第9話 EDEN


 正確無比な体内時計に従って午前6時に目が覚める。


 見慣れた無機質な天井を確認すると、大きく伸びをして身体をほぐす。


 寝床としているソファから身を起こし顔を洗いに部屋を出ると、朝に見るには珍しい顔がどこか疲れた様子でテーブルに突っ伏していた。


「珍しいな、造里がこんな時間に起きてるなんて」


「ん...あぁ、創か。いや、これから寝るところなんだよ。昨日はEDENで一日作業をしていてね。やっぱり向こうだと時間を忘れて没頭してしまうな」


「あーなるほど。じゃあ、つかちゃんは?」


「橘ならついさっきまで私の手伝いをしてもらってたからね。今頃夢の中だろう」


「ありゃま、お前なぁ...いくら可愛がってる後輩だからってちょっとは手加減してやれよ」


「5徹を強制したことのある君には言われたくないね。あの時の橘の悲壮感は酷かった」


「あれはしょうがないだろ。司のミスでそうなったんだから。むしろガッツリ手伝ってやったんだが?」


「まぁ、そんな話はどうでもいいんだ。確か今日は義妹さんたちにOFTONを渡しに行くんだったな?」


「ん、ついでにJardineirにもログインしてくるよ。受け渡し場所をそこにしたからな」


「あぁ、あの良ゲーか」


「少し早めに行って久々に新種の開発研究でもしようかなぁ」


「...別に構わないと思うが、夢中になりすぎて約束の時間を忘れるなよ。君はそういうところがあるからな」


「...善処する」


「はぁ...心配だ。ま、精々彼女たちのご機嫌を損ねないようにな」


 そう言うと、造里はカップに残ったコーヒーを飲み干して身体をほぐしながら仮眠室へと向かっていった。



#####



 草薙さんが用意してくれた朝食を食べ終えて時間を確認する。


 約束の時間まではまだまだ時間があるが、手持無沙汰なので先にJardineirを起動して向こうで待とうと思い、第1研究室へと向かった。


 国立大宮学園 第零号棟 第1研究室。


 室内は白一色でまとめられた簡素な造りだが防音耐震に極めて優れており、ここで寝ている最中に大規模地震が来てもしっかりと熟睡できるほどの強度を誇る。


 部屋、という分類で見ればその強度は最早世界最硬峰と言っても過言ではなく、そうするだけの理由がここにはあった。


 また、セキュリティという面でも世界最高レベルであり天才造里が提唱した独自の電子的セキュリティによって無類の電子的防御力を誇る。


 独自オリジナルという部分が非常に重要で類似するセキュリティシステムがないことがセキュリティレベルを底上げしている。


 そんな異質すぎる部屋にはこれまた異質なものが4つ。


 それは人一人を余裕で包み込むことが出来るほどに大きく、傾いた楕円の形状は大きな卵のようであった。卵は綺麗な切断面で割れたように開いている。


 多数のコードに接続されたそれは意外にも内部はシンプルで中には椅子が一つあるだけだった。


 ただ、椅子は拘り抜かれたもので人間工学的見地に基づいて長時間同じ体勢をキープしてもほとんど負荷を感じないように設計されている。


 結局、この卵のような物体はなんなのかというと稀代の天才が作り出した人類第2の世界EDENへと接続するための接続デバイスである。


 本来のものは頭部にヘッドバンドのように装着するのが一般的だが、このデバイスも第零号棟特別仕様になっている。


 第零号棟うちの本領はこの分野だからな。


「よいしょ」


 内部に入ると、ひとりでに蓋が閉まり起動するデバイス。特に慌てることもなく、リラックスした様子で椅子に背を預ける。


『EDENへの接続を開始します...接続完了。いってらっしゃいませ――――』


「ん。いってきます」


 薄れゆく意識に身を任せる。次に目を開いたとき、そこはEDENの中だった。



#####



 そもそもEDENとはなにか。そう問われるときっと大半の人間がもう一つの世界、と答えるだろう。その認識でたしかに間違いはない。


 EDEN。正式名称をElectronic Dimension Expansion Notion(電子的次元拡張理論)というこの空間は創造主と呼ばれる人物と創造主が作り出した疑似人格システム搭載AI群:Demi‐Gods達によって管理されている。


