※※※

 五華いつはな学園の中庭は、ちょっとしたスタジアムのような造りをしている。


 観客席を周囲に造る代わりに中心を掘り下げ、腰掛けて観戦するのに丁度よい高さの階段で周囲をグルリと取り囲んだ様は、四角形のコロッセオのような雰囲気もあった。底面が軽く50メートル四方はありそうなその造りは、本来中庭に配置するには大規模すぎる造作ぞうさくなのだろう。


 ──というよりも、ここを『中庭』って呼ぶ方が間違ってんのかもな。


 その光景を眺めた雷斗ライトは、胸の内で小さく呟いた。


 雷斗の視線の先、中庭の窪地の底面には、いくつかのグループになって生徒達が立っている。階段状の観客席にはさらにその何倍もの人が詰めかけていた。その誰もが興奮しているのか、この窪地の中だけ空気が熱い。


『さぁー! 皆さんお待たせいたしましたぁーっ!! 毎年恒例! 五華祭最大の目玉! 疑似実地パフォーム! いよいよ開幕でございますっ!!』


 雷斗達が現場に入った時には、既に他のチームは入場を終えた後だった。放送部による口上が始まるギリギリ直前に中庭の底面を踏めば、他チームの鋭い視線が雷斗達へ突き刺さる。


 ──にしても、有名所がよくもまぁ揃いも揃って。


 睨まれるのはいつものことだ。慣れ親しんだ敵意を今日もあっさりと受け流し、雷斗はゆっくりと場に視線を配る。


『全16組というのは、ランキング上位16組の間違いだっただろうか?』と一瞬考えたくらい、疑似実地パフォームの会場にいたのは有名チームばかりだった。ハレの場にふさわしく揃いの衣装や小物でバッチリ身を固め、得物をギラつかせる参加者達の敵意は、ほぼ全てが雷斗と杏奈アンナに向けられている。


 ──ま、元から目障りだった一年コンビが、デカい態度で現場入りしたら、まぁ面白くはないわな。


 内心だけで小さく呟いてから、雷斗は観客席の最前列に視線を走らせた。


 放送席の隣が来賓席だ。そこにいかにも高級そうなスーツを纏った壮年の男と、見慣れた顔がいくつか並んでいる。錬力相と、それを護衛する錬対の面々だ。


 ──おっちゃんがいない……?


 その一行の中に白浜しらはまの姿がないことに、雷斗はそっと目をすがめた。


 錬力相の左右を固めているのは、白浜よりも上役に当たる人間だった。錬力相のナナメ後ろに内村うちむらを控えさせているのはあえてなのか、それとも内村が白浜の想定以上に上手うわてで潜り込むのを阻めなかったのか、どちらなのだろうか。


 ──多分『あえて』で『作戦』なんだろけども。……錬力省側がよくおっちゃんなしの護衛で納得してくれたよな。


 錬対きっての敏腕捜査官である『仁王』は、その武力的な強さから要人警護にも引っ張りだこであるらしい。特に各錬力分野との関わりが深い錬力省の要人警護には必ず『仁王』が配備される。その関係で『仁王』は錬力相とも個人的に顔馴染みなのだと、前に何かのついでに小耳に挟んだような覚えがあった。


 ──錬対も仕掛てきたってことだな。


『イト』


 不意に、隣に立っていてもインカム越しでしか聞こえないほど微かに杏奈が雷斗を呼んだ。意識を引き戻せば、放送部による出場チーム紹介が終わり、開幕までの秒読みが始まろうとしている。


『作戦は、ここに来るまでに伝えた通りに』


 杏奈の言葉に、雷斗は杏奈にだけ分かるように微かに顎を引く。それを受けた杏奈は小さく頷き返すと、スルリと顔からメガネを外した。


『5、4、3、2、1……』


 閉じられていた杏奈の瞳が、カウントダウンとともにゆっくりと開かれる。


雷撃の直観ライトニング・インサイト』が、静かに目覚めの咆哮を上げる。


『ゼロ! スタートですっ!!』


 開始の合図が響き渡るよりも先に雷斗が立っていた地面はえぐられていた。そしてそれよりも先に雷斗は杏奈を抱えてその場から飛び退っている。


「イト、4秒後に1メートル以下まで屈め。そのまま前方へ回転して退避。次いで9時方向へ75センチ移動。10時の方向に一人いる。足払いで体勢を崩し、相手を跳び越えて11時方向へ3メートル前進」


