第3話 休日の海岸

 マルヴィナは朝から張り切っていた。

「ようし、準備万端」

朝から洗い物や洗濯や掃除を終え、外に出かける準備もできた。

「行ってくるよ」

「ちょっとマルヴィナ、あなた出かけるのはいいけど、その格好どうにかならないの?」

マルヴィナは右手に杖、左手に小さな盾のようなものを持って、腰に木の長剣と短剣を挿し、食料の入った小さなバックパックを背負って小さな水筒もたすきに掛けていた。

「なんかもっとマシな服はなかったの?」

母親が言っているのはどうやら服のことのようだ。マルヴィナはもう自分で町に出て服を買うようにしているのだが、そのセンスがいまいちのようだ。なにやら唐草模様の深緑のズボンに、別の唐草模様の淡い桃色のシャツを着ている。

「何か変かな?」

「まあ、町に行くわけじゃないだろうから、お母さんはかまわないけど……」

「うん、じゃあ行ってきます」

そうして家を出てすぐに隣のヨエルの家に寄った。

「ヨエルー、いるの?」

「いるよ、今いくから」

家の中から返事が返ってくる。


ヨエルも同じように手にごついグローブのようなものをはめて、腰に木剣、右手に木の槍のようなもの、左手に木盾を持って家の玄関から出てきた。

「ようし、装備の確認をしたら、まず裏山から行ってみよっか」

マルヴィナが大将役ということでヨエルを先頭に山道を歩きはじめる。道は左右を木に囲まれていて風も吹いており気持ちよかった。

所々で鳥や昆虫や花を見つけては立ち止まって観察する。

「ヨエルは将来何になるの?」

「うーん、僕はたぶんお母さんと同じように花屋をやることになるのかなあ」

「なるのかなあって、他に何かやりたいことはないの?」

「うーん、花屋はそれなりに楽しいし、マルヴィナはどうなの?」

「え、私? うーん……」

「屍道士になるんでしょ」

「屍道士なあ」

正直今のところ屍道士でお金を稼いで食べていける自信はまったく無かった。

山頂のひらけた場所に辿り着くと、日がやや西に傾き、大陸のほうは雲が少しかかっていた。海側は遠くのほうがやや霞んで見える。

「私、本当は歌姫になりたいんだ」

「それ、僕初めて聞いたよ?」

マルヴィナはいつもやるように、遠くの海のほうを向いて歌い出した。この村に古くから伝わる鎮魂歌だ。

「でも、確かにここに来るといつもこの歌を歌ってたね……」

ヨエルも聞き入っているが、マルヴィナの歌がうまいのかどうかはよくわからない。だけど、マルヴィナが歌っている間は周りのあらゆるものが元の場所に整って、静かに聞き入っているような気がしていた。

「じゃあ、浜まで走って降りよう」

そう言ってヨエルの返事も聞かずに走り出すマルヴィナと、慌ててついていくヨエル。浜への下り坂はなだらかで走って降りてもそれほど危険はない。海からの向かい風が肌に少し寒いぐらいだ。


