第118話 惨劇の夜

 〜 ギルバート殿下視点 〜



「きゃああ──っ!!」


 夜陰の静寂を引き裂くような女の悲鳴。

 俺は反射的にベッドから飛び起きた。


 薄い白シャツに黒いズボンという軽装のまま、ベッド脇にある室内用の靴を素早く履いて、枕元の剣を取る。


 ポケットにはセレスティアナの御守りハンカチと、胸元にはサファイアの御守りのペンダント。


 俺は昼には治癒魔法師と共に、負傷者の見舞いの為に、ルーエ侯爵家に来ていた。


 だが、治療が終わってすぐに帰城しようと思っていた所、心細いから泊まっていって欲しいとエリスラ嬢にせがまれ、治癒師だけ先に帰して、俺は側近達と一緒に、仕方なく侯爵邸に泊まった。 


 そして、響きわたる悲鳴、そして騎士達の怒号。

 豪奢な侯爵邸は今や阿鼻叫喚の坩堝となっている。


 扉を開けるとここまで血臭がする。

「ギルバート殿下! インプと蝙蝠が屋敷の中で暴れています!」


 インプや蝙蝠を何体か伐り伏せたらしい、側近のエイデンが廊下で叫ぶ。


 足元には、複数のコウモリと、インプと言われる小さな子供サイズの魔物の死体。

 そして魔物の死体からは不吉な青い血が流れ、廊下を汚していた。


「侯爵夫妻と令嬢は無事か!?」

「まだ不明です! セスとリアンが探しに向かいました! ブライアンとチャールズは近くで交戦中です!」

 俺の問いにエイデンは飛んで来たコウモリを切り裂きながら答えた。


 廊下を走り抜けると、上半身の服、ブラウスを切り裂かれた女の死体があった。

 首筋には2つの穴。

 まるで吸血鬼に噛まれたような傷痕を視認して、ぞわりと嫌な予感がした。


 すぐに逃げるべきだろうが、俺は隣を走るエイデンの懐にポケットから取り出したハンカチをねじ込んだ。


「殿下!」

「俺にはペンダントがある!」

 エイデンの非難めいた眼差しを無視して、生存者を探す。


「3階の奥まった部屋が主の、侯爵の部屋だと思います!」

「侯爵と侯爵夫人の部屋は見ましたが誰も居ませんでした!」


 リアンとセスがインプとコウモリを斬り伏せながら駆け寄って来た。


「令嬢の部屋は!?」

「今から行きます!」

「殿下は外へ逃げて下さい! 転移陣へお早く!」

「そうもいかんだろう!」


 エイデンに逃げろと言われるが、要人もまだ見つかっていない!

 廊下では侯爵家の騎士が数人死んでいた。

 だが、驚くほど侯爵邸の騎士が少なくて違和感がある。


 令嬢の部屋らしき扉を開けると、エリスラ嬢がベッドの前で艶然と微笑み、佇んでいた。


 容姿だけは整っていて、美しいと言えなくも無いが、邪悪なオーラを纏っている。

 瞳は赤く、爛々と輝いていて、足元には血を吸われて死んだらしき、侍女の死体。


「まぁ、このような夜更けにレディーの部屋に来られるなんて、王子様が夜這いですか?」


「……足元の侍女を殺したのは貴女か?」

 令嬢の笑う口からは牙が見えていた。


「夜食ですわ。でも、物足りませんの」

 エリスラは足元の侍女の死体を踏みつけ、言葉を続けた。


「だぁって、私のお誕生日には沢山の貴族の命を魔王様復活の生け贄にしようとしたのに。

あの辺境のくそ田舎の小娘のせいで退魔の護符なんかに守られて、名前はセレスティアナだったかしら? 

計画が台無しよ。忌々しいわ」


「貴様のような汚れた者が、彼女の名を口にするな」


 俺は怒りを込めて目の前の女を睨みつけた。


「生意気ねぇ。でも、その蒼い瞳は美しいわ。

主にお前の血を捧げた後に、その目玉をえぐり出して食べてあげる。

嬉しいでしょう? 永久に美しい私の血と糧になれるなんて」


「永遠の若さと美しさのために、悪魔に魂を売ったという事か?」

「そうよ、我が主が私を吸血鬼にしてくださった。だから私は永遠になるの」


 燭台の灯りはエリスラの足元に影を作っていた。


 その影が不吉に揺らぐ。

 全身を悪寒が貫いた。


 影の中から出てきたのは、血のような赤い瞳の純血の魔族ーー


「「ヴァンパイア!!」」


「ふぅむ。第一王子の血を啜る予定が第三王子か、まあ、良い。我が贄となるが……」


 ザシュ!!


 目の前の吸血鬼の口上を最後まで聞く必要は無いので、いつの間にか集まった側近達と共に、吸血鬼達に攻撃を加えた。


 腕! 脇腹! 肩口! 騎士達は連携して次々に吸血鬼の体に斬撃を加える。

 だがーー


「くそ! なんて再生能力だ! 傷をつけても、腕を切り落としても、即座に再生する!」

 側近のブライアンが忌々しげに叫ぶ。


 吸血鬼は残忍な笑顔でニヤニヤと笑っている。

 人間の攻撃などくらった所で、少しも痛くはないから戯れてやっている、といった風情だ。

 

「ふははは、脆弱な人間と違い、我は夜において無敵! 純血の吸血鬼!

