孤児院育ちの侯爵令嬢ですが、王太子殿下から求婚されています。 ~お相手は初恋の君でした~
庭咲瑞花
【第一章】
第1話 侯爵邸からの来訪者
別れとは、突然にやって来るものだ。私が大好きな、毎年見てきた収穫前の麦畑はもう見られないのだろう。
院長先生やみんなとの暮らしも次の安息日までと約束してしまったのだ。
村の子ども達を見ては、先生に父と母はどこにいるのかを何度も問いかけた。みんな、特に院長先生は「双子忌み」だなんて言っていたけれど、幼い私は納得できなかったのだ。
──物心ついた頃には、私の側に双子なんていなかったから。
そして現在。私は父と母のもとに帰ることができる機会を得た……のだけれど。長年の夢なのに、叶うと共にみんなと離れ離れになってしまうのが怖い。
暖かなある春の日、私は足元の水たまりに映るもう一人の自分を見つめながら、心の中で嘆息した。
私、イェニーは今日「彼女」がやって来るまで、静かな村の小さな孤児院で、最年長の子として暮らしていた。
首元より少し下で切り揃えた金の髪は小麦畑とおそろいで。垂れ下がった桃色の瞳は先生から愛らしいとのお墨付きをもらった。頬にそばかすが、手には傷や荒れが少々あるものの、それらは日々の生活の頑張りの証だとみんなが言ってくれる。
私が暮らすこじんまりとした小さな建物。その前の道に、
何事かと見ていれば、他の子たちも窓から外をうかがいはじめた。私より三つ年下の十二歳、ヤンが声を上げる。
「うわー。オレ、あんなキラキラした馬車見たのはじめて! イェニー、誰か知ってる?」
「ううん。私も知らない。でも多分お貴族様かな……? ちょっと見てくる」
先生から留守を任されていた私は外に出た。
馬車のそばまで近づくと、目の前の扉が開く。中から出てきた少女の姿を見た私はびっくりした。
だって、自分とそっくりなのだから。服装からして、たぶんお貴族様だと思う。
他の子供たちや院長先生と共に暮らしてきた私にとって、お貴族様と接点などない。しいて言えば、六年前の「あの時」ぐらいだ。
このお貴族様はどうしてここに来たのだろう?
長く腰まで伸ばした絹のような髪は色が私と瓜二つだし、瞳も私が水たまりを覗いた時に見たものにそっくりだ。
髪の長さ以外で違うのは、陶器のような白い肌と着ている衣服ぐらいだろうか。赤紫の衣装は、見たことがないほど光っている。
そんな風に見とれていた私ははっとして頭を下げ、村のみんなの言うとおりに膝をついた。お貴族様はマナーにうるさいらしいから。
「下げなくても大丈夫よ。
言われた通りに顔を上げ、彼女の様子をうかがう。突然、目の前に差し出された手をとると、少女は私を軽く引っ張りあげた。
やっぱり綺麗な顔だ。そばかすひとつ見当たらない。きっと私でなくとも
「ごめんなさい。はじめまして、ですよね?」
「いいえ。貴女とわたくしは十と五年前に会っているのよ。わたくしも覚えていないけど。シェリーよ。仲良くしましょうね」
「イェニーです。あの、手を離していただけないでしょうか……」
何なのだろうか、この少女は。出会うなり礼はいらないといい、今度は「仲良くしましょう」だなんて。異なる身分の者が仲良くできるわけがないだろう。村のみんなの話がその証拠だ。
そんなことを考えていると、握る力が強くなった。
「もう離さないわ。ずっとこんな所で寂しい思いをさせてごめんね。お家に帰りましょう? ペンダントは、なくしてしまった?」
「お家? ここが私の帰る家です。どうぞ一人で帰ってください」
「ペンダントは?」
「ペンダント……これのことですか?」
「……! ええ、それよ! ほら!」
金色の鎖に小さな桃色の透き通った石。このペンダントは私にとってとても大事なものだ。
院長先生から大事にしなさいと言われ、そして「彼」から……は関係ないか。
目の前の少女は首から何かをはずした。よく見れば、それは私が持っているものと同じペンダントだった。彼女は笑顔で告げた。
「わたくしのものとお揃いね」
「そう、ですね」
「当然よ。だってわたくしたち、双子なのだから。だから迎えに来たのよ」
話に聞いていたお貴族様とは全く違う。聞いていたほど高圧的な感じはしない。フレンドリーだと思う。
けれど、有無を言わせないといえば、やはり高圧的というべきなのだろうか?