 浜に着くと、人気はなかった。ふだんからあまり人が来ない浜で、若い子たちは休みの日は出かけるにしても隣の港町やそこからさらに先の城下町へ行くのだ。

砂浜の広くて良さそうな場所を見つけると、二人とも準備運動を始めた。

「今日は何で勝負する?」

「今日は僕は大陸の覇者、教国の青い龍、将軍ベルンハルトだよ」

「ようし、じゃあ私は大魔法使いやるから、存分に掛かってきなさい」

そうやってマルヴィナは杖、ヨエルは木剣で打ち合う。

「ほら、ぜんぜん力入ってないよ、真剣に打ち込んできなさい!」

ヨエルが思い切り打ち込んできたところをマルヴィナがうしろにかわしたので、勢い余って砂上に手をつくヨエル。

「ほら、転んでもすぐ立って」

そうして数回打ち合ううちにマルヴィナも飽きてきたのか、

「じゃあちょっとその槍を構えてみなさいよ」

と言って、自分は木剣を持って対峙する。

マルヴィナが踏み込んで剣で攻撃しようとするのだが、槍の穂先が邪魔してなかなかうまく踏み込めない。

「じゃあ本気出すよ」

そう言ってマルヴィナは思い切り勢いをつけて走って飛び込もうとしたとき、槍の穂先が見事にみぞおちあたりに当たった。声も出せずうずくまるマルヴィナ。

「わっ、ごめん、大丈夫?」

あわてて槍を捨てて駆け寄るヨエル。槍は木製で穂先も尖っていないのだが、それなりの勢いで当たると手製の防具だけにそれなりに痛い。

なんとか呼吸ができるようになったのかマルヴィナが「痛ーい」と声を発したので、ヨエルは少し安心した表情になった。

「槍って長いだけにけっこう手強いわね、私も反撃するよ」

と言って痛みの呪文を詠唱しだした。胸が傷んで息が苦しくなるやつだ。ヨエルが慌ててさえぎる。

「わあ、ほんとの呪文はなしだよ」

わかったよ、と言ってマルヴィナは詠唱を止めた。


 近くの岩場に座って少し休憩することにした。

「学校はどうなの?」

「新しい先生が来てから、少し面白くなったかもしれない」

「マルヴィナは来年、別の学校に進学するの?」

「たぶんお母さんはそれを望んでいるのだろうけど」

マルヴィナはそこでため息をついた。

「実は……、魔法学校にしろどの学校にしろ、真剣に勉強してる自分をあまり想像できないの。でもね、新しい先生が、大陸の魔法学校受験を進めてくれたんだよ」

「へえ、それはすごいね。僕も、マルヴィナならなんかやってくれそうな気がするんだ」

表情が明るくなったマルヴィナだったが、すぐに怪訝な顔に。

「ねえ、なんか聞こえない?」

遠くのほうから人が騒いでいるような音がする。

「ちょっと行ってみよう」

二人で音のするほうへ歩いていく。すると、砂浜のはしのほうの小川の横で人が集まっているのが見えた。

近づいてみると、どうやら焚き火をしながら食事をしているようだ。都会風の若者が十人ほど、ふだん見ない顔ばかりなので、おそらく大陸から来た旅行者だ。

「君たちー、おいでよ。一緒に楽しもうよ」

その中のひとりが声を掛けてきたので、マルヴィナとヨエルは加わることにした。大きな焚き火の周りで色々なものを焼いているようで、朝からあまりちゃんと食べていないこともあっておなかが空いていて、かつすごく美味しそうなにおいが漂っていたのだ。

「きみたちはどこから来たの? 僕たちは教国の首都ビヨルリンシティから来たんだよ」

「私たち二人は近くの村に住んでるのよ」

「へえ、そうなんだ、いいとこだねここ」

そういった感じで、始めのうちは友好的な雰囲気に見えたが。

「そろそろ飲もうか!」

若者のうちの一人が言い出した。それに合わせて、いいね、という声も聞こえてきて、なにか缶に入った飲み物をたくさん持ってきた。そばの小川で冷やしていたようだ。

「きみたちも一緒に飲もうよ」

「これ何?」

「麦酒だよ。田舎じゃあ売ってないの?」

「僕たちお酒はまだ飲めないよ」

そう言って断るヨエル。

「へえそうなんだ、可哀そうに。美味しいんだよこれ」

と言って若者たちはその麦酒の缶を開けて飲みだした。マルヴィナは、若者たちが自分と同じぐらいの年齢だと思っていたが、どうやらもっと上のようだ。確かに身長は高いのだが、みんな痩せていて華奢だから若く見えたのだ。


