頭の中のインベーダー【後編】
「いえ…………、我々には、見えては――」
隣の部下へ目線で確認したら、彼女は高速で首を左右に振る。
念のために確認してみたが、怪獣は現在、北上したままだ――。
しかし、盲目の女性は、すぐ傍にいると語っている……――感じる地響き、音を頼りにしているため、目で見るのとはまた違うし、だからこそ勘違いかもしれないが……。
目に頼らないからこそ、敏感になったその感覚で得た情報を語っているのだ……嘘だ、とも、勘違いだ、とも、決めつけられない……。
自分の目に見えていないから、「そんなわけがない」とは、言えない段階にきているのだ。
「……我々には見えていませんが……、いるのですか、外に」
「はい。恐らく、ここも、もう――」
そこで、彼女の声が途切れた。
窓の外をじっと見て……、見てはいないのだろうが、音を頼りに、窓のそこに『いる』ことを感じ取り、顔を向けただけだ。
「も、もう、なんなん、ですか……?」
「…………」
「あの……?」
異変だ、と気づいた時には遅かった。
目の前に座る女性の口の端から、つー、と、血が漏れている……。
やがて、耳から、鼻から……、赤黒い液体が垂れ流され――そして。
音もなく絶命した。
傾いた彼女の体が倒れ、側頭部がソファの肘置きに当たる……。
がん、という打った音は、空になった器を叩いたような音がして――、
調べる必要もないくらいに。
彼女は、もう――。
「ひっ、いや、なん、なんでッッ!! この人が認識していた怪獣が、この人を殺したから――だから死んじゃったって、言うんですかぁっっ!?!?」
……なのだろう。
怪獣の動きに差が出始めたところから、雲行きは怪しかった……。
個人で、世界がどう変化するのか、バラバラになってしまったのだから。
そのため彼女のように、どういう変化なのかは不明だが、怪獣が北上をやめ、南下してきた(それとも元々、南下していた……? いや、その場合は避難場所が真逆になるはずである)――その怪獣に襲われた彼女は、彼女個人の世界では死亡している……、まさか先行して起きた結果が、遅れている二人の世界に共有されるとは思わなかったが……。
「……ただ、彼女の中で起きた『他人の死』は、共有されないみたいだな――」
「な、なにを、言ってるんですか……っ」
「彼女が怪獣に殺されたのなら、彼女の世界でも、我々はこうして同席しているはずだろう? なら、一緒に殺されているはずなのに――今、まだ死んでいないじゃないか……。
ということは、私たちは、『私自身』の世界で死亡しない限りは、死なないということだ」
「うぅ……わ、分かりませんよ……ぜんぜんッッ! なんでこんなことに――ッ!!」
頭を抱える部下のことは放っておき、男が部屋を出た。
死体が出たのだ、放置するわけにもいかない。
「……そうだ、すぐにきてくれ。
――それとあと一つ、気になることがある」
とある研究機関と連絡を取り、同時に、自らも研究対象になることを先方に伝えた。
「ああ、今までは外側ばかりに気を取られていたが……内側という可能性もあるのだと気づかされたよ。――怪獣、と呼べば、意識は外、そして上へ向く。
映画や特撮のイメージが強いからだろう……、『巨大』で『強い』ことが前提であると勘違いしてしまったんだ……。だけどそうじゃないかもしれない。
まだ調べてみないと分からないがな……、人によって見えている怪獣の姿が違うのだろう? なら、見えている怪獣がその姿を変えているのではなく、『映している映像が違うのだとすれば?』――、そう、我々の瞳の内側が――もっと言えば脳か。
投影機で映された映像は、千差万別に内容を操作できるはずだ」
通話中なのだからジェスチャーに意味はないが、彼は自然と手が動いていた。
こんこん、と頭を叩けば。
なんとなく……頭蓋骨の内側で、すすす、と『なにか』が動いた気がして――。
「怪獣は、全人類の頭の中にいるんじゃないか?」
「……こいつぁ……なんだ?」
頭の中を調べてみれば、目に見えないほどの薄い膜があった。
さらに調べてみると、それは『異物』であり、『生命』であるのだと言う……。
「アメーバみたいなヤツじゃな。もちろん、アメーバそのものではないが……、これを『怪獣』とするなら、イメージとはかけ離れた真逆の存在じゃな……。
手の平サイズよりも、肉眼では見ることができない小ささじゃ。
こうして顕微鏡を使わんと目視もできん」
「それが私の頭の中にいたと?」
「脳を包んでおるのがコイツだな。
脳を傷つけるわけではなく、目や鼻、耳などの感覚器官に刺激を与えておる。
時間が遅く感じる、あっという間に感じる異変も、コイツの仕業じゃろう。見える怪獣の姿が違うのも、足音や羽音などの個人の差も、コイツ――アメーバの仕業だとしたら納得だな」
アメーバ……、便宜上、似ているからという理由でそう呼ばれているが、今だけだ。
研究員と仕切りの男だけで共有される名前であり……、
会議の上では、意見を出し合い、決めた『インベーダ』で通っている。
「そうですか……、こいつを取り出す方法は?」
「ない。まあ、お前さんが死ねば、無理やり引きずり出すことはできるが……。あの盲目の女性のように、頭蓋骨を割るような乱暴な方法を取らないといけないからのう……、人類のためとは言え、若い女性の頭を割るのは、ワシも嫌なんじゃがな。
家族の許可は取っておるのか?
