第5話 港町カタニア

 出発を前に装備の最終点検をしていた。


「マルヴィナ、これも持って行きなさい」

「え、なにこれ?」

母親が持ってきたのは、黒に近い紫の鞘に入った短めの剣と、真っ黒なドクロをかたどった大きなペンダントで、どちらも古めかしくて天井裏にでもしばらく置いてあったかのようなカビた臭いがした。

「えー、こんなの持ってくの?」

マルヴィナは神聖屍道士の正装である紫のローブを着て背中に荷物のはいったバックパックを背負い、手には護身用の長めの杖をもって準備万端のつもりでいた。

「屍道士に必須のアーティファクトよ」

そう言って母は趣味の悪いペンダントをマルヴィナの首にかけ、専用の留め具を使ってマルヴィナの腰に締めたベルトに剣を引っ掛けてしまった。

「このペンダントは何か効能とかあるの?」

「効能? うーん、お母さんはあんまり使ったことないからねえ。まあ、何かあるんじゃないかしら。ずっしり重いから肩は凝りそうだけど」

何にも効能なかったらその辺に捨てていくからね、とぶつぶつ言いながらマルヴィナが家を出る。


「あ、あとその剣ね、鞘からけして抜いてはいけないって言い伝えだから、気をつけてねー!」

鞘から抜いてはいけない剣ってなんなの、どうやって使うの、とぶつぶつ言いながら隣の家に向かうと、すでにヨエルが家の前で待っていた。

ヨエルもどこかから借りてきたのか、ごつい皮鎧に長いホンモノの槍と小さな盾、そしてマルヴィナと同じようにバックパックを担いでいる。

「マルヴィナ、行こうか!」

ヨエルもそういう本格的な格好が出来て気分がいいようだ。

「ようし、じゃあ、港町カタニアに向けて、出発!」

まず村はずれから歩いていくのだが、早朝のためかほとんど人に会わずに村の西門から出ることになった。ここからしばらく歩くと海岸沿いの道になる。

「私、カタニアに行くの久しぶりだなあ」

「僕は仕事の関係で週に一回ぐらいは行くけどね。その時はたいてい商品の花と一緒に馬車に乗るけど」

天気は雲が太陽を隠していて雨は降りそうになく、海から来るのだろう風が涼しくて歩くのに丁度よかった。

「カタニアって歩くとどれぐらいだっけ?」

「馬車で一時間でしょ、歩くと確か二時間はかかるかな」

「……、けっこうあるね、でも、私たちなら大丈夫でしょ」

「うん、早く着いてカタニアの町長と話そうよ!」


そこから、港町で時間が余ったらどこ行く、などと雑談をしていたのだが、三十分も歩くと二人とも特に話すこともせず黙々と海岸線を歩く。景色もよくとても気持ちい海風が吹いているのだが、二人ともそれどころではない感じだ。

ヨエルがやっと口を開く。

「槍ってけっこう重いんだね」

「うん」

「もっと軽くて小さいのにしてもらえばよかったかな」

そう言いながら、また持ち方を変えるヨエル。楽な槍の持ち方を探っている感じだ。

「うん」

「今回は盾はいらなかったかも」

「うん」

マルヴィナのほうは、重い呪文書を家に置いてくればよかったと後悔し、もうあまり喋りたくない感じで生返事しか出ない。必要な呪文は一応憶えているし、念のためにバックパックに入れたのが裏目に出てしまった。肩に食い込むバックパックのベルトがやたらと痛い。

そこからさらに歩いて、村を出てから一時間半が過ぎようとしていたころ。

二人ともかなり疲労の限界が近づいていたのだが、海と反対側の側道から何かがやってきた。二人の表情に希望の光が宿る。

「君たちあっちのネルリンガー村から来たのかい? もし良かったら乗っていくか?」

ロバが引く小さな荷馬車に人の良さそうな農夫が乗っていた。

二人ともぜひ乗せて下さい、ということで、かぼちゃなどの野菜を積み直して少しスペースを作ったところに座ることにした。荷馬車が走るスピードは歩く速度とあまり変わらないが、こっちのほうがぜんぜん楽だ。