 人々はそれぞれのデバイスからEDENにログインして自らを象ったアバターを操ってEDEN内で行動することが可能となっている。


 この際に使用するアバターは現実の容姿をトレースしたものでアバターの極端な変更はできないようになっている(ただし、衣服の変更などはできる)。


 この空間に関して驚くべきことは無数にあるが、そのうちの一つはこの電子空間内での感覚の再現度が異常に高いということだ。


 嗅覚、味覚、触覚等々が現実世界と全くの齟齬なく再現されている。


 ゆえにEDEN内では現実と同じように食べ物を楽しむことも出来るし、スポーツに汗を流すことも出来る(実際には汗は再現されているだけで流れてはいないのだが)。


 EDEN内は主に2つの区域で構成されている。プライベートスペースと商業スペースだ。


 プライベートスペースは文字通りプライベートな空間で招待しない限り他者との交流は基本的に出来ないようになっている。


 第2の世界と呼ばれるだけあってEDENでの自由度はかなり高い。


 友人との団欒や食事、映画鑑賞や勉強など現実世界と遜色なく行動できるし、現実世界よりもシームレスに行動できる。


 もう一つの商業施設はDemi‐Gods達から許可が下りた企業が出店している店舗が集約された地域で日ごとに拡充している。


 現実ともリンクしており、例えばEDEN内で買った商品を現実世界で届けてもらうことも出来る。ただ、使用通貨はEDEN共通の特別通貨で一度現金を換金する必要はある。


 あとは、娯楽物の取り扱いが多い。EDENの技術の一部をDemi‐Gods達から伝授された企業が出しているVRゲームなどがこれにあたる。


 本当はまだまだ多くのシステムによって構築されているのがEDENなのだが、まぁ主要な機能はこの辺りだろう。


 そしてこの辺りのシステムがもう一つの世界と言われている所以でもある。


「さて、それじゃあぼちぼちJardenierを起動するか」


 プライベート空間へと転送された俺は商業スペースへと出ることなく淡々とJardenierを起動する。


 起動準備の間に桃花さんと杏花さんの二人に招待兼フレンド申請のメールを送っておき、受け取ったOFTONの購入権が人数分あることを確認する。


 ...ん、大丈夫だな。


 準備が整えばいざ出発!久しぶりの我が庭へ!



#####

$$$$$



side:神崎 杏花


~数日前~


ヒタチ:えぇ...それ、ホントに大丈夫なの?


 いつも遊ぶグループで使ってるSNSで創さん義兄の話を一緒にOFTONの抽選に外れた常盤ひたちに話した第一声はそんな感じだった。


 まぁ、私もそんなうまい話があるものかと疑うだろうし、常盤の気持ちも分からなくはない。というか今でも疑ってるし。


ミライ:ねぇ、キョウのお母さんが再婚した人たちって本当に大丈夫なの?


 未来からもこちらの家庭事情を心配するような声が挙がっている。


キョウカ:優斗さん(義理父)は普通にいい人だと思う。話を持ち掛けてきた創さん(義理兄)は私もちょっと警戒してる


ユカ:その人今何やってる人なの?


キョウカ:大宮の3年だって


ミライ:うっそ!マジ?!大宮ってヤバくね?


 大宮学園の名前に未来の語彙力が下がる。まぁ、それもしょうがないことかもしれない。


 国内最高峰にして国際的にも注目を集めている日本を代表する学園である国立 大宮学園。


 もし入ることが出来たら将来安泰...なんてもんじゃない。


 例えば大宮学園の有名な話の一つに卒業間近に就活をする学生がいないというものがある。


 これは研究に没頭しているとかそういうことではなく、就活をするまでもなく国内外を問わず数多の企業から「うちに来てくれませんか?」という嘆願書が一人一人に届くかららしい。それも一人当たり数枚ではなく数十枚。


 だから大宮を卒業する学生がする就活は世界各地の企業からのオファーを見て自分に合う所を選ぶだけ。


 その他にもいろいろ噂はあって、入社後は他の新入社員とは一線を画すスタートを切るとか...他にも在校中に学生一人一人が技術的・学術的に大きな功績を残しているというものもある。


 それほどの天才たちが集まる場所が大宮学園。


ヒタチ:う~ん...受け渡しの場所ってEDENなんだよね?


 話が脱線したのを察してか常盤が話を戻してくれた。


キョウカ:えぇ“Jardinier”っていう箱庭ゲーに招待されてる

     https://+++***//*****####$!"??//

     ↑これ、招待先のURLね。一度義兄とフレンド登録しないと入れないらしいけど


ユカ:今、フリーサイト使って調べてみたけど普通にそのゲームのプライベート垢っぽい


ミライ:不安ならうちらも一緒に行ってあげようか?その義兄さんが許してくれたら、だけど


 未来からの助言をありがたく採用することにして、まずは桃に話を通す。


 どうやら桃の方の友達も、訝しく思っていたようでこの提案に渡りに船とばかりに乗っかってきてくれた。


 唯一、あの人を信用しきっている桃だけは頬を膨らませてむくれてたけど、さすがに疑う気持ち自体が理解できない訳ではなかったみたいで、最終的には納得してくれた。


 後は、当の本人に許可をもらうだけだ。


 速くゲームの事前準備に取り掛かりたかったというのもあって、早速連絡を取ってみる。


キョウカ:ちょっと今いいですか?


創:どーしたの?


キョウカ:他の友人たちもJardenierの庭を見てみたいって言ってるんですけど、連れてきてもいいですか?


創:いいけど、購入権は5個しか用意してないよ?


「むしろなんで用意できてるのよ」と思わず言葉が漏れてしまった。


キョウカ:構いません。他の二人はもう持ってるので


創:ならいいよー

  ...いい友達だね


 多分、私たちが警戒してるのを知っての発言なんだろうけど...なんだか見透かされてるようで癪だ。


 取り敢えず一緒に参加してもいいという旨をミライたちに伝える。


キョウカ:今、聞いてみたら一緒に来てもいいって


ミライ:おっ、マジか。マジでただのいいヒト説出てきた?


ユカ:さぁ?でも一応いつでも通報できるように準備だけはしておいた方がいいかも


 女4人でいろんなゲームを遊んできた私たちは何度かナンパ目的の人たちに声をかけられたこともあって警戒心が高いし、そういうときの対処法もしっかりと分かっている。


 でも桃とその友達はあんまりそういうことに耐性があるようには見えないし、もし何かあったら私たちがしっかりフォローしてあげないと...


 そんな風に一人決意を固める。


 その日はそのまま寝落ちするまでJardenierというゲームについて皆で調べながら雑談して眠りについた。


 結構面白そうだった。


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