キラキラ・キラーパス
ネタバラシをしてしまうと、これは夢である。
「――お客様、こちらのお洋服はどうでしょうか!?」
空き時間にふらっと入った洋服屋で、せっかくだからと思ってシャツやらパンツを物色していたら、案の定、店員さんが話しかけてきた。
……誤解をしてほしくないので言っておくが、声をかけてくることに否定的なわけではない。
彼、彼女は、善意で声をかけてくれているのだ……それは分かる……まさか悪意を持って話しかけてきているとは思わない。
悩んでいた時は助けになってくれるし、こちらから話しかけにくい場合、向こうから話しかけてくれると動きやすい。
店員さんも、こちらのタイミングを窺って声をかけてきてくれているはずだ……、だからこそ、隙を見せていたこっちが悪いと言えば悪いのだが――。
声をかけられるのが嫌ならば、ヘッドホンをするなり、一つのコーナーで立ち止まる時間を短くするなど、やりようはいくらでもあった。なのでこれはおれのミスである。
いや別に、嫌なわけではないよ?
店員さんはアドバイスをしてくれているだけだ……押し売りではない。
「これはどうですか?」「こんなのもありますよ?」「こちらもおすすめです!」と言ったように、最終的に買うかどうかを決めるのはおれである。
決して、店員さんが勝手にレジへ持っていって、お会計を済ませてしまい、後はこっちが財布を出すだけ――のような詐欺はしないのだから。
「秋の季節にぴったりなジャケットになります。ちょっと暑い日も、少し肌寒い日にも対応できますよー。しかもこれ、人気の商品ですので、もしかしたら次にご来店いただいた時には、もう在庫がないかもしれません。
今ならジャケットに合うパンツもご購入で、だいぶお安くなりますが、どうでしょう?」
「あー、いえ、今日は時間を潰すために見ているだけなので、買うつもりは……」
「ではこちらの帽子などどうでしょう? オールシーズンに対応していますので、クローゼットの中で眠ったまま、なんてことはありません。
さきほどのジャケット以外にも、アメカジによくお似合いになりますよ」
「あの、買うつもりはなくてですね……ただ物色しているだけなのが気に障りました?」
「見えないところにこそオシャレを! この靴下などおすすめですよ!!」
だめだ、この店員さん、人の話を聞かない……。
片手にジャケット、もう片手に帽子と靴下を持って、おれに詰め寄ってくる……そして、無理やりおれに押し付けてきた。
「わぷ!? ちょっ、だから買わないですって!!」
「レジへご案内しまーす!!」
「は・な・し・を……聞けぇッッ!!」
……アラーム音に叩き起こされた。
ぐっすりと寝たはずなのに疲れているのは、夢のせいかもしれない。
頭が痛くなる会話だった……、どれだけ「いらない」と言っても、商品を押し付けてくる店員に苦しめられた。
なんて言えばいいんだ? なんて言えば、彼女は引いてくれたのだろう……、結局、最後はおれが折れて買わされたし……。
夢だから良かったものの……二枚の万札が飛んだのだ……ゾッとする夢だった。
これはこれで、悪夢に分類される。
「おー、おはよう」
「姉ちゃん……それ、誰のパンなんだっけ?」
「あたしと……あんたのよ」
「分かってんのかよ。まーた、おれの朝飯を勝手に食ってる……!!」
リビングのソファに、大きく股を開いて座る姉がいた。
菓子パンの空き袋が二つ、テーブルの上に転がっていて……、
きちんと名前も書いてあるのに、どうして食べるのかね、この姉は……。
「……母さんは?」
「エントランスで井戸端会議じゃないの?