「なるほど、それは大変だね、あれだったら町長のいる場所まで乗せていってあげよう。それに君たち、夜はランプサ亭に泊まるんだろ? あそこの海鮮料理は絶品だよ」

農夫からそんなことを聞いてマルヴィナとヨエルの二人も一気に気分が盛り上がって来た。早く町長から支援の約束を取り付けたら、夜の豪華な食事に備えるしかない。


 三十分ほどで港町カタニアの役所に着いて、町長と会うことができた。町長は比較的若く、そしてでっぷりと太っていた。

「支援は難しいな。どの町や村も同じだと思うが、今は大陸に兵を取られて人手が本当に足りない。ただし、城下町に行ってみるのはおすすめする。人口がこの島でも一番多いから、期待はできるかもしれん」

マルヴィナとヨエルの依頼はあっさりと断られた。一応この港町一番の剣士を紹介するから待っていろと言われ、役所のロビーで待つことにした。簡素な木造の建物で窓から日が差し込んでおり、ふだんからそうなのか人はいない。

「はあ、やっぱりこの時期応援を頼むのは難しいのかなあ」

ヨエルがため息をつく。

「本当はあの町長、ネルリンガー村がどうなってもどうでもいいんでしょ」

「マルヴィナ、あんまりそんなこと言っちゃだめだよ」

ヨエルが近くに誰かいないかあたりを見回した。町長は剣士に誰か使いを出したあとに自分の執務室にでも戻ったようだ。

「どうせその剣士だって適当にひ弱なの紹介しといて諦めさせるんでしょ」

そんなことを言っている間にふいに誰かが声をかけてきた。足音がまったくしなかったので驚いた二人は慌ててそちらへ振り返る。

「君たちか、ネルリンガー村から来たと言うのは」

黒い胴よろいに紺のマント、長い髪を後頭部のあたりで縛って整った精悍な顔立ちは日に焼けていかにも強そうだが、その腕の太さから鎧のしたの体もかなり鍛え上げられていることが容易に想像できた。背丈はマルヴィナとあまり変わらないのだが、かなりの腕前だろう。

「僕がカタニアの剣士二コラだ。よろしく」

そういって差し出された手を握り返すマルヴィナ、その不思議な瞳の雰囲気に、マルヴィナの態度もすっかり変わってしまう。

「ネルリンガー村のわたくしマルヴィナと、そしてこちらが付き人のヨエルでございます」

「今回の件、応援に行けなくてまことに申し訳ない。お詫びとして僕が通う道場に案内して、持っている技術を少し紹介させてもらおう」

「ええ、支援の件はまったくお気になさらないでけっこうです、剣士二コラ。道場見学の件は時間もあるので謹んでお受けいたしますわ」

横でマルヴィナの変わり様に少しドキドキしながらも様子を見ているヨエル。

「では、参ろうか」


 道場は大きな屋敷になっており、いったん別室で簡単な昼食を摂らせてもらうことになった。

質素な料理だったが、そのあとおそらく体を動かすことになりそうなので、そのほうが良さそうだ。食後の休憩をしながら、二コラに今回の経緯を説明する。二コラも真剣な表情で聞いてくれた。

「そうか、それは災難だな……、しかしその話、なんとなくワクワクするような興奮も感じる。あ、いやすまない、当人たちを前に不謹慎だったが」

とニコラは頭をかきながら謝りつつ、

「ただ、強い味方を集めて強力な敵に挑戦する、そういうシチュエーションに僕は少し憧れるんだ」

興奮気味に話しながら、二コラが道場へ案内してくれた。

そこは、石畳の中庭と、豪華な瓦葺きの屋根に膝ぐらいの高さに建てられた板の間の広いオープンスペースで出来ていた。

「そこにいるのが僕の師匠だ」

そう言って板の間の奥のほうに座っている小さな老人へ軽く一礼する二コラと、それを真似てお辞儀をするマルヴィナとヨエル。老人はニコニコと笑っている。

「僕は一応剣士ということになっているが、実際は隠密術や殺人術を習得している。つまり、一瞬で相手に接近して倒し、そして離脱する技術だ。いわゆるアサシンというやつだな」

君たちはアサシンとの戦い方を知っているかな? という問いに首を横に振るマルヴィナとヨエル。

「じゃあ中庭で、実戦も想定した簡単なゲームをやってみよう」

そう言って二コラは、マルヴィナをヨエルの後ろに立たせた。


「アサシンはたいてい装備の弱い魔法使いを狙う。マルヴィナは僕に接近されないように、ヨエル君も僕をマルヴィナに近づけさせないように動いてみてくれ」

そういうと二コラは練習用の短刀を構え、ヨエルの正面から左右へゆっくり動いてみせる。マルヴィナはその二コラの動きを見ながら、うまくヨエルを盾にするように移動する。ヨエルもアサシンを通させないように警戒しながら相手を正面にとらえる。

