頭の中のインベーダー【中編】
『見えている姿』が違うだけなら、地に足ついていようが、浮かんでいようが、本物が二足歩行であれば、落とし穴にはまるはずだ……。
――結果、会議を仕切っていた男の目には、落とし穴にはまった怪獣の姿が見えており――
しかし。
「いや、俺の中じゃあ、怪獣は罠を回避したぞ?」
そう、羽音を聞いていた男の目には、まだ怪獣は罠に足止めされずに進軍しているように見えており……、ここで初めて(同時に二人以上が認識したという意味で)、見えている世界に時間差ができてしまった……――怪獣の進行具合に、『差』ができたのだ。
……なにが起きている……?
自分が見ている怪獣の姿が正しいのか、
それとも別の人間が確認している怪獣の姿が正しいのか……っ!?
仮に、この差の中で死者が出ていれば、その人が生きている世界と死んでいる世界の二つが同時に生まれていることになると考えるのは、突飛なのか……?
怪獣が現れていながら、突飛もなにもないだろうけど……。
「して、ヤツの名はどうする?」
「そんなことッ、今はどうでもいいでしょうッ!!」
「しかし、名前がないと困るだろう……いつまでも『怪獣』と呼ぶつもりか?」
真剣な顔で子供みたいなことを言う中年である。
そう切り出したということは、自信のあるコードネームでも思いついたのだろうか。
「つけるなら一つに決めましょう。
……文字通りの怪獣という意味を現すコードネームでよろしいかと。
身内で交わす名前で混乱しても嫌ですし……、
怪獣ですから、映画からの流用でいいのではないでしょうか」
「それはならん。
儂らで決めたいではないか……人生に一度もないかもしれんことだぞ」
「一度でもあってはなりませんよ。
これは事件でも事故でもなく、危機ですから」
見つけた星に名前をつけて、歴史に刻みたい――みたいな欲求なのだろうか。
気持ちは分からないでもないが……、だとしてもやはり、いま言うべきことではない。
女性に嗜められた中年の男性が肩を落としていた。
国民の命を守るべき立場でありながら、面白がっている節があるのはよろしくない。
彼は今回の危機を乗り越えた後は解任だな、と考えていたところで――、
意見を言った女性にじっと見られていることに気づいた。
「え、なんですか?」
「あなたが仕切りでしょう。
コードネーム、どうしますか?」
急に言われると困るが……、
しかし、分かりやすく簡単なもの、というテーマがあれば考えやすい。
彼女が言ったように、映画や有名作品からの流用でもいいのだが、それはそれでイメージに引っ張られる。
映画のタイトルになるくらいなのだから、印象も強いし……――だったら。
「インベーダー……、
侵略者という意味で、ここから一文字を切って――『インベーダ』というのは……?」
「いいんじゃないでしょうか。分かりやすく、簡単です。そして『インベーダー』だと伸ばした部分が何度も会話に出るとなると、鬱陶しくなりますから、切ってしまうのは正解でしょう。
ちょっとだけアレンジをすると、愛着も湧きますからね」
あんなものに愛着など持ちたくはなかったが……。
「儂はそれで構わん」
いち早く否定しそうな中年の男は、意外にも賛成だった。
彼のセンスに上手くはまってくれたのかもしれない。……嬉しくはなかったけれど。
「名前が決まったところで……情報共有の項目がまた増えましたね……」
今までは外見だったが……、今回は、現在、見えている……『進行速度』について。
円卓を囲む政府のメンバーで同じ映像を見て……――あらためて。
怪獣・インベーダは、現在、どの地点にいる?
まるでパラレルワールドを同時に見ているかのようだった。
北上した怪獣は、東北地方を進軍している……。
一方で、未だ関東地方から抜け出せていない怪獣もいて。
被害報告が多岐に渡り、さてどれが本物でどれを公開するべきなのか――。
報道するべきではないのかもしれないが、しないとなると、それはそれで反発があるだろう。
対岸の火事と思っている関西や九州の方からは、未だに情報開示の催促が止まない。
怪獣を実際に見たくて移動している者もいるくらいだ……、無謀な若者が、意図しない自殺で死んでいく結果を報告されるのは、自業自得とは言え、喜ばしいことではなかった。
すると、部下からの報告が上がった。
「――怪獣が罠を突破しました!」
「またか……」
「よし!!」
と、別のところではガッツポーズをしている者もいる。
最初こそ不謹慎だ、と思ったものだが、見ているもの、聞いているものが違えば、別のリアクションを取っていてもおかしくはないだろう。
耐性ができているからこそ受け入れられている……。
どう対応すればいいのかは、未だに分かっていないが――。
会議を仕切っていた男の元には、怪獣が罠を突破した、と報告が上がり、
別のところには、怪獣が罠にはまった、と報告が上がったのだろう。
だからこそ、反対のリアクションが同時に生まれたわけで。
結果を報告した部下は、同一人物である。
「……、部下を調べたところでなにも出ない、か――」
恐らくは。
問題があるとすれば――自分自身だろう。
どんなセリフを吐いたところで、いま聞いた内容が伝わる手筈だったのだ……、そして彼の目には報告通りの結果が進んでいる……、
こうして何度も何度も成功と失敗を繰り返していくことで、円卓を囲むメンバーが見る怪獣の進行速度は、これで全員が、バラバラになったわけだ――。
これではもう、会議などまともにできるわけがない。
議題に上がっている怪獣の姿と進行速度が違えば、対処法も変わってくる。
情報の擦り合わせ? 当人からすれば、周りの意見は誤情報なのだ……、意見を交わす意味はなく、デメリットにしかなっていない――のであれば、早々に解散した方がいい。
だけど、解散したところで――だ。
個人の力で、見える怪獣を対処できるのか?
