第29話 三年生 7月
二学期を無事に終われば、出席日数をクリアしていれば、三学期は登校せずに自宅で受験勉強してもいい、と暗黙の了解があるようだ。
それでも由衣夏は友だちに会いたいから登校するつもりだが。
紘美の綺麗な顔も、見納めとなるだろうし。
こんなに嫌われていても、尚、由衣夏はあの顔が見たかった。
由衣夏がおはよう、と元気よく挨拶しても、一瞬間をおいて、仕方なさそうな顔で挨拶を返してくれるような関係なのに。
我ながら、紘美に対してはマゾヒストじゃないか、と思えて自分でも笑える。
自分があの顔だったら、鏡ばっかり見て、恋なんてしないだろうな。
そんなアホなことを考えていると、ユウが夏休みはどうするつもりか、と聞いてきた。
今年は受験なので、さすがにアルバイトばかりするわけにもいかないから、勉強するつもり、と答えた。
「うちも夏休みはこっちにおって夏期講習行こう、思うとるんよ。
せっかくじゃけ、一緒に行かん?
ひとりじゃ淋しいけ、帰りにお茶とかご飯に付き合ってもらえたら助かる」
夏期講習は由衣夏も気になっていた。
ふだん塾に行ってなかったので、あまり塾の情報を知らないし。
「塾行ってなかったん?
そんじゃあ、うちと一緒んとこ来ぃ。
ちょうどええ、うち、通っとるから詳しいけ。
な、行こ、行こうやぁ」
せっかくの申し出なので、ユウと一緒に夏期講習を受けることにした。
それくらいなら自分の貯金から払えるだろう。
ユウが実家に帰りたくない理由が気になったが。
由衣夏の予想では、ユウにはこっちに好きな人ができたのではないか。
きっと講習に一緒に通ううち、教えてくれるだろう。
そう思って楽しみにしていよう。
夏休み目前のある日、帰り仕度をしていると紘美が無表情で話しかけてきて、
「一緒に帰ろうって」
というので、誰と一緒に帰るのかと思ってついていくと、ゲンの車が停まっていた。
先月も会ったことを紘美は知らないだろうから、顔に出さないように努めて、後部座席に乗る。
「どうも、ひさしぶり。おじゃまします」
「おう」
3人で顔を合わせるのは、京都のライブ以来のはずだから、その時ぶり、ということにしたいと由衣夏は思っていた。
車が走り出したが、誰も何も話そうとしない。
一緒に帰ろう、と言ってきて、おかしなもんだ。
何か用があって、由衣夏を誘ったわけではないのか。
ゲンが由衣夏も誘え、って言ったんじゃないのか?
どういうつもりだろう。
それならゲンが何か言えばいいのに、このまま由衣夏の自宅まで無言なんだろうか。
ここからなら、高速を使っても1時間ほどかかる。
そんなのは居た堪れない。
由衣夏から話をはじめてしまった。
「前に京都でライブに行ったら、出ててびっくりしたよ。
あんなバンドやってたんやね」
と言ってみた。
ゲンはたぶん、由衣夏に話を合わせようとしていたのだろう、やっと話しだした。
「そうなんだよ〜」
「けっこう人気ありそうやったやん。
楽屋の外まで女の子がいっぱい、きゃーきゃー待ってたで」
「まあ、どうにかな」
紘美はじっと黙って聞いている。
何を考えているのかわからないが、由衣夏とゲンの会話から関係性を探ろうとしているのだろう。
「でも一番びっくりしたのは、お前がうちのギターのやつと知り合いだったってことだよな〜。お前ら、いつの間に知り合ってたんだよ」
ゲンがそう言ったら、
「あの子は太い子が好きやからな」
と、紘美が言った。
ゲンと付き合いだしてから、紘美はガリガリに痩せた。
由衣夏が顔だけ、と言ったせいなのかもしれないが。
ガリガリ、と言っても、芸能人はそれくらい細いのが当然なのかもしれない。
そういえば、ビラビラ王子もガリガリなくらい細かったなあ、と由衣夏は思い出していた。
あれくらい細くないと、ビラビラを綺麗に着こなせないようで、紘美もあのライブに行くようになって、ビラビラを着るようになって、似合わせるためにダイエットしたのだろうか。
ビラビラ王子のファンは、王子と同じようなビラビラファッションに身を包んだ太めの女の子が多かった。
