第25話 二年生 3月

日曜日の午後、礼次郎とケーキを食べたあと、地下鉄で礼次郎を見送り、自分の乗る路線に向かって歩いていると、

「この前とぜんぜん違う。気づかないところだった」

と、声をかけられた。

「今日はけっこう普通だね。そう言う格好もできるんだ」

振り向くと、ビラビラ王子だった。

「あんたは今日は控えめね」

シャツがシンプルになって、ふわふわのファーの代わりにベルベットのジャケットを羽織っている。

「目立ちすぎると困ることもあるってわかったからさ」

「今日はあんまり目立ちたくないって思ってるんだ?」

王子は頷いたが、理由は教えてくれなかった。

「いろんなファッションするんだね。それってどう言う気分で変えてるわけ」

「ああ、今日は好きな人とお茶してもらってたから、その人の好きそうな服を着てるだけ」

「君って、前に会った時も好きな子が着ろって言った服を着ていたね。

 本当に好きな服って、どんなの?」

「ん〜、好きって言うか、自分の良さとか個性を最大限に引き出してくれるような服装を模索中かな」

「ああ、そう言うタイプか」

「うん、今は色々着てみたらいいやって思ってるよ。

 頭の中でルネサンスが好きだからって、ファッションもルネサンスにしたいとは思ってないかな。

 あんたにとって、ファッションは自己表現なわけね。

 わたしにとっては、好きな人に好かれるためのツール、かなあ、今のところ。必死で似合わせて、気を引くための道具みたいな」

「この前言ってた好きな人と、今日会ってた好きな人って、別の人?

 ぜんぜん違う服じゃない?」

「うん、別の人だよ。この前はクラスメイトの女子で、今日は大阪でバンドのボーカルやってる男の人だもん」

「何人も好きな人がいるわけだ」

「ん〜、だから、どっちも付き合ってる人じゃないんだよ。

 わたしが、勝手にいいな、って思ってるだけで」

「僕からすると、服まで相手に合わせるなんて、よっぽど相手のことが好きなように思えるけど。

 今日のはともかく、この前のって、あんなの平気で着て梅田を歩き回るなんて、いくら好きでも、よくあそこまでできるよ」

「うん、すごく好きなんやと思うよ。

 毎日学校で一緒にランチしてもらえて、それだけで嬉しいなあって思ってるもん」

「そんなに綺麗な顔のやつなんだ」

「あんたも知ってる人だよ。

 こないだの京都のライブに来てた、あの一番顔の綺麗な女だよ」

「えっ、あれ!?

 あいつのためにそんなことやってんの?」

「わたしにとっては美の女神というか、女王様みたいなもんよ」

「はあ・・・女王様かぁ」

王子はしばらく黙りこくっていたが、

「ねえ、世の中には、一般に醜いって言われるものの中に、美しさを見出せるような人もいるって、知ってる?」

「それって、いわゆるB専てやつ?」

「まあ、そうとも呼ばれるかな。

 そういうやつらにとっての女王様は、あの女じゃないってことさ」

はっきりと言ってはくれないが、王子はわたしを励ましてくれているようだ。

どちらかというと、紘美より、わたしの肩を持ってくれているような。

むしろ今のは、もしかして、僕の女王様は・・・わたしだと?

いや、はっきり言われたわけじゃないんだし。

そう思って、頭に浮かんだ考えを打ち消した。

「で、今日あってた人ってのも、顔がいいんだ?」

「うん、レイちゃんも、すごく顔が綺麗だよ。

 レイちゃんは多分、今でも人気みたいだけど、どんどん人気が出て、東京でデビューするかもしれないって思ってるもん。

 そうなったら、もう会うことなんて出来なくなっちゃうだろうから、今だけだと思って、せいいっぱい楽しんどくねん。

 そんな風に割り切っておかないと、きっとめっちゃ辛いやろうなあって」

「レイ? その人、レイっていうの?」

そう訊くので、礼次郎のことを話したら、目を見開いた。

「驚いたな、その人、僕らの間でもすごく有名だよ」

「やっぱり!

 レイちゃんは、きっとメジャーデビューするだろうなって思ってる」

「うん、そんな噂を聞いたことあるよ。

 そうなると君が不安に思うのも理解できるな」

王子は初めて会った時から、まっすぐ話をしてくれる人だ。

誤解ないよう、傷つけないよう、慎重に、丁寧に、言葉を選ぶ。

ファッションには度肝を抜かれたが、話してみると、この人の人柄のようなものが信用できそうに思えたから、ひとりで京都に行ってみようと思ったんだ。

「あんたって、たいしてあんまりよく知らないわたしにも伝わるくらい、誠意ある会話をしてくれるね」

「そう?