無理だ。
組織が力を合わせても無理なのに、個人にできることなどはなにも――
「あ、あの……」
「……なんだ、お茶は頼んでいないぞ」
「いえ、その……たとえば、なんですけど……」
おどおどとしている部下の女性の一人が、こそこそと近づいてきて提案してきた。
彼女が見ている怪獣と、彼が見ている怪獣も違えば、進行速度も違うのだが……?
正直なところ、彼女の相手をしている暇はないが(彼女には悪いが、時間を割いて聞くような、有用な案を持ってくる人材ではないと判断している)、行き詰っているのは確かだ。
悪手でもいいから聞いてみればなにか思い浮かぶかもしれない……。
そんな気持ちで、仕切りの男が彼女の意見に耳を傾ける。
「……盲目の人は、どういう風に見えて……いえ、感じているんでしょうか……?」
彼女の意見とは言え、気になったのですぐさま知り合いの伝手で連絡を取り、盲目の女性を連れてきてもらった。
盲目の彼女は、一人でこられると主張したらしいが、こんな状況である。
たとえ目が見えていようとも、単独で行動することは推奨されない。
会議を一時的に抜けることになった仕切りの男……、会議の仕切り役とは言え、誰もやりたがらないからやっているだけで、彼の専門職というわけではない。
別の誰かが回してくれるだろう、と期待している。
それくらい、やってくれないと困るだろう……。
別に、彼にしかできないことではないのだから。
会議とは別の個室である……、温かい紅茶を淹れ、三人分をテーブルに置いた。
ソファの前半分に軽く座り、男が紅茶を手で勧める。
「……ご足労をおかけして、すみません。あなたに聞きたいことがありまして……」
「今更、ですけど……、あの、リモートでも良かった、んじゃ……?」
猫背の部下が、恐る恐る聞いた。そんなことは言われるまでもなく考えたが……、重要な意見を聞こうとしているのだ、電話やリモートで済ませるようなことではないし、できれば肉声でちゃんと聞きたい。
映像や音のみであれば、いくらでも改竄できるのだから。
「構いません。ご足労、と言いましたが、白杖をついて歩いてきたわけではありませんからね。
まさかヘリコプターを出してくれるとは思っていませんでしたが……」
「陸路は時間がかかってしまいますから」
怪獣の進路から避難してきた者が、関東地方よりも西へ集まっているのだ……、当然、車道は混む。
陸路は時間がかかると思い、遠慮なく空路を使わせてもらったのだ……、職権乱用ではあるものの、これから得るだろう盲目の彼女の意見は、その結果がどちらに寄ったとしても有益だろう。
「どう感じていたか、で構いません。自分が感じているものが、たとえ異常かもしれないと思っていても、教えてください。こんな状況で周囲に合わせる必要はありませんから」
「分かりました」
部下の女性が、紅茶を飲もうとして手を伸ばし、隣の上司を見て、『ダメなのかな……ダメっぽいな』と決めつけて諦めている間に、話は一通り終わったようだった。
「この通り、視力がありませんから……、
怪獣の姿は見えていませんよ。……ですが、音、地響きは感じています」
地響き、ということは、彼女が感じている怪獣は、足があるということだ。
目に頼らない、別の感覚で怪獣の正体を突き止めた、とすれば……、
やはり足がある怪獣なのか……?
宙に浮いている怪獣像が、嘘……?
「お二人のお話を聞いていると、様々な怪獣がいるようですね……、いえ、いるのではなく、見え方が違うのでしょうけど。
姿が違えば進行速度も違い、人によって怪獣に『差』が出ている――その差がどんどんと開いていけば、こういうことも起こるのですか?」
「……? こういうこと……?」
「窓の外、怪獣が……、――いたりしませんか?」
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