お酒が入ってくると少し雰囲気が変わって来た。女の子たちがマルヴィナに質問してくる。

「ねえねえ、その服どこで買ったの?」

「っふふ、むしろ斬新よね」

最初の友好的な雰囲気から一転して、明らかに馬鹿にしている空気が漂って来た。あるいは、最初からそうだったのにマルヴィナたちが気付いていなかっただけかもしれない。

「田舎のひとってどこで遊ぶの? 僕たちも外の遊びに飽きたから、そろそろ遊べる場所がほしいんだよなあ」

マルヴィナにはこの若者たちが都会でどんな遊びをしているのか想像もつかなかった。少なくとも、自然の中で冒険者ごっこはやっていなさそうだ。

「君たちもさ、若いうちにもっと楽しんだほうがいいよ」

「年をとってもろくなことがないからね、とにかく今だけを楽しむんだ」

若者の何人かは麦酒をたくさん飲んだためか、そこらじゅうで奇声をあげながら騒ぎはじめ、残った若者はそれを見てケラケラと大笑いしている。

「この人たち、なんか嫌いかもしれない」

隣のヨエルにだけ聞こえるように言うマルヴィナ。

「だけどさあ、君たちもそれなりの年齢だし、そのうち大人になるんでしょ?」

そばに座っている女の子にヨエルが尋ねる。

女の子は、つまらない大人になんかならないよ、と言って、

「知らないの? 最近都会じゃあ自殺が流行ってるのよ。今を楽しんで、もし辛くなったら死ねば即解決だわ」

「え?」と呆気にとられるヨエルとマルヴィナ。いくら毎日が退屈だからって、自殺したいと思うだろうか? マルヴィナの眉間に皴が寄り、ヨエルは苦笑い。

別の男の子が畳みかけてきた。

「世の中にはぜったいに覆せないものがあって、それにいくら抵抗しても無駄なんだよ。努力なんか辞めて考えないで生きようよ」

その後も会話の中で、せっかく都会に住んでいるのに、若いのに、彼らの何かを諦めているかのような雰囲気、そしてその割に田舎のひとを馬鹿にしている雰囲気がどんどん伝わってきて、ついに我慢の限界が来た。

「私、ちょっと気分が悪くなってきた。ヨエル、ちょっと付いてきてくれる?」

マルヴィナはつらそうな表情で小川のほうへ歩いていく。

「おーい、大丈夫か? 飲み過ぎたんじゃないか?」

と若者たちはまた大笑い。


小川のあたりまで来たヨエルとマルヴィナ。小川の水で顔を洗って調子を整えるフリをしながら、マルヴィナがヨエルに話しかける。

「私、あの呪文を唱えるから。このあたりはたぶん屍体が眠ってるから、出てきたら一緒に逃げよう」

「え、そんなことして大丈夫なの?」

それに答えずにこっそりと呪文の詠唱を始めるマルヴィナ。

詠唱を終えた数秒後、後ろのほうでボコッと土が盛り上がり、そしてそれが出てきた。マルヴィナのほうへにじり寄ってくる。

「きゃあー! こっち来ないで! 向こうで走り回ってー!」

マルヴィナの指示に従い、急にもの凄い勢いで走り出すゾンビ。若者たちは最初誰かが走り回っているだけ、と勘違いして気にしていなかったが、一人づつそれに気付いて顔色が変わり始める。一気に酔いも醒めて、悲鳴を上げだした。

「うわあ怪物だー! みんな逃げろ!」

ゾンビは別に若者たちを追いかけているわけではないが、若者たちは追いかけられていると思い込んであたりを必死に逃げ惑う。

いっぽうのマルヴィナとヨエルは小走りで山のほうへ。移動しながら、マルヴィナは笑いをかみ殺している。すっかり砂浜から遠ざかると、

「ふーっ。ね、すっきりしたでしょ?」

と吹き出した。

「うん、でもあんまり魔法をこういう風に使ったらだめなんでしょ」

「大丈夫だって。あいつら悪い奴らだったし」

「でも都会の若者ってたいていあんなもんでしょ。魔法を変なことに使って何かこれから悪いことが起きないか、心配だなあ」

「ヨエル、あんた何老人みたいなこと言ってんのよ」


そうして二人は村はずれの自分たちの家へ帰っていった。

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