一階までゴミ出しにいって、まだ帰ってきてないわよ……あ、そうだ」
思い出した、と言ったように、スマホから視線を上げた姉が、おれをじっと見て――
「な、なんだよ……」
「あんた、美容院にいってきなさい」
「は? なんで急に……」
「髪、伸びたでしょ。
そのままじゃだらしないから――予約しておいてあげるからいってきな」
「無理だって。今日は友達と出かける用事が、」
「ダメ。いってこい」
「だからなんでだよ!!」
おれの髪が伸びてようが、姉には関係ないはずだ。
だらしないとしても、やっぱり姉には関係ないことだし……。
「だらしない弟を持つ姉とは思われたくないから。
それに、これはアドバイスよ。身なりに気を遣いなさい。でないとモテないわよ? あんたが好きになった女の子に、『だらしないから嫌い』って言われたくないでしょ?」
「そんなことを言う子を好きになるわけないじゃん」
仮に好きだったとしても冷める……。
だらしないことを理由に人を嫌いになるその子のことを、おれが嫌いになるね。
「うっさいわね……いいからいってこい!!
お金も出してあげる、これでも嫌だって言うわけ!?」
「『美容院』分のお金でしょ? それ、おれが休みの日の時間を使っただけじゃん……」
「頭がさっぱりするんだからあんたも得してるでしょ!!」
「いや、だからさ……おれは髪を切りたいわけじゃないんだって」
全部が姉の希望だ。
だらしない弟をそれなりにマシになる見た目にしたい、という欲望でおれの時間を使うなら、美容院は当然、そこにおれの懐に入る分の金額を上乗せしないとおかしな話だ。こんなの、交通費は出るけど給料が出ないバイトである。そんなバイトに誰がいくって言うのだ。
「……ねえ、これはお姉ちゃんからの素敵な素敵なアドバイスなのよ? それを無下にするの? こんな風にあなたのためを想って言ってくれる人、この先に現れるか分からないのよ?」
「アドバイスは助かるけど……でも姉ちゃんのそれは押し付けだよ。服屋の店員が洋服をおすすめしてきて、こっちがいらないって言ってるのに絶対に引かないのと一緒だよ。
今の姉ちゃんはおれの買い物カゴに勝手に服を入れてるようなもので――」
ん? あれ?
夢で見たのと、これってほとんど同じなんじゃ――
「とにかく! 善意は嬉しいけど、こっちが望んでいない善意は攻撃になるんだか、」
「いいからいけ。ボコボコにしないと分からない?」
「…………」
「腫れた顔で美容院にいきたくなければ素直に今、いきなさい――分かった?」
結局、おれは美容院にやってきている。
姉への愚痴を美容師さんに吐露しながら……、
「愛されてるじゃない。素敵なお姉さんね」
「どこがですか。美容院にいかないとボコボコにするって脅されてるのに」
まあ、本気でするとは思わないけど……。
「弟くんの髪型については、お姉さんから既にご注文を受けています。
君は『お任せで』と言ったけど、最初からどういう風に切るのかは指定があったのよ。弟に『髪を切ってきなさい』と言う姉はいるかもしれないけど、弟に『一番似合う髪型』を、わざわざ『注文』してくるお姉さんはいないわよ? 愛されているし、見てくれているのねえ」
「……これ、似合ってるんですか?」
「ばっちり。弟くんは短い方がカッコいいんだから――これでモテモテね!」
お会計を済ませて、美容院を出る。
すると、タイミング良くスマホが震え、
『帰りに好きなパンでも買ってきな。あたしはメロンパン!』と、注文が入った。
おつかいか……、だからか? いや、だとしても多くないか?
「……最初から、多めにお金を持たせてくれていたのか……」
美容院の相場が分からないので、「こんなにかかるの……?」と戦慄していたが、そんなことはなかったようだ。
かなりお金が浮いた。パンを買うどころか、映画が二回も見れそうな金額である……。
「愛されてるのかなあ……」
だとしても。
やっぱり、他人の価値観の押し付けは、ストレスである。
「でも」
……ちょっとくらいなら、歩み寄ってみてもいいのかもな。
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