第8話 一年生 10月
あっと言うまに中間テストだ。
この時期は、いくら試験が甘い学校に通っていると言え、由衣夏はいちおうおとなしく寄り道せずに自宅へ帰り、試験範囲を復習くらいはする。
担任に、来年から理系クラスをできるので、理系に進むか文系に進むか考えておくように、とも言われていた。
理系・A・B、の3クラスになるようだ。
由衣夏は考えずとも、文系でいくつもりでいた。
グループの中だと紗栄子がもしかしたら理系に行くというかもしれない。
話の合う紗栄子が理系に行ってしまうのは、少し寂しい。
試験の最終日、紗栄子が一緒に帰ろうと言ってくれた。
「やっと終わったなあ。
半日でそれはええけど、気分的に遊べる気分になれへんかったわ。
ちょっと散歩に付き合ってや」
「ええよ、どっかいい散歩コースでもあんの?」
「いいかどうかわからんけど、気に入ってるとこはあるで」
そんなことを言いながら、大阪城公園へ向かった。
由衣夏はコンサートなどにも行ったことがなかったので、大阪城公園は遠足で来たことがある程度だった。
大阪城ホールの近くに川が流れていて、その川辺が紗栄子のお気に入り出そうだ。
近くのコンビニでジュースを買って、川辺に座った。
綺麗に整備されているが、対岸にはブルーシートで作られた小屋が見える。
暗くなったら少し怖いかもしれない。
「なにがあるってわけちゃうけど、あたし、ここで川見てボーッとすんのが好きやねん」
「綺麗な川やね。ちょっとわかるわ」
「あ、ほんま、良かった」
紗栄子はコンサートに行った時に、この場所を見つけて、開場までここで時間をつぶしたりしているそうだ。
「来年のクラス分け、考えた?」
「うん、考えてるよ」
「あたしは考える余地なく文系やけど、紗栄子はもしかして理系?」
「え、あたしも文系で考えてたよ」
「やった、ほんま!? 紗栄子頭いいから、理系に行ってまうかと思ってた」
「賢くないよ〜。うちのグループは全員文系ちゃうかなあ」
「そっか、じゃあ今のまま、みんなで一緒にいれるんや」
「そうなるね」
「あ、良かった」
由衣夏は心配事があっさり解決して、すっきりした。
「うちの学校ってクラスわけないから、なんか兄弟みたいな気分になるよな」
と、紗栄子が言い出した。
「兄弟か〜。あたしはそんな気にならへんわ」
「え、そうなん?」
そうだよ、兄弟に言い寄られたりするか?
紗栄子はそういうことがなかったから、そんな気分になれるんだろう。
しかし今の発言は、紗栄子に冷たい人間だと思われそうで、失言だったかもしれないと思った。
「だってさ、紗栄子は覚えてる?
入学してすぐぐらいに、レズとか言われて、何人かに気持ち悪いとか言われたんやで」
そう言うと、紗栄子は遠い目をして、ああ・・・と言った。
部外者からすると、記憶に薄いのだろう。
言われたわたしは、きっと一生忘れない。
「あん時、言い返したら退学されてさあ」
そう言うと、驚いたように、
「ああ! そうやった! 来てないな」
「あのまま退学されてん。
こっちが被害者やのに、加害者にされたみたいで、めっちゃ気分悪かったわ」
「あれ、退学したんや」
「休んでると思ってた?