貴様らの攻撃など、無駄だ、無駄なのだよ!」


 吸血鬼のマントの中から沢山の蝙蝠が飛び出し、襲いかかって来る。


 次々に斬り伏せるが、

「いつまで体力が持つかな? どうした? 動きが鈍くなって来たぞ、人間!」


 確かに息も乱れて来た。敵の数が多い!


「そろそろ飽きて来た。食らうとするか」

「主様、王子の目玉だけは私に下さいな」

「仕方ないな、良いだろう」


 ーー万事休すか。


 吸血鬼を殺せると言われる太陽の光、夜明けは遠い。

 

 どんな傷をつけても再生されるのでは勝ち目が無い。

 まだ、彼女に何も告げていないのにーー

 このまま、永遠に会えなくなるのか……新緑の瞳に、砂糖菓子のように甘い、愛らしい笑顔の彼女に。


 セレスティアナ!


 心の中で名を呼ぶと、「熱っ!」

 胸にあるペンダントが発熱した!?


 開襟シャツから熱を持った御守りのペンダントがするりと飛び出た。

 その瞬間、青い石から閃光が走った。


「ぐあっ! なんだ、これはまさか……!」


「きゃああっ! 私の肌が! 焼ける!」

「た、太陽の……!」


 全ての言葉を言い終わる前に、純血の吸血鬼は光に焼かれて灰塵と化した。


「あああ! 私の美しい肌があ! よくもこの小僧!」


 俺は魔力をみなぎらせ、踏み出し、風の魔力を纏ったまま、放たれた矢のごとく一瞬で女の間合いに入りその心臓を貫いた。


「ぐあああっ!」


 心臓を貫かれた女は、灰になって崩れ落ちた。


「殿下!」

 エイデンが俺の側に駆け寄って来た。


「エリスラは純血の吸血鬼と違って光で即死はしなかったのか。流石に心臓を貫けば死んだが」


「殿下、お怪我は?」

「かすり傷程度だ。セレスティアナのペンダント、御守りが、守って……くれて……」


 ピシリ。

 石にヒビが入った!

 と思ったら、役目を終えたとばかりに、御守りのサファイアが砕けた。


「砕けた……ああ、せっかく彼女がくれた贈り物が……」


 俺は呆然としつつも、細かく砕けたサファイアの欠片をかき集める。


「セレスティアナ様が、太陽神の加護を石に込めて下さっていたのですね」


「砕けた……」

 俺はショックのあまり、呆然としながら同じ言葉を繰り返してしまった。


「砕けたサファイアは、集めて小瓶に入れても綺麗だと思いますよ」


 俺は顔を上げた、リアンは俺を励ますように、美しい笑顔を作っている。


「そうだな…俺を守って砕けたんだ。捨てるわけにはいかない」



 リアンが気遣って提案してくれた通りに、俺は亜空間収納から小瓶を出して、砕けたサファイアを入れた。

 

 小瓶に入ったサファイアの欠片達は、役目を終えた後も、涙が出る程、綺麗だったーー




 * *


「殿下! 地下室に魔王崇拝の祭壇と隠し通路、抜け道がありました!」

「ルーエ侯爵と侯爵夫人の遺体は見つかりません!」

「館を守る騎士の数も不自然に少なかったです」

「インプやコウモリの魔物達は吸血鬼を倒すと消えたようです。死体だけは残っていますが」


「もしやルーエ侯爵家は皆、悪魔、いえ、魔王崇拝者だったのでは」


 館の内部を捜索した側近達が戻って来て、口々に不吉な報告をする。

 


「本当は兄上を贄にしたかったようだな……王妃の勘は正しかったとみえる。

俺に代理で行かせて、息子を守ったのだから……」


「酷い話です」

 エイデンが吐き捨てるように言った。


「王妃は悪人では無いよ、我が子が可愛かっただけだ」

「代わりに酷い目にあった殿下が、何故庇うのですか?」


「母の愛とは、尊い物だろう」


 他国の内乱に巻き込まれ、毒霧を吐く召喚獣の毒に侵され、死の淵にあっても、最後の力を振り絞った母の姿を思い出す。


 俺を王城へ送り届けて欲しいと、近くにいた旅の騎士に俺の事を頼んだ。

 己の身に纏う装飾品を、震える手で外し、全てあげるからと、差し出し懇願した。

 俺には王の落胤たる指輪のみを残して、死んでしまった。


 バンシーの泣いた、あの夜……。


 俺は知らずに発動していた、風の精霊の加護により、薄皮一枚くらいの結界で自分だけ守られていたらしい。


 俺を送り届けてくれた他国の騎士も、風の精霊の加護持ちだったので、それが見えたらしい。


 平民の俺は、魔力の使い方を知らなかった。

 旅芸人で踊り子の母は一つ所に留まらない。

 魔法師に使い方を教われる環境は無かった。


 でも、魔法の使い方を知っていれば、母の事も守れたかもしれなかった。



「殿下、かすり傷といえど、怪我もしていますし、とりあえず王城へ戻りましょう」

「ああ、そうだな」



 リアンの言葉に頷いて、俺達は侯爵邸にある庭園の転移陣より、王城へ戻った。

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