 こんな格好してると、いろんな心無いことを言われるよ。

 そのせいかな。

 僕はぜったいに、誰に対しても、何があっても、心無い言葉を言わない、って決めてるんだ」

「うん、あんたにもファン、いっぱいいそうだね」

「ゲンや君の彼氏に比べたら少ないけどね」

「彼氏じゃないよ。

 あの人には一緒に暮らしている人がいて、わたしは時々お昼間にお茶してもらえるだけの付き合いなんだから」

「ふたりっきりで、でしょ?

 一緒に住んでるって人は、きっとふたりが会ってるのを知らないでしょ?

 それってデートじゃないの?」

「ああ、まあ、そうかもしれないけど」

「君の彼氏が、東京に行ってメジャーデビューして、会えなくなってしまったとしても、今日ふたりきりで一緒に過ごした時間は、その間だけは、その彼は自分だけのものになっていたんだ、って思っといた方がいいよ」

「うん、ありがとう。ちょっと自信でたわ」

王子はにっこりと頷くと、

「僕らもいずれ東京に出るつもりで計画をしているんだ。

 そうなる前に、またよかったらライブ、来てよね」

そう言って、由衣夏の返事を待たずに王子は去ってしまった。


アルバイトの帰り、久々にクラクションを鳴らされた。

助手席に乗り込み、

「ゲン、久しぶり」

と言った。

「ひさし、ぶり」

変なところで区切って返事が来た。

「あんな感じの音楽をしてたんやね。

 何にも聞いてなかったから、ビックリしたよ」

「驚いたのはオレの方だぜ。

 お前、いつの間にうちのギターと知り合ってんだ」

「ああ、紘美が着ろって選んだ服を着て梅田を歩いていたら、変なファッションの人がいる、って思われたみたいで、あとつけられて、話しかけられてん」

「なんだそりゃ。

 変なファッション?」

「うん、赤と青の横縞に、紫のトカゲがあっちこっちに飛んでる模様のトップスで、緑のサングラスかけて、金のネックレスしてた」

「それを、紘美がお前に着ろ、って言ったのか」

「うん、それ着て学校に行って見せてあげたよ。

 もう着たところを見せたから、服は捨てちゃったけど」

というと、黙って何か考え込んでしまったようだ。

「なんかさあ、わたし、まだ紘美から、あんたと浮気してると疑われてるみたいに思うんやけど」

「別にオレら、なんもしてねえじゃん」

「わたしもそう思ってんだよ。

 なんで紘美はわたしを目の敵にするわけ?

 ねえ、あんたって紘美のことをどう思ってる?

 彼女?」

そう聞くと、黙ってしまった。

「あんた、いろんな女とデートしてるでしょ」

「そりゃ仕事柄しょうがねえ。

 ホストやってんだから。

 客とメシ食うのも仕事のうちだ」

「客じゃなくても、ホストやる前から、あんたは女好きだったやん。

 その頃から他にも色々いたんやろ?」

そういうと、やっと頷いた。

「別に責めてないよ。わたしはあんたの何でもないんやし」

「お前さあ、紘美に勝ちてえって思わないのか」

突然、妙な話題に変えられて驚いた。

「え?」

「変な服、着せられて、悔しくねえのか、って聞いてんだ」

「そりゃ、イヤだったけど」

そういうとゲンはニヤリと笑って、体ごと由衣夏に向き直ってきた。

「オレもやったけど、お前も顔、変えてみりゃいいんじゃねえか?」

そりゃあ綺麗になりたいが、リスクが大きすぎる。

「紘美が怒ってる原因って、オレのこともあるけど、お前があいつに言った言葉のせいでもあるって、わかってるだろ。

 つまり、お前は顔以外はあいつに勝ってる、って思ってるんじゃねえのか?

 それだったら、顔も勝てば、全部勝てるってことだろ」

・・・そう言われると、その通りだと思えてきた。

しかし、整形すると言ったって、やっぱり怖いし、お金もかかるし、どこをどうすればいいって言うんだろう。

「お前、前に紘美が男を集めて、女王みたいにふんぞり返ってたの、オレと一緒に見ただろ? お前もあんな風になりてえって思わねえのか?」

1年生の年末だったか。

あの時、ゲンはそう思ったんだな。

たしかに、あの時のゲンは悔しそうだった。

「あの時のあれはすごいなって思うけど、でもあの時さあ、集まってきてた男の人たち、ブサイクでイマイチなヤツばっかりじゃなかった?

 わたし、そんなのいっぱい集めるより、この人!って言う自分の好きな人が可愛いって言ってくれることのほうがいい。

 何万人に可愛いって言われても、一番言って欲しい相手が可愛いって思ってくれなかったら、そんなの意味ないって思っちゃう。

 わたし、そっちタイプ」

そう言うと、ゲンは黙って考え込んでいた。

「たとえばさあ、お前、こんな顔になりたい、って思う顔はないのか?」

うーん、紘美と同じ顔になってもしょうがないしなあ、と思っていると、ひとりだけ思いついた。

「なれるんなら、レイちゃんと双子になりたいよ」

「レイちゃん?