 雷斗の首にぶら下がるように抱きついた杏奈から高速で指示が飛ぶ。雷斗はその指示に無言のまま従った。しゃがみ、跳び、攻撃し、さらに前へ踏み込む。


「ガッ!?」

「ウゲッ!?」

「ちょっ!?」


 そうやって切り抜けてきた後ろでは鈍い音と悲鳴が聞こえていた。一連の動きをこなした後に背後を振り返ってみれば、土煙で視界が悪くなった中、雷斗を狙った者同士の攻撃が錯綜さくそうして相討ちが多発している。


「さすが」

「慢心するにはまだ早い。……来るぞっ!」


 杏奈の声に雷斗は体をひねる。先程まで雷斗の上半身があった場所に突き出された槍の穂先は、そのまま雷斗の背後まで貫通すると別の生徒を吹き飛ばした。その結末を見届けることなく、雷斗は雷撃をまとわせた右のかかと落としで無防備にさらされた槍の柄をへし折る。


『他のチームが狙ってくるのは、間違いなく私達だ』


 ここに踏み込む直前、雷斗は杏奈からこの疑似実地パフォームに対する見解を聞いていた。


 急なルール変更は錬力相の日程に無理やり合わせたという意味の他に、効率的に『ライトニング・インサイト』を潰したいという思惑も含まれると杏奈は口にした。


『一年からエントリーするのは私達だけだし、実質「ライトニング・インサイト」はイトが一人で戦っているようなものだ。囲めばたやすく落とせると周りは思っているだろう。その心理を利用して「ウェルテクス」は自分達の手を汚すことなく、あるいは楽に決着が付けられるように、私達を袋叩きにする予定であるはずだ』


 だからそれを利用する、と杏奈は言った。


 すなわち、あえて雷斗からは仕掛けず、敵を引き付けるだけ引き付けて敵同士で相討ちを誘うというのが杏奈の作戦だった。


『ランキング上位に名を連ねるようなやつらは、みんな野心が強いくて負けず嫌いだ。普段から目障りで仕方がない「ライトニング・インサイト」を討ち取ることができる機会となれば、みんな我先にと群がってくるさ』


 その割に学生は実地経験数が足りない。一年生というだけでナメてかかってくるだろうが、普段錬力犯罪者を相手に切った張ったを繰り広げている雷斗から見ればピヨッコもいい所だ。


『精々現場の厳しさを教えてやれ』と、杏奈は酷薄に笑っていた。案外杏奈は、雷斗が自分とひとくくりにされて周囲からけなされている日常に日頃腹を立てていたのかもしれない。


 ──でもあんまり実力を見せつけすぎるのって良くないと思うんすよ、アンナ先生。


「次いで6時、12時より斬撃と打撃。しゃがみ込んだまま3時の方へ転がって退避。これで半分は消えた」


 雷斗が作戦を回想している間も敵は着々と数を減らしていた。襲撃を切り抜けた雷斗は地面を転がって退避した後、さらに強く地面を蹴って大きく後ろへ下がる。


「……ふぅー」


 改めて会場を見渡すと、確かに杏奈が言う通り敵の数は半分以下まで減っていた。より正確に言うならば、『ライトニング・インサイト』と『ウェルテクス』、そこにメンバーが欠けた3チームほどがかろうじて残っている、といった雰囲気だ。


「さて、ここまで来たら、そろそろ本気を出してもいいかもしれない」


 杏奈がそう呟いた瞬間、はしばみ大地ダイチが操る矛がさらに周囲の人間を吹き飛ばす。それに続くかのように榊原さかきばらハヤテの双剣が残りの人間も封殺し、会場には『ライトニング・インサイト』と『ウェルテクス』だけが残された。