違うよ、最悪やで。
ミミとふたりでおったら、手を握って来られて、レズかどうか確かめてるんだとか言ってきて。はあ?って顔したら、お前はレズだろうと騒がれて。
なんでやねん!」
由衣夏の話を聞くうちに、紗栄子は吹き出してしまい、笑いながら何か言おうとするが、笑いが止められないらしい。
「そしたらカオリちゃんまで混ざってきて、ええっ、気持ち悪い! わたしを好きにならないでよ! とか言ってきてさあ。
なるか! っちゅうねん」
紗栄子は手を叩いて笑い出した。
「もう、ほんま、最悪」
紗栄子はどうにか笑いがおさまってきたようだ。
「そんで、言い返したら退学されたんやな。
めっちゃイヤやん、それ」
「めっちゃイヤよ。
リカが家まで呼びに行くから一緒に来いとか言われて、なんでわたしが行かなあかんねん。そっちが謝りに来いよって」
「そら、そうやな」
「せやろ。そんで、断ったら、退学しよってん。
もう、ウザ!」
紗栄子は声を出さなかったが、肩を震わせて笑った。
「入学早々、大変やったねえ」
そう言って缶ジュースを前へ出してきたので、由衣夏は自分のジュースを押し当てた。
乾杯、何にかわからないが。
紗栄子が思いっきり笑い飛ばしてくれて、とても気持ちが軽くなった。
一緒になって重くなる相手だと、余計に疲れただろうし、頑張って、とか言われたら、おまえに何がわかるんだと腹がたっただろう。
「わたし、尼になろかな」
由衣夏は、川面を見ながら呟いた。
紗栄子が笑いを抑えながら、
「どうしたん、急に」
「なんか、いろいろ虚しくて」
「他にもなんかあるん?」
紗栄子にも、中学生の時にあった、教師からのレイプ未遂事件を話した。
「それ、学校で問題にならんかったん?
親は?」
「言ったよ、お母さんだけに。
それがさ、うちの親って、まるでわたしの方が先生を誘惑したんじゃないか、みたいな感じやってん。
あんたは・・・みたいな。
わたしを責めるような目で見てきたんよ。
だから、親から学校には何も言ってくれてないと思う。
その先生は、わたしの学年から受持を外されて、卒業まで顔を合わせることがないようにしてくれた。
それだけ」
紗栄子は黙って聞いてくれていたが、
「はあ、お母さんがそれって・・・」
「うちの親って、なんか愛情とか薄いなって思ってたけど、そこまでどうでもいいって思われてるとは思わへんかったわ。
でも、親のことより、わたし、それ以来、性欲とか気持ち悪い、って思うようになってん。
下ネタも気持ち悪いし、なんて言うか、わたしに迫ってくるときの先生が、超気持ち悪かった。
あんなん、気持ち悪いだけやん。
一生わたし、誰ともそんなんしたくないねん」
「ああ、なるほどな」
「だから出家したら、そう言うものとは縁のない世界で、念仏三昧で生きれるんちゃうかなあって」
「うーん、うちは寺やけど、お坊さんは結婚できるよ。
それに、やってることってお坊さんやけど、会社員に似てる、て思うところあるよ。
トイレも行くし、スーパーに買い物に行って料理もするし、掃除もするし、お風呂も入るし、結婚して子どもも作るし、普通の人とそんなに変わらへん、って思うけどなあ。
お経だって、お坊さんじゃなくても、誰でも唱えていいねんで」
由衣夏は紗栄子の話を聞いて、自分の考えが甘いことに気づかされた。
出家したところで、逃れることはできないのか。
「すごい、色んなことあってんな」
「んー、他の子からこんな話は聞いたことないな。
わたしは今、言ってしまったけど、あんまり大っぴらに言う話しちゃうし、みんなずっと黙ってることちゃうかな」
「そっか、そうかも。
なんか、由衣夏ちゃんてちょっとみんなと雰囲気ちがう、って思ってたけど、その理由がわかった気がしたわ」
「えっ、わたし、なんかちがう?」
「うん、なんか落ち着いてる感じで、大人っぽいと思ってた」
「あれっ? そう? 自分じゃチビやし、ガキっぽいと思ってた。
だからレズとか侮られるんや、って」
「ぱっと見は小柄やから、そう見られるかもしれへんなあ」
「あのレズとか言われてる時さあ、リカが横におって、ミミはネコやって言っててん。
ネコって、わかる? 抱かれる方の人のこと。
てことは、つまり、わたしが・・・」
そこまで言うと、紗栄子がまた笑い出した。
「下ネタすら気持ち悪がってるわたしが、触るか!」
ぎゃはははっ!
紗栄子が大声で身をよじって笑う。
「はあ、笑い飛ばしてくれて良かったよ〜。
もう、誰にも言われへんかって、イライラが溜まってたかも」
紗栄子にとっては面白いだけかもしれない。
しかし、あの事件は、下手をすると由衣夏が退学していたかもしれないのだ。
「今日はまさかこんな会話になるとは、思ってなかったわ」
「ああ、そうね。
わたしもやで」
そう言って笑いあった。
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