 オレその彼女に会ったことあるか?」

「彼女じゃないけど、会ったことあるよ。

 前に一緒に大阪のライブで見たでしょ。

 あの時ボーカルやってた・・・」

とまで言った時、ゲンは目を見開いて、

「おい! オレはその案にめちゃくちゃ賛成だぜ!」

と、叫んだ。

同じ顔になったところで、礼次郎に愛されるかどうかわからないんだが。

むしろ気持ち悪いと思われるかもしれないが、由衣夏は礼次郎と双子に生まれたかった。

そうしたら、ずっと家族でいれて、一生縁が切れないのに。

優しい礼次郎のことだから、双子の妹のことをきっと可愛がるだろう。

由衣夏も自分の顔を鏡で見るのが楽しいだろう。

「いい、めっちゃいいぜ」

隣でゲンが両膝を揺すりながら嬉しそうにしている。

そういえば一緒に礼次郎のライブに行った時、由衣夏の言っていることが少しだけ理解できた、と言っていたが、あれは顔が好みなら、たとえ相手が同性でも好きになってしまう、というところだったのだろう。

つまり、由衣夏が紘美の顔に惚れたように、ゲンは礼次郎の顔に惚れたのだ。

これは、由衣夏はちょっとマズイことを言ってしまったかもしれない。

ゲンが由衣夏に整形することを煽るための格好のネタを提供してしまったのだ。

そりゃあそうなれば嬉しいが、由衣夏には整形は怖すぎた。

「ゲンは整形、怖くないの?」

「痛えけど、怖くはないな」

「痛いんだ」

「顎の骨を削った時は、痛かったぜ」

骨まで削ったのか。

想像するだけで、痛そうだし、恐ろしい。

そこまでするゲンの行動力が、やっぱり怖かった。

紘美は整形する必要がないくらい完璧な顔をしているから、一緒にいても整形を勧められることもなく、安全なのだろう。

それに、ビラビラ王子が、このままの由衣夏でも自分にとっては女王様だと言ってくれたのだ。

王子は紘美のことを、つまらない顔だけの女、というほど興味がないのだ。

レイちゃんだって、ふたりきりで由衣夏とデートしてくれている。

そう考えると、紘美に勝つためだけに、痛くて怖い思いをして整形する気になれなかった。

だってもう、勝っている部分があるんだもの。

でもゲンは、負けている、と思っているんだ。

「ゲンは、どうしてそんなにわたしを整形させたいの?」

「オレは、お前を勝たせてやりてえって思ってるだけだ。

 お前はいつもあいつに気を使って、あいつに遠慮ばっかしてるように見えるからさ。

 その原因は、顔なんだろ」

たしかに、そう言われるとその通りだ。

「まあそうなんだけどね、やる!って気にはなんだかなれないな。

 ゲンは整形して、いいこといっぱいあったの?」

「ん〜、まあそうだな。

 ホストとかバンドやってると、見た目が大事になってくるからな」

ふうん、とゲンの話を聞いているが、由衣夏はゲンを信用しきれないでいた。

直感だが、ゲンはサンプル収集をしているように見えるのだ。

こういう目のやつが、この手術をすれば、こうなる、というような。

店長が、ゲンの趣味は改造、だと言っていた。

つまり、人を変えて面白がっているのだ。

「ゲンの周りって、整形してる人っていっぱいいるの?」

「ああ、いっぱいいるぜ」

ゲンは、整形することが当たり前の世界にいるんだ。

「わたし、やっぱり今は怖くてできないよ。

 絶対、成功する、って保証があるなら、やるかもしれない」

「まあ、そりゃ、怖いわな」

よかった、無理に煽る気はなさそうだ。

でも気をつけなくては、きっと会うたびに整形を勧めてくるかもしれない。

「ねえ、ほんとにわたしを紘美に勝たせてやりたいって思ってるなら、この顔のままでも勝たせてよ。

 そしたら、ゲンが本当にわたしの味方なんだって、信じれる。

 紘美とばっかり一緒にいるくせに、お前を勝たせてやりたいなんて、その言葉をすぐに信じられると思ってる?

 ライブだって、一度も誘ってくれなかったやん。

 ギターの子が呼んでくれなかったら、ずうっと知らないままだったよ。

 今のわたしには、ゲンは紘美の味方にしか思えないよ。

 紘美から、わたしが整形に失敗して、二度と人前を歩けないようにして、とか頼まれてるかもしれないやん」

そう言うとゲンは黙ってしまった。

由衣夏は、この場はうまく逃げれた、と思って、ホッとした。

そう、この顔のままで勝つ、それこそが真の勝利なんじゃないだろうか。



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