 その一部始終を目撃した雷斗は、油断なく『ウェルテクス』を見据える。


 ──展開が早い方が俺達も助かるけども。


 こうもあっさりと外野が片付けられてしまうと、逆に向こうにも何か思惑があるのかとかんってしまう。


『おぉーっとぉっ!? 開戦してまだ15分も経っていないのですがっ!? 戦況はすでに決勝戦と相成りました!! 決勝戦は「ウェルテクス」対「ライトニング・インサイト」!! やはり昨年覇者にして生徒会チームは強いっ!! 対して歴代最速で事件解決記録件数を更新したスーパールーキー「ライトニング・インサイト」!! さぁさぁどこまで喰らいついていけるのでしょうかっ!?』


 放送部の興奮した実況に観客席もワッと熱を上げる。投げられる声援は五分五分といったところか。


「……アンナ」

「大丈夫だ。まだ行ける」


 スルリと雷斗の腕からすり抜けた杏奈はトンッと己の足で地面に降り立った。そんな杏奈の頬をツウッと一筋汗が伝っていく。


 すでにここまで杏奈は雷斗をナビするために15分近くぶっ通しで戦況を分析し続けている。タイムリミットは刻々と近付いているはずだ。


 ──持久戦には持ち込めない。


 雷斗は肩幅に足を開くと、右の拳を構えた。そんな雷斗を見遣った杏奈はトトトトトッ、と己の足で後ろへ下がる。


 ──短期決戦で片付ける!


「やはりこうなったな、稲妻いなずま雷斗」


 そんな雷斗を見た颯は薄く笑った。その隣で大地もスッと矛を下段に構える。小型のノートパソコンを手にした稲荷いなりナツメはそんな二人から離れて後ろに陣取っていた。それぞれの耳にはめ込まれたインカムが鈍く緑に光っている。


「我らが大義のため、さっさと沈んでくれ」

「悪ぃな、あんたらが『大義』として何を掲げてんのかも知らねぇし、俺達にも都合ってもんがあるからよ」


 パシッと、雷斗の拳からスパークが飛ぶ。その不穏な音と緊張に、会場がシンと静まり返った。


「さっさと倒れやがれくださいってんだ、このクズ野郎ども」


 開戦は、唐突だった。


 まるで瞬間移動してきたかのようにいきなり颯の双剣が雷斗の首を狙って翻る。雷斗はそれを冷静に避けようとしたが、その瞬間グラリと足元が揺れた。大地による『地』の錬力攻撃だと分かった時には回復不能なまでに重心が崩れている。


『イト、そのままタックル』


 杏奈の指示は短い。だからこそ、考えるよりも前に動ける。


 雷斗は態勢を崩した勢いを殺すことなく体を沈めると、足に雷撃を纏わせながら崩れかかる地面を蹴った。まさか颯も体勢を崩した雷斗が自分に向かって突っ込んでくるとは思ってもいなかったのだろう。無防備にさらされていたボディに雷斗の肩が突き刺さる。


「グッ!?」


 だがその一撃で倒れてくれるほど颯はヤワではなかった。己に風を纏わせて自ら後ろへ跳んだ颯は、トンボ返りをしながら後ろへ下がると片膝をつく体勢で着地する。


『右頭上より矛による斬撃。矛に雷撃は通らないと思った方がいい。『雷』に『土』は鬼門だ』


 そんな颯をかばうように大地が矛を繰り出す。雷斗はとっさに雷を纏わせた手を矛の柄に向けていた。


 狙ったのは深見台美術館での再現だ。矛を切断してしまえば攻撃の威力は削れる。双剣を破壊することは難しいが、雷斗の身体強化と反射神経を用いれば矛の柄くらいならば捕らえられるはずだ。