もしかするとあの子達が着ていたのは、王子がデザインした洋服だったのかもしれない。
制服のように似たようなファッションの子ばかりだったので、カジュアルな由衣夏が悪目立ちしてしまって困ったくらいだった。
普通体型であれを着ると、服のボリュームで太さが増して見えるのだろう。
由衣夏は、いわゆる健康体重とか標準体重だったが、その体重だと健康的でまるまるして見えるのだろう。
紘美はおそらく、シンデレラ体重よりさらに細い、モデル体重くらいだと思われる。
由衣夏と10キロくらい体重が違うのだから、太い、と言われるのはしょうがないが。こんな聞こえよがしに嫌味を言うのは、今までの紘美からはらしくなくて想像つかない。
これまでの紘美なら、誰よりも勝者であることに揺るぎない自信を持っていたから、人に失礼なこと態度をとるようなことはなかった。
こんな嫌味を言ってしまうくらい、紘美はこの状況が許せないんだろう。
紘美とふたりで帰るところに、ゲンが由衣夏も呼べと言ったのが、自分だけじゃダメだと言われたようで我慢ならなかったのだ。
やれやれ、この女も堕ちたな、と由衣夏は思ってしまった。
この状況で嫌味を言うなんて、勝っていると思っていたら絶対に言わない。
それを言ってしまうということは、ライバルとして、つまり同レベルとして認めたことになってしまうのではないか。
そういうことがわからない、と言うところが、紘美のダメなところなんだが、今まで生きてきて、こんな状況は初めてなんだろう。
誰かに負けを感じたことなどなかったのだ。
まして、顔も体型も勝っているはずの相手に。
慣れてないから、気づいていないのだ。
というか、そういう美学のようなものを、紘美は持っていないのだ。
そこが、顔だけで話していてもつまらない、と言われてしまう由縁に思える。
そして、さっきの紘美の口調には、ゲンだけじゃなく、メンバーのことも詳しいのだ、と由衣夏に思い知らせようとしているような、ずっと昔から長く付き合っている古女房のような雰囲気を匂わせていた。
しかし、ややこしいのは、敵視されている由衣夏が、ゲンより紘美の方が好きだということだ。
だから、由衣夏はがっかりしていた。
どうして紘美は好きでいさせてくれないんだろう、と後部座席でひとり嘆いていた。
みっともない姿を、こともあろうに、由衣夏に向けて見せるなんて、なんて残酷で愚かなことをしてくれたんだろう。
それでも由衣夏は、紘美に顔だけじゃない何かを見出そうと頑張っていた。
紘美がこんな風に落ちぶれたのは、ゲンへの一途な愛のせいだ、と気づいた。
もしかすると、紘美は初恋なのかもしれない。
今まで何もしなくても男どもに傅かれ、愛される努力などしたことがない女なのだ。
努力しても愛されることが難しい一般人に比べると、どこかおぼこいのだ。
その点に、やっと愛らしさを見つけることができそうだ、と思っていた。
そして、由衣夏は、愛はこのように無理をして見出すものではない、ということもわかっていた。
もしかすると、ゲンから由衣夏にブスだと気づかせろ、と頼まれているかもしれない、と思ったが、その可能性は低い。
虚しい、ひとりになりたい・・・と思っていた。
しかし、車内には、誰ひとり由衣夏の気持ちをわかる人間はいなかった。
由衣夏の沈んだ姿は、きっと太いと言われてショックを受けた、と受けとられただけだろう。
「メシでも行くか?」
とゲンが言ったが、
「それって、ラーメンってこと?」
と由衣夏が聞いた。
「前に、この人はいつもラーメン、って言ってたやんね?」
と紘美に確認するが、返事はない。
ゲンも黙っているので、ラーメンのつもりで言ったんだろう。
「わたし、今日はラーメンって気分じゃないから、そこらへんの駅で降ろしてもらえへん?」
そう言って、近くの駅で降車した。
去っていく車に手を振りながら、これでやっとひとりになれた、と思った。
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