6-1.【事例3】盗まれた提案書

 この事例は、私が会社に入って間もない、まだ新人と言っていいころの話です。


 当時、私のいた会社では、各製品ごとに事業部が置かれていました。事業部は、担当する製品の企画、営業、製造、販売、研究など・・全てを取り仕切ります。ただし、化学プラントの設計、工事に関する事項だけは専門性が極めて高いので、各事業部とは独立して、全社の共通部門として、エンジニアリング部門が設けられていました。つまり、エンジニアリング部門が、全社の各事業部の化学プラントに関する設計、工事を一括して引き受けるというわけです。


 当時、私は事業部ではなく、このエンジニアリング部門に所属していました。


 さて、各事業部とエンジニアリング部門の仕事の進め方としては、各事業部が化学プラントに関する工事を起案して、設計と工事をエンジニアリング部門に依頼するという形式が取られていました。このため、各事業部が化学プラントに関する工事を起案してから、エンジニアリング部門の仕事が開始されることになります。


 しかし、各事業部における工事の起案以前にも、設計の手助けが必要となることもあります。そんなときは、事業部が工事を起案する前に、『エンジニアリング部門の人間を事業部の会議に呼んで、オブザーバーとして意見を言ってもらう』といったことをしていました。


 ある時、私は、ある事業部の進むべき将来を検討する会議に、オブザーバーとして呼ばれたのです。


 実は私には、『その事業を将来こういう方向に進めるべきではないか』という考えがありました。その考えを人に説明するには、複雑な説明図が必要でしたので、私は手書きでその提案書を作成して、その会議で事業部のメンバーに配って説明したのです。


 手書きにした理由は簡単で、コンピューターで描くには説明図が複雑であったことと、設計という仕事柄、私は手で定規を使わずに線や図形を描くといったことが非常に得意だったことから、手書きを選んだのでした。


 さて、事業部の会議で、私の提案は大いに賛同を受け、その内容を事業の統括責任を持つ役員に提案しようということが決まりました。私は、自分の提案が事業部に受け入れられて大変満足し、非常に充実した気分を味わうことができたのです。


 さて、その事業部の会議から3日ほど経った日のことでした。


 当時、私は工場に勤務しており、同じ工場の敷地内に会議のあった事業部の生産プラントがありました。私は、野暮用があって、その生産プラントの事務所をたまたま訪ねました。


 すると、驚くような光景を眼にしたのです。


 その生産プラントを統括する課長が、自分の机の上で、なぜか、私の作った手書きの提案書をそっくりそのまま、別の紙に手書きで書き写していたのです。課長はこういった複雑な手書き作業に慣れていません。このため、私の描いた説明図を描き移すのに苦労している様子でした。


 私は、その課長に尋ねました。


 「〇〇課長。一体何をされているのですか? △△役員には私の作った提案書をそのまま見せればいいじゃないですか? もし、もっと綺麗に描けということなら、私が描きますよ」


 すると、その課長は非常にバツの悪そうな顔をして、薄笑いを浮かべながら、こう言ったのです。課長の言葉は今でもよく覚えています。課長の言葉をありのままに、ここで再現してみたいと思います。


 「エへへ。悪いな、永嶋。・・・実は、『この案を役員に提案するに当たっては、提案者の永嶋の名前と筆跡をすべて消せ』という指示が本社から来ているんだ。それで、お前の名前を消して、俺の筆跡の手書きで、すべてを書き写しているところなんだ」


 その瞬間、私はすべてを悟りました。


 その事業部は、その提案に関する私の関与の痕跡をすべて消し去って、その提案はエンジニアリング部門の永嶋が考えたものではなく、事業部が考えたことにして役員に説明するつもりだったのです。すなわち、私の提案をそっくり盗むつもりだったわけです。


 やがて、本社の事業担当役員への報告会議が開かれました。しかし、私は会議には呼ばれず、その工場の課長が、私の提案を自分たちが考えた案だとして説明したのです。


 その結果、事業担当役員はその提案に強い賛同を示し、その事業部では、その内容を将来ビジョンとして中期計画に盛り込むことを決定したのです。そして、その課長他、事業部の関係者は、すばらしい提案をしたということで、事業担当役員から大いに称賛されたのでした。


 なんと、私は自分の考えを完全に事業部に盗まれてしまったのです。


 そして、私が真の起案者であるという事実は、完全に闇のなかに葬られてしまったのです。


 私の所属するエンジニアリング部門は、もともと事業部への関心が薄く、私がこの事実を上司に話しても、上司は私を弁護するどころか、この話に何の興味も示してくれませんでした。また私は、エンジニアリング部門の中で、何のプラスの評価もされませんでした。


 ここに至って、私の憤りとストレスは頂点に達しました。悔しくて眠れない夜が何日も続きました。あまりのストレスに身体が壊れてしまうのではないかと思ったほどです。


 しかし、事業部には関係がないエンジニアリング部門の、しかも新人社員にすぎない私には、その事業担当役員との接点などがあるはずもありません。このため、その役員に「あれは、実は私のアイデアです」と訴えて出ることは不可能でした。


 結局、私には泣き寝入りするしか方法がなかったのです。


 ここまで読まれた読者の皆様の中には、「名前や筆跡を全部消して、アイデアを盗むなんて、いくらなんでもそんなヒドイことが現実にあるわけがない。ここに書かれていることは全て嘘だろう」と思われる方もいらっしゃるかと思います。


 正直、そういう経験をされていらっしゃらない方は幸せだと思います。これは嫌味や皮肉で言っているのではなく、「こんなヒドイ経験はしないほうがいいですよ。経験しても、あなたの人生にとって何のプラスにもなりませんから」という観点からの率直な私の意見なのです。


 私がここに書いたことは、まぎれもない事実であり、私は平気で人の提案を盗む、人を裏切るという「人間のさがや本質」を目の当たりにしたのです。


 いま考えても、本当にヒドイ話だと思いますし、いまでも、私の提案を盗んだ連中には腹が立ちます。


 しかし、これが、私が直面した「現実」だったのです。


 以上が【事例3】の私のストレス体験です。


 さて、皆様には、この【事例3】とよく似たご経験はありませんか? また、もし皆様がこの【事例3】の私の立場だったら、皆様はこの事例のストレスから逃れるにはどうしたらいいのでしょうか?


 それでは、次回にこの【事例3】をゲーム分析で振り返ってみたいと思います。

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