 そう考えての行動だったのだが甘かった。


「ガッ!?」

『イトッ!!』


 矛の軌道が途中でフワリと浮いた。え、と思った時には予想していなかった方向から打撃を受けて雷斗の体は吹き飛ばされている。そこに錬力によって生成された岩の棘が突き刺さった。さらに追い打ちとばかりに颯が操る鎌鼬までもが追撃を仕掛けてくる。


『っ、イト。。やつらの連携を支えているのは後衛でナビをしている稲荷棗だ。先に稲荷棗を落とす』


 杏奈の声が一瞬動揺に揺れる。だがその揺れは本当に一瞬だけだった。杏奈は取り乱すことなく雷斗への指示を続ける。


 その声が、痛みに飛かける雷斗の意識を繋ぎ止めた。


「っ……でも、あれは」

『私とのことは気にするな。稲荷棗が落ちて単純な個と個の戦闘に持ち込めれば、もはや勝負は決まったようなものだ。最悪私のナビがなくてもイトなら勝てるし、そこまで行けばやつらに目の前で起こったことを気にしていられる余裕はない』


 雷斗は普段『雷』という錬力属性を、己の身体強化や相手に向かっての小規模な直接攻撃に使っている。


 だがそれは『雷』の錬力使いの正しい戦い方ではない。


 ──そして今は、その攻撃を最大限に活かせる補助札がある状態……!


『一番効率がいい場所まで誘導する。。イトは落とす準備を。必要な時間は?』


 雷斗は全身から血をにじませる体を無理やり立ち上がらせ、己の両足で地面を踏みしめた。


 そんな雷斗に颯と大地は追撃を仕掛けてこない。恐らく今の一撃で勝負は決まったと高をくくっている。会場の観客達も、そんな雷斗の姿に息を呑んでいた。『お前はよくやったよ』というねぎらいの視線のようなものまで感じる。


 そんな空気の中で、己の両足で地面を踏みしめ、ひたと雷斗を見据えた杏奈だけが、雷斗の勝利を確信していた。タイムリミットが近いのか、杏奈の顔には玉のような汗が浮いている。それでも杏奈は雷斗と目が合うと、挑発的に微笑んで小首を傾げてみせた。


 その姿に雷斗は腹をくくる。


「5秒で」

『稲荷棗になるべく近付きたい。二人の防衛ラインを越えて背後に回り込むぞ!』


 雷斗が答えると間髪入れずに杏奈の指示が飛んだ。その声にグッと足に力を込めた雷斗は、次の瞬間、生物を越えた加速で前へ飛び出す。


 その瞬間、杏奈は首に下げたロザリオを手に取るとパッとその腕を頭上へ上げた。


『今だ! っ!!』


 この期におよんで雷斗が真正面から飛び込んでくるとは思っていなかったのだろう。颯と大地、両方ともが突撃する雷斗に一瞬怯む。


 それでも二人は瞬時に精神を立て直すとそれぞれの得物を構えた。


 しかし雷斗の体は、そんな二人を。二人の目の前で雷斗の輪郭がぼやけたと思った次の瞬間、雷斗はすでに二人の背後の地面を蹴っていた。


「なっ!?」

「透過能力!?」


 反射的に振り返った颯が鎌鼬を放つ。だが雷斗はその攻撃に振り返りもしない。再び透過された体を鎌鼬がすり抜けていく。


 ──やるじゃねぇか、雨宮あまみや詩都璃シヅリ


 疑似実地パフォームでのアシスタント。


 それが杏奈と詩都璃の『取引』のひとつであるという。


 ごった返す観客にまぎひそやかにサポートをしてくれているのであろう詩都璃に向かって、雷斗は心の中だけで快哉を叫ぶ。その瞬間、雷斗の体は実体を取り戻していた。


 輪郭を取り戻した手を、雷斗は前へ伸ばす。前衛二人を抜いてしまえば稲荷棗はすぐ目の前だ。後衛でぬくぬくと状況をモニタリングしていた棗は、早すぎる展開についていけずに大きく目を見開いている。


