おぼえてないのは彼女だけ⑤

 私の名前は一ノ瀬あおい。

 ストーカー、改め、嘘つきです。


 もちろん、うまくいくとは思っていなかった。


 記憶喪失の偽装なんて、冷静に考えれば全然現実的じゃない。


 でも、もしかしたら、村上君なら。優しい彼なら、自分が記憶を失った可能性がある以上、頭から否定することはないんじゃないか。そんな打算もあったと思う。


 結果はなんと成功。私はまんまと彼の彼女になった。


 もちろん悪いことをしている自覚はある。彼の事故につけこんだんだ。サイテーだと思う。


 でも、村上君が遠くに行ってしまうよりはずっといい。


 私は必死に村上君の、いや、コースケの彼女になろうと努力した。


 ストーカーをやっていたおかげ(?)か、私はコースケのことは知りすぎなほどに知っていた。交友関係に家の場所、趣味嗜好まで。彼が喜びそうな話し方や服装もだいたい把握していたから、彼女的なふるまいには困らなかった。


 あ、ただ名前呼びだけは流石に恥ずかしかったな。自然に呼べるように家で何回もしてたら、両親に気持ち悪がられたっけ……。


 なによりコースケのさりげない優しさが私に向くことが嬉しくてしかたがなかった。ずっと遠くで見ているだけだったものを直に触れられる。ずっとこの関係が続けばいいと、本気で思った。


 真相を言うタイミングは完全に通り過ぎてしまった。もとよりいえるはずがない。


 だってストーカーだよ? 犯罪者だよ?しかも嘘つきだよ?

 絶対に嫌われる。

 彼がいなくなってしまう。

 それだけは、嫌だ。

 だから、私はなんとしてもこの関係を続ける。隠しとおして見せる。

 このままずっと。いつまでもずっと……。




「今日、誕生日だろ。おめでとう」


 水族館デートの最後、テーブルに置かれたプレゼントを見て、キョトンとする。


 確かに今日は私の誕生日だ。

 でも、おかしい。私は彼に誕生日を教えてない。

 どうやって調べたんだろう。


「これ、開けていい?」

「もちろん」


 包みを開くと、そこには白い筆が整然と並んでいた。


「水彩筆……私が使ってるやつ……」

「その、筆は消耗品って聞くし、何本あっても困らないかなって」


 私が普段使っているものだ。最近痛み始めて買い換えも考えていた。

 どうしてわかったんだろう。恭子ちゃんあたりに聞いたんだろうか。

 私に黙って、色々調べてくれたのかな。サプライズってやつかな?


 そう思うと、口元におさえきれない笑みが浮かぶ。

 本当にどこまでも優しいな。

 ほんとに、大好きだ。


 けど、そんなまわりくどいことしなくても、直接聞いてくれたら喜んで答えたのに……。


「……あ」


 ああ。そうか。

 聞けないんだ。


「……そっか、そうだよね」


 彼は、私に何も聞けない。

 なにも言えるわけがないんだ。


 そんなことしたら、私に悟られてしまうかもしれない。

「私のことをおぼえてない」ということを。


 多分、それは今日だけじゃない。あの事故の日から、ずっとずっと彼はありもしない記憶の埋め合わせをしてくれていたんだろう。


 なんのために?

 もちろん。この関係を壊さないために、だ。


 きっと彼はこの先もこの関係を続けてくれる。

 優しい人だから。それを人に見せない強い人だから。


 じゃあ、それじゃあ、彼は……。


 いつまでそれを続ければいい?



「……ちがう。ちがうの」


 このとき、私は初めて自分のやったことの残酷さを思い知った。

 瞳に涙が溜まるの感じる。言い訳みたいな涙だった。


「……ごめんなさい」


 彼の心配そうな顔を見るのが苦しくて、私は逃げるように店を出てしまった。


「卑怯者」と背中越しに彼に叫ばれたような気がした。



———————————————————————————————



 僕の名前は村上康介。

 今日ほど、自分が記憶喪失であることを思い知らされた日はない。


 あおいが店から出て行った後、混乱してしばらく身動きがとれなかった。


 さっき、あおいは泣いていた。

 喜びじゃない、ひどく傷ついたような表情だった。


 今日は誕生日じゃなかった? プレゼントに問題があったのか?


 なんにせよ、彼女が急に泣き出すなんて尋常じゃない。


 彼女のトラウマに触れるようなものだったりとか、過去の僕と関係したりするのか?


 とにかく、すぐに謝らないと。


 でも……いったいなにを?


「……馬鹿か僕は」


 こうして彼女が泣き出すまで気づかなかった。


 彼女を知らないということがいかに致命的かということを。


 僕には彼女の涙の理由すらわからない。謝ることすらできない。

 そんなことで、なにが彼氏だ。ふざけるな。


 じゃあ、泣いている彼女のために、今の僕にできることはなんだろう。


「……いかなくちゃ」


 僕は席を立ち、急いで彼女の背中を追いかけた。

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