第21話 二年生 11月

「ちょっと来てほしいねん」

学校の帰りに紘美に呼ばれ、ついていくと、ゲンの車が停まっていた。

後部座席に乗り込むと、ひろみが何か小さな紙を見せてきた。

「これ、どう言うこと?」

白い紙には、YUIKA と書いてあるように見えたので、よく見ようとすると、ゲンが横から手を伸ばしてきて取り上げられてしまった。

「えっ、今の、なに?

 わたしの名前が書いてなかった?」

そう言うと、紘美が、

「この人、大学辞めてホストになってん」

と言う。

事情がよく呑み込めなかったが、今の白い紙って、ホストの名刺?

ん?

ホストとは男の職業だから、ゲンの名刺ということだろう。

その名刺に、なぜわたしの名前が?

と、思って黙っていると、

「いやあ、いい名前だと思ってさあ」

と、ゲンが言う。

どうやら、ゲンは由衣夏の名前でホストの仕事をしている、そう言う事のようだ。

「これって、どう言う事よ!

 わたしに黙ってふたりで会ってたん?」

紘美が大声で言う。

なるほど、そう言う風に疑われるのか。

「ちょっと待ってよ、勝手に名前使われて、ホストって、なにそれ!

 しかも付き合ってるみたいに疑われて。

 めっちゃイヤやねんけど!」

由衣夏が後ろから叫ぶ。

「だから、たまたまなんだよ。

 面接に行ったらその場で採用が決まっちまって、すぐに名前を決めなきゃいけなくて、思いついた名前ん中でこれでいいかな、って思ったのがソレだったってだけでさ」

「名前なんか、ほかにもいっぱいあるやろ?

 それやのに、なんでその名前にしたんって聞いてんのよ」

紘美は納得がいかないようだ。

「ねー、わたしもイヤやし、今から他のに変えられへんの?」

由衣夏もそう言ったが、

「いや、もう名刺も作っちまったし、看板にもサイトにもこの名前を出しちまってるし、客だってもう付いてんだから、今さら変えらんねえよ」

と、ゲンがもう変えるのは遅い、と言う。

それに今から変えたところで、変えさせてやった、と少し機嫌がよくなる程度で、紘美の疑いや怒りは変わらないのだろう。

紘美はまったく納得していないようで、ゲンを腕組みをして睨んでいる。

「ほんまにふたりは何もないんやね?」

そういうので、由衣夏は、

「バンドに興味あるみたいやったから、前にわたしの友だちのライブに一緒に行ったことあるよ」

と素直に言った。

紘美は由衣夏を睨んで、

「ほら、やっぱりふたりで会ってたんやんか!」

と言う。

「でもライブ見ただけで、友だちと喋ってすぐ帰ったし、ほかは知らんし」

そんなに怒られることとは思えなかった。

しかし、礼次郎もそういえば疑ってたなあ、と思い出した。

男と女がただの友だち、というのは、ありえないことなのか。

しかし、由衣夏は、自分に大した非がないのに、ゲンと一緒に責められるのは納得がいかない。

「ねー、わたし別にそれだけやし。

 たしかにわたしはユイカやけど、ほかのユイカかもしれへんねんし。

 わたし関係ないって思ってるから、こんなんやってられへんわ。

 こんな疑われるって、あんたの普段の行いが悪いせいちゃうん?」

と、ゲンを見て言った。

そう言いながら、紘美が痩せた原因はこれか、と思っていた。

このふたりの恋愛勝負は、紘美の方が優位だと思っていたのに、名刺が出てきた程度でこんなに怒るとは、紘美の方がゲンに惚れているんじゃないかと思う。

ただプライドが高いせいで、許せないだけなんだろうか。

由衣夏ていどの女に浮気をされた、それが許せない、ということか。

それならば、こうやって怒ること事態、優位なポジションが揺らぐのではないか?

「オレだってこんな名刺が出てきた程度で、こんなに騒がれるなんて、やってらんねえよ。お前がそんなに気にくわないなら、もうオレとは会わなきゃいいだけだろうが」

と、ゲンが言うと紘美はピタッと黙ってしまった。

ああ、紘美の負けが決定してしまいそう・・・由衣夏はハラハラしていた。

自分の崇拝する美の女神が、にわかホスト野郎に負けてしまうのか。

しかも、その原因が自分の名前の名刺って、最悪だ。

男の人は女遊びをしても勲章になるが、女の場合は違うのかな。

モテモテの女王様、とも思われるし、男好きのふしだらな女、とも思われる場合があるのだ。

後者に思われる場合、モテない女が妬んでるのね、と笑って受け流せるような性格ならいいが、紘美は違うのかもしれない。

今まで好きな人がいなかっただけで、本当は、一人の人と愛し合いたい、って思ってる女の子に思えた。

お互い、最初は気の合う楽しい遊び相手の一人だったんだろう。

そのうちに紘美の方が本気になってしまった・・・と。

由衣夏とは、ゲンには自分がアセクシャルの話をしてあったから、キスどころか手も握ってないのに、こんな浮気を疑われてしまって・・・。

よく浮気された人妻が、体の浮気より心の浮気の方が許せない、と言うが・・・と由衣夏は考えて、もしかして、それなら、わたしは紘美に許されないのか?と思いついて愕然とした。

ならば、ゲンはなんと言うことをしてくれたのだ。

明日から由衣夏とは一緒にランチしてあげない、と言われたら、まだあと1年は送れたはずの幸せなランチタイムを泣きながら過ごすことになってしまう。

最悪。

最悪だ。

「ちょっとおおお〜〜!

