俺は、これからどうしていけばいいんだよ」


 そう遺影に言葉をぶつけても彼女はずっと笑顔で俺を見つめ返している。

 


 四十九日も終わって、なんだか一区切りがついた。だが、逆に、静かすぎて、なんだか発狂しそうだ。


「俺はこれからどうしていけばいいんだよ!!」


 考えても何も浮かばない…。だが、それも無理はない。だって、いつもは真菜代が俺の事をさりげなく導いてくれていたんだ。それがないから今の俺は、糸が切れた蛸のようにふわふわとしているみたいな気がした。



 「お茶でも湧かすか」そう言いながら立ち上がり、ふと、庭の方を見ると、ピンと垂直に立った黒い尻尾が『とっとっと』と右から左へ動いて行った。


「あっ!もしかして!」


 真菜代が亡くなる数週間前、暇を持て余していた俺は、ミニトマトの苗を数本植えた。苗を買ったホームセンターの兄ちゃんからは、「二ヶ月もすれば美味しいミニトマトが出来ますよ。だけど、注意して欲しいのが、アブラムシと猫のおしっこです。すぐに枯れてしまいますからね」とアドバイスを受けていたので、まず、毎朝、苗をチェックして、アブラムシがついていたら、使い古した歯ブラシで擦り落とした。だが、猫のおしっこについては、この辺りは野良猫はいないからと何の対策もしてなかったのだ。


 俺は、慌てて、庭に飛び出す。

 すると、ミニトマトの苗の近くに、ついさっき出したであろう黒い塊が三個落ちていた。


「次、見かけたら承知しないぞ。くそったれ」


 俺は、毒づくと、もう一度辺りを見渡す。

 さっきは黒い尻尾しか見えなかったので、どんな猫なのかもわからない。まずは、敵をしっかりと知らないと事は始められない。

 俺は、それからは、何をするにもまず庭の方をチェックするようになった。



「か〜〜!!まただ。いつの間に!!」


 猫が嫌いと言われているペットボトルに水を入れたものをミニトマトの周りに五本ほど並べたが正直、全く効果は無かった。まるで、あざ笑うかのように、ペットボトルの近くに黒い塊が数個落ちている。


 朝からずっと見張ってたのに、相手もなかなかやるな…。

 でも今度は負けないぞ。負けてたまるか!


 俺は、庭に続く窓のカーテンをゆっくりと閉める。

 そして、明日こそはなんとしても必ず…と思うのだった。



 だが、俺が相手にしている野良猫は余程知能指数が高いらしい。とにかく、俺が繰り出す仕掛けを全て突破しては、必ずミニトマトの苗の近くに黒い塊を落としていく。

 

 そうこうするまに、あれよあれよと時間は過ぎていった。

 そして、俺の小さな庭には、赤やオレンジ、緑色の小さな実がたわわになって、ぱっと見ると農家の畑のようになっていた。

 ここまで見事に実がつくなんて思っても見なかった。だって、ホームセンターで一つ五百円で買った苗だぞ!?凄いんじゃないかこれは…。


 早速、俺は、息子から貰った液晶端末で写真を撮って、これまた息子に書いてもらった操作手順をみながら、ラインを立ちあげ、試行錯誤の末、一枚の写真を送った。


【父さん、凄いじゃん!!】

【そうだろう。俺もびっくりだよ】

【お母さんがいたら喜んだだろうね】

【ま、そうかな】

【ごめんごめん。落ち込むなよ】

【ばか、もう元気だ。俺は】

【話変わるけどさ、父さんが目の敵にしていた猫がいるじゃない?】

【おう、そうなんだ。あいつは結局俺には姿を見せないんだよ】

【もしかしたらだけどさ】

【なんだ?】

【その猫の排泄のおかげでこんなに立派に育ったってことないかな?】


「あー、えー、はぁー!!!」


俺は、一人で叫んでいた。

確かに、言われて見たらその可能性もなきにしもあらずだった。

にっくき野良猫野郎と思っていたが、もしかして、こいつのおかげでこれだけの実がなったのかもしれない。


【そうかもな】

【そうだよ。今度、お礼しなきゃな】

【ばーか、どうやってお礼するんだよ】

【どの猫も好きなおやつがあるんだよ。チュールっていえば店の人も分かるはずだから今度そいつにあげたら?】

【まあ、わかった。でも、姿を見せないから無理かもしれないけどな】

【うん。でも、元気そうで安心したよ。体調には十分気を付けて】

【お前らもな。ありがとうな】

【うん。今年の正月は帰省するから】

【おう。楽しみにしている】

【おやすみ】

【おやすみ】



 翌日、俺は、息子に言われたチュールとやらを購入すべく、近くのペットショップに出向いた。店の女性スタッフが案内してくれたコーナーには、とにかく沢山の種類が並んでいて目移りしてどれにしていいか分からなかった。


「すいません。猫が喜ぶのはどの味ですかね?」

「え〜、そうですね〜、正直、ぜーんぶ好きだとは思いますけど、『本マグロ入りまぐろ』というのが最近は人気ですよ」

「猫が本マグロですか?いやぁ〜、そりゃぁ猫も喜ぶでしょうな」

「ふふっ。そうですね。きっと喜ぶと思いますよ」

「じゃあ、これを貰います」


 俺は、小さな袋を大事に胸に抱えるとペットショップを後にした。

 その時、ふと、今まで一度も考えなかったことが頭によぎっていく…。

 

 「もしかして、今まで一度も姿を見せなかったあいつは、俺とわざと追いかけっこをしてくれたのではないだろうか?真菜代が急に死んでしまってぽっかりと空いた穴をあの野良猫が埋めてくれたのではないだろうか?」


 あー、そうか…。合点がいった。

 きっと、俺が寂しがると思って、きっと真菜代が天国で手配をしたのだろう。

猫さんや、ちょっとうるさいお爺さんだけど、相手をしてやってねって感じで…。


 それにしても、真菜代はいつも手際がいいな。本当に…。


 きっと、今日、その野良猫と会うことができる。

 何故か、確信めいたものがあった。


「俺の手からチュールを食べてくれたらいいな…。そうだ、名前はなんにしようか?冬は寒いんじゃないかな?さて、どうしよう?」


 次々と浮かんで来る未来に俺は少しだけ急ぎ足になって家路へと向かった。




Case.6 訪問者

終わり




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