それとも、彼女が私と双子だから? だとすると「彼」はやっぱり例外だったのかも……と、色々と考えてみたけれど、答えは出ない。
「『双子忌み』だなんて風習、なかったらよかったのに……でも、もうわたくしたち、十五なのだからそのような禁忌は関係ないわ。というわけで迎えに来たのよ。お父様とお母様も待っているわ」
「双子忌み」、それは双子が生まれた時、双子のうちどちらか一方をどこか遠くの場所で育てさせるという習わしだ。この国でとても有名な昔話で、双子が悲惨な結末を迎えたところから始まった風習だと院長先生から聞いた。
この風習で見捨てられた側の子は大抵長くは生きられない……というか、誰にも見つからずに死ぬと言われている。孤児院で育てられた私はまだ幸運な方なのだろう。
みんなは私のことをかわいそうだと言ったけれど、私はそうは思っていない。
それはともかく。彼女の言葉に私の心は揺らいだ。お貴族様の我儘は何でも通ると聞いたから。
逆らうことなんてできずに、従うしかなかったと自分を納得させればきっと楽だと思う。それで、両親に会えるというのだから。
でも、孤児院のみんなと共にここで静かに生きていきたいと思う自分もいる。この大好きな場所を離れたくない。それにヤンをはじめ、孤児院の子どもたちを放ってはおけない。何と言っても私はこの孤児院で最年長なのだ。やっぱりダメだ。
「さっきの『離さない』って。もしかして、お父さんとお母さんに会えても、私はこの家には帰って来れないということ? それなら……ついて行かない」
「来るも来ないも、貴女に選択肢なんてないわ。だって、おかしいでしょ? 貴族の子が何の罪もないというのに、貧しい生活をおくらされるなんて。それに、」
「じゃあ、貴族の子でなければ罪がなくても、貧しい生活を受け入れなければならないの?」
「貴族は民がひもじい思いをしなくてもよいように存在しているのよ。もし、貴女が帰って来てくれたら、みんなを救うことができるのよ。もしかして、ここで暮らしている皆のことが心配? 大丈夫よ。……この孤児院が貴女を守ってくれたおかげで、わたくしたちはこうして再会できたのだから。きっとお父様が何とかしてくれるわ。貴女が家に帰って来るのを、お父様もお母様もずっと待っていたのよ」
「それが本当だったら、どうして……」
その言葉の続きが紡がれることはなかった。
みんなが双子のうち一方は捨てられるのだと当たり前のように言っていたから。もしかしたら、両親も私を捨てることなど、本当は考えたくもなかったのかもしれない。
再び私の心は揺らいだ。それに、六年前の約束も果たせるかもしれないのだ。
「ちょっと考えさせてほしいです。先生にも話さないといけないから」
「わかった。可愛い妹のはじめてのお願いだもの。それじゃあ、今度の安息日にまた来るから、それまでに準備してね。服とかは侯爵家から持ってくるから心配しなくてもいいわよ」
「こうしゃくけ……?」
そう言って彼女は再び馬車に乗って行ってしまった。去り際に笑顔で手を振ってきたが、私にはどう返せばよいのか分からなかった。
ただただ、首からかけたペンダントを握りしめているしか、私にはできなかった。
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