『やってくれ、イトッ!!』

「目も耳も塞いでろよっ!! アンナッ!!」


 タックルを喰らわせる要領で稲荷棗の身柄を押さえた雷斗は、空いている左腕を空に向かって突き上げた。その腕の軌道に沿って空に向かって一筋、雷が打ち上げられる。


「雷帝っ!!」


 その雷は、即座に何百倍にも成長して地上へ帰ってきた。


「招来っ!!」


 雷斗の呼び掛けに応え、天から神々の怒りの鉄槌が叩き落される。


 一瞬、その気配を察知した棗が何かを喚いたような気がしたが、その声は暴力的とまで言える力にかき消された。


 まず走ったのは、大地を揺るがせる衝撃。体がバラバラになったと錯覚するほどの衝撃が走ったと同時に視界は白く焼かれ、最後に音が脳を揺らす。


 ──キッツ……!!


『雷』の錬力特性を持つ雷斗は落雷の直撃を受けても死ぬことはない。大したダメージも受けずに済む。


 だが一緒に巻き込まれている棗や、傍にいた颯や大地はひとたまりもないはずだ。その確信とともに、雷斗は周囲の気配に集中する。


 雷斗の視界が色を取り戻した時、雷斗が抱えていた棗は完全に気絶していた。命までは取らないように防御してやっていたのだが、まともに雷撃を食らってしまったノートパソコンは見事に蒸発してしまっている。


 えぐられた大地の端に榛大地も転がっているのが見えた。観客席でも何人か失神してしまったらしく、凍りついたような沈黙の後にはあちらこちらから悲鳴のような声が上がっている。


 ──ヤッベ……思いっきりやりすぎたか?


 立つ者が消えた中庭を見回し、雷斗は少しだけスッと内臓が冷える感覚を噛み締めた。ちなみにこの冷たさは『お説教』やら『賠償請求』やらという単語から感じる悪寒だ。


 雷斗の『雷』は、何も身体強化や小規模な直接攻撃、電気系統の破壊や修理だけが能ではない。


 雷斗の最強の切り札。自然界に直接呼びかけ、落雷を誘発する『雷帝招来』。


 これが本来『雷』属性錬力使いとしては正しい戦い方、であるらしい。


 ──でもこの技、ホンット小回り効かねえからなぁ……


 それに雷斗の傍には常に杏奈がいる。五感が並の人間よりも鋭い杏奈にしてみれば、閃光に轟音に衝撃波揃い踏みの『雷帝招来』など拷問フルコースに他ならない。使った瞬間一発退場決定の捨身技だ。


 だから雷斗もあまりこの技は使いたくないわけだが……


「っ、そうだ、アンナ……!」


 そこまで思いを巡らせた雷斗は、ハッと我に返って杏奈の姿を探した。


 放送設備までやられてしまったのか、会場内は観客のざわめきの声しか聞こえてこない。確実に勝負は『ライトニング・インサイト』の勝利で終わっているが、華々しく勝者を告げる声はどこからも聞こえてこなかった。


 だがそんなことさえ、今の雷斗にはどうでもいい。


 ザワザワと不安を掻き立てられるようなざわめきに包まれた中、雷斗は幼馴染の姿を求めて視線を彷徨さまよわせる。だが見つかったのは杏奈が被っていたベールだけで肝心な杏奈本人の姿がどこにもない。