「そう、盾役をうまく使ってアサシンとの距離をとるんだよ。じゃあ少し早く動いてみるからね」

そう言いながら同じ動きを続ける二コラ。

その瞬間、二コラがヨエルから見て右側へ素早く動く。ヨエルはとっさに反応してそちらへ体を寄せるが、二コラのその動きはフェイントだった。反対側へ体を切り返すと、そのままヨエルを突破、マルヴィナの正面から低い姿勢で滑り込み、マルヴィナの背後をとった。

気付くと、木の短刀をマルヴィナの喉に当てて、マルヴィナの右腕も極められて動けない。

「うそ……」

「よし、もう一回やってみよう」

二コラの腕の極め方がうまいのか、離してもらうとほとんど痛くないことに気付くマルヴィナ。もう一度同じようなかたちでやってみる。

すると、やはり十秒も経たないうちに突破される。

そのあと二コラは、跳躍でヨエルを飛び越えてみせたり、股をくぐってみせたり、ヨエルをこけさせてみたり、ヨエルごと押し込んでみたり、色々なやり方で盾役のヨエルを突破してみせた。

練習を始めてから一時間ほどが経過した。


「よし、今日はここまでにしよう」

ヨエルとマルヴィナは息を整えるのがやっとだが、二コラは少しも息を乱していない。板の間に腰かけて、気付くと水の入ったコップが人数分置いてあった。

「本来アサシンは、盾役の正面から戦いを挑むことはない。それよりも、見えない位置から装備の薄いメンバーを狙っているから、特に魔法使いは戦場での自分の位置、相手の位置、アサシンがどこかに隠れていないか常に気をつけないといけない」

「うーん、でも私、今日のやってみて、自信ないなあ」

マルヴィナは少し落ち込んだ様子だ。

「確かに、実戦はこれよりもっと複雑になる。でも大丈夫だ、慣れの問題だよ」

すると、マルヴィナは何かを思いついたようだ。

「二コラは、将来何になるの?」

「え? 僕かい? 僕は、大陸のハンターギルドのいくつかから内定はもらっているよ。一応剣士を名乗っているけど、ギルドはハンターギルドが一番向いてそうなんだ。もう少しここで修行してから最終的には決めるつもりだけど」

「え、すごい……」

大陸のハンターギルドの内定をもらうのがどれだけ難しいのかよくわからないマルヴィナだったが、とりあえず将来を決めているということだけでもすごいと思った。

「君はどうするんだい?」

「え、わたし? 私は……、屍道士になるのかな?」

「凄いじゃないか、きっと素晴らしい使い手になれるよ」

二コラのその不思議な眼差しで見つめられながらそう言われると、マルヴィナもなんだかやれそうな気分になってくるのだった。


そのあと二コラは、重そうな皮鎧を外して下に置き、髪をほどいた。そしていったん奥へ入っていって、しばらくしてまた戻って来た。

「あれ?」

戻ってきたニコラを見てマルヴィナが少し驚いた声を出した。

「どしたの」

ヨエルが聞くと、

「胸がある」

と二コラを指さして口がぽかんと開いているマルヴィナ。

確かに、二コラの衣服の胸の部分が膨らんでいる。マルヴィナは自分のと二コラのを見比べているが、二コラのそれのほうが明らかに大きかった。

二コラも何を言われているのか気付いたようで、

「ぼ、僕は女だ、胸があってあたりまえだ」

と少し顔を赤くして、胸を隠す素振りをした。

「そうなんだ」

なぜかマルヴィナは残念そうだ。

「とにかく」

二コラはなんとか気を取り直して、

「その悪い魔法使いをぶっ倒したら、またおいでよ。もっと実戦を想定した練習をしたら、もっと強くなれる」

「うん、がんばるよ」

それに、とニコラが小声で付け加える。

「ここの町長は図体がでかい割に小心者なんだ、僕の師匠から頼んでもらえば応援もなんとかなるかもしれない」

「わかった、ありがとうニコラ」

同じように小声で感謝するマルヴィナだった。


 その後、二コラと別れたマルヴィナとヨエルは、宿屋に泊まり、そして翌日カロッサ城下町をめざすことになる。

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