 ふたりさあ、仲直りしてよお!

 わたし、困るんだけど!

 ホストの名刺はどうでもいいわ。

 それより、疑われるのがイヤ!

 野々宮とは今までどおり、学校で仲良くしたいんだもん」

由衣夏が本音を叫んだ。

ゲンの本心はわからないが、由衣夏のことはそれなりに好意を持ってくれているんだろうとは思っていた。

でも、恋人になるつもりはなかった。

ゲンはものすごい女好きで、ちょっとでも可愛いな、と思ったら悪気なくすぐに声をかける男だろうと思う。

そんな男に真剣に恋なんかしたら、辛いだけなのが目に見えている。

正妻という一番の座をもらって、それですべてを許せるくらいの女でなくては、ゲンの相手は務まらない気がする。

話していて楽しいのはわかるけど。

紘美が口を開いた。

「由衣夏ちゃんは、ホストの名刺に自分の名前が使われてもええの?」

「ええって言うか、どこにでもある名前やし、わたしから思いついたんじゃないかもしれへんねんし」

紘美が頷く。

「あとはふたりで話すから、今日は帰って」

と言われたので、さっさと車を降りて家へ帰った。

まったく・・・めんどくさいことをしてくれたもんだ。

いっそ紘美も美貌を活かしてYUIKAという源氏名でホステスデビューでもしたらどうだ。

そしてナンバーワンになって、お祝いのパーティを開いてシャンパンタワーをゲンと由衣夏に見せびらかす。

もしそれをやってくれたら、由衣夏は紘美を生涯女王陛下とひれ伏して崇めてやろうと思う。

ふたりで同じ名前で夜、働けばいいんだ。

店の帰りに肩を組みながらラーメンでも行ってさ。

そんなことを考えながらも、由衣夏は紘美がぜったいにそんなことをやらないのは、わかっている。

取り巻きの男たちに蝶よ花よと可愛がられて育っていただろうが、女王様の威厳を保つために何でもやるほどの根性とか気合いのないのも、もう知っていた。

陰で悪口を言うくらいしか出来ない女だ。

しかし、由衣夏の靴に画鋲を入れたりするような稚拙で下品なことはしない品性は持っている。

その点で紘美のことを嫌いにはなれないでいた。

あーあ、紘美はゲンとの恋愛ゲームの勝敗だけではなく、由衣夏に顔だけと言われたことも覆せないまま卒業する気なんだろうか。

女も、気合い、大事だな。

由衣夏はひとつ学んだ気がした。

アセクシャルで生きていくか、乗り越えれるか、わからないけど、わたしもここぞって時には気合いを見せれる女になりたい、と思った。


バイトの帰り、またクラクションが鳴らされたので、ゲンだと思った。

「はあい、この前はどうも」

と、言いながら助手席に座らせてもらう。

「お前、あれがあって、そうあっさり言えるって変わってるな」

「あのあと、どうなったん?

 仲直りはしてくれたん?」

「仲直りって言うか、別に何も変わんねえよ」

変わらない?

「じゃあ、あのケンカの後って、またラーメン食べにいつも通り行ったってこと?」

「まあ、そんなもんだな」

直感で、ふたりは肉体の相性が合ってるのかな?、と思った。

言葉には出さなかったが、確信があった。

つまらないいざこざに巻き込まれただけだったようだ。

「んで、今日はどうしたん?」

「いや、別に近くを通りかかったもんで、あんなことがあったから、どうしてっかなって思っただけ」

「んー、別に学校でも普段通り、何も困ったことになってないよ。

 ああ見えて、あの子は大人だし」

そう言うと、そうか、と返事が来た。

いちおう気にかけてくれていたわけだ。

「大学辞めてホストになったって言ってたね。

 どうしたん?」

「いや、音楽を本気でやろうと思ってよ。

 いろいろ金がかかるから、ホストが一番稼げると思ったんだ。

 オレは酒に強いし」

「ああ、じゃあ向いてるかもね。

 あのライブに行って、やっぱり音楽やろうって思ったの?

 メンバー抜けたとか言ってたけど、見つかったんだ」

「どうにかな」

「レイちゃんと一緒にライブやったら?」

「オレは京都でやるって決めてんだ」

「そっか」

礼次郎・・・成功してくれるのは嬉しいが、そうなると手の届かない人になってしまうんだろうと思うと辛くなる。

自分にも何か頑張れるものがあれば良かったのに。

「本気で頑張りたいものがあるって、いいな。

 羨ましいよ」

「そうか」

ゲンはその日も由衣夏を家まで送ってくれた。

大きな満月の夜だった。








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