 そのことに、『雷帝招来』をやらかし過ぎたこと以上に全身の血の気が下がる。


「アンナ! アンナ、どこにいる? 頼むから返事を……っ!!」

『ぅ、っ……ぁ……』


 雷斗は必死にインカムに向かって呼びかける。


 そんな雷斗の耳に、切れ切れなうめき声が届いた。


「アンナ!?」


 微かな繋がりが得られたことに、雷斗は一瞬ホッと息をつく。


 だがその安堵は次の瞬間、今日一番の悪寒に化けた。


『っ、ぅ……ぁ……ああああああっ!!』

「っ!?」


 耳にキンッと響いたのは、割れて砕け散ってしまいそうな悲痛な絶叫だった。常に冷静である杏奈の声が、本能が訴えるまま痛みに狂い叫んでいる。


 その声に雷斗の全身の産毛が逆立った。


 タイムリミット。


 杏奈が『電撃の直観ライトニング・インサイト』として力を振るい続けるために支払わなければならない代償。


 その支払い時が、来てしまったのだ。


「アンナ! アンナ、お前今どこに……っ!!」


 杏奈の絶叫は途中でプツリと途切れてしまった。どれだけ呼びかけてもインカムの向こうから声が返ってくることはない。


「アンナッ!!」


 名前を叫ぶことしかできない自分に雷斗は思わず奥歯を噛み締める。


 今の雷斗では杏奈の居場所を特定することができない。状況が分からなければ、救出に向かうこともできない。


「っ、どうすれば……っ!!」

『ライトぉ』


 焦燥が胸を焼く。雷斗の足ならばどこへでも駆けていけるはずなのに、杏奈がいなければ雷斗はどこへ向かえばいいのかさえ分からない。


 そんな雷斗の耳に、ピピッとインカムの着電音が響いた。だが聞こえてくる声は杏奈の声ではない。


「白浜のおっちゃん!?」


 こんな時でも気怠げに響く低い声は、間違いなく白浜のものだった。


 雷斗は思わずインカムを片手で押さえながら周囲を見回す。そんな雷斗に余計な口を叩かず、白浜は端的に状況を説明した。


『アンナは北校舎の屋上だ。今の「雷帝招来」のスキを突かれた。錬力相も一緒に榊原颯が拉致していった』

「っ!?」


 その言葉にスッと心臓に氷の刃を突き立てられたかのような寒気と衝撃が走る。


 同時に脳裏をぎったのは『ウェルテクス』がやたら手早く他のチームを殲滅した時に抱いた違和感だった。


「まさか、こうなるように誘導されてた……っ!?」


『ウェルテクス』が錬力相だけではなく、杏奈の身柄も狙っていたならば。その上で雷斗の必殺技が『雷帝招来』であると知っていたならば。


 常に寄り添っている雷斗と杏奈が大きく距離を取り、かつ周囲の視覚と聴覚が数十秒に渡り奪われる状況。そして杏奈が少なからずダメージを受ける瞬間。『ライトニング・インサイト』を追い詰めれば自ずと絶好のタイミングが生まれると『ウェルテクス』側が知っていたのだとすれば。


『だから、僕としてはこれを契機に、君と仲良くできたら嬉しい』


 錬力学殺しの天才、冴仲さえなか杏奈。


 叛逆を目論む彼らが、その存在を見過ごすはずがない。


 ──俺はその目論見もくろみからもアンナを守らないといけなかったのに……っ!!


『反省会はアンナを奪還してからにしようや』


 ギリッと拳が軋みを上げる。その瞬間にフワリと響いた声に雷斗の意識は掬い上げられた。


『まだ挽回できる状況なんだからよ』

「……そうだな」


 白浜の言葉に、雷斗は北校舎を見上げた。


 中庭が地下に掘り下げられているせいで、実質校舎の屋上までの高さは6階分に近い。榊原颯は『風』の錬力が使えるから、錬力相と杏奈を連れた状態でも直接屋上まで飛ぶことができたのだろう。


『やれるなぁ、ライトぉ』


 今この場にいない白浜がなぜ指示を出せるのか、雷斗には分からない。白浜がどんな策を立てているのかも知らない。


 だがこの場に杏奈がいたら、迷うことなくこう言ったはずだ。


『白浜が言うことならば信頼できる。跳んでくれ、イト』

「オーライッ!!」


 白浜の問い掛けと脳裏に響いた杏奈の声、その両方に答えるように雷斗は声を張った。


 実働担当である雷斗に、この場でできることはただひとつ。


 信じて踏み出す。何よりも大切な幼馴染を守るために。


 ただそれだけ。


 ──俺は、ただそれだけでいい!


 パリッと雷斗の足元から紫雷が走る。


 その勢いのまま、雷斗は躊躇ためらうことなく飛び出した。

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