死体を勝手に解剖したと知られたら、怒鳴り込んできてもおかしくはないぞ」
「怪獣に踏み潰されて死体は残っていません、ということにしています」
「職権乱用じゃなあ……、そんな権利がお前さんにあるわけでもないだろうに」
政府の人間が正義であるわけではない。
彼の場合は若いこともあって、雰囲気に流されて口火を切ることが多いが、矢面に立つことも、白羽の矢が立つこともないのだ……、
先導することはあれど、後ろについてくる者を守ったことはない。
同じく政府の人間であろうと、国民であろうと。
「とにかくですよ。現状、この怪獣を引きずり出す方法は、死ぬ以外にはないと?」
「仮に取り出せたところで、コイツは自分自身を切り離して独立する。千切れたこっちも本体だし、逃げた向こうも本体だ……、本物、偽物という区別がない。
分離しているだけで全てが同一なんじゃな……さすが怪獣じゃ、未知の生物だよ」
「笑いごとじゃないですよ」
かかかっ、と笑う研究員の尻を叩くように、今後のことを催促する。
「――なんとかしろ、と言われてものう……なにもできんよ」
「……このまま、この怪獣に侵略されることを、認めろと?
迎撃も拒絶もできないまま、怪獣の意のままに支配されろ、と言うつもりですか?」
「現状は、じゃ。気づかぬ内に脳内へ入られたんじゃ、気づかなかった段階で、ワシらに勝ち目なんてなかった――。
いずれ、全人類が死亡し、地球はコイツらが支配する惑星になるじゃろう……、ワシらは『怪獣が町や土地を破壊しながら進んでいる』映像を見せられているが、実際は、なんにも起きていない可能性だってある――。
人間が作り出した文化や、様相そのものを流用したいのかもしれん――宇宙からきた生命体が考えることなど分からんがな」
「……実際は、なにもされていない……? なら、たとえばこのまま、頭の中でアメーバを飼っていながらも、これまで通りに過ごせるのでは……?」
「感覚が支配されていると言っただろうに。
傷ができたから痛いのではない。痛いことを理解させられたから傷ができたってことを忘れるな。コイツらが『心臓が止まった』と脳に命令を出せば、お前は死ぬ……。無理やり理解させられ、その理解に体が追いつこうとするんじゃ……――抵抗などできんよ」
薄い希望だったが、当然ながら上手いようにはならなかった。
「このまま支配されるべきなんじゃろう」
「支配される……? 目にすら見えないこんな小さな侵略者に!」
「おっと……、見えないのはワシらの機能の問題じゃ。ミクロサイズは別に、彼らの矮小さを示すための要素じゃあ、ない。
小さいから『弱い』のだと、誰が決めたんじゃ? 殺人の方法として最も猛威を振るっているのが病気であり、ウイルスじゃ……。
今回のこの侵略者も、流行りの感染症だと思えば飲み込めるんじゃないか?」
怪獣という、見た目のインパクトが強い光景を見てしまっている以上、単純に戦力を用意すれば『なんとかなる』と思えてしまうのかもしれない……。
巨大であればあるほど、兵器が通用しなければ同じく倒せない敵となるのだが――、怪獣よりは、未知のウイルスの方が、『なにもできないから』という理由で諦めやすいのかもしれない。
急に末期の癌だと言われたら……、死を受け入れやすいのではないか。
「ですけど……ッ、なんとかならないんですか、研究をし続ければ――いずれは、」
「いずれは分かるだろう、必勝とは言わないまでも、一矢を報いるための一手が。だけど今すぐには無理じゃな。一年あっても、十年あっても難しいじゃろう。
何度も何度も世代交代を繰り返し、やっと見つけられるようなものじゃ――その歴史を紡ぐ前に、ワシら研究員もまた、
希望はなかった。
じわじわと、衰弱していく……、
脳内にいる、小さな小さな、『
「いま見せられている、この『生きた映像』を、存分に楽しむべきじゃあないか?」
……the .bad end
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