聖女なはずなのに、花の騎士と呼ばれております

久保田

灰の底にて

第1話

 馬という生き物が、前世と違う事に気付いたのは割とすぐだった。

 生まれたての馬には角があり、その角で魔力なる物を集め、長く、速く走れるらしい。

 魔力とは何か、という質問には答えてもらえなかった。

 というよりも誰も知らないらしい。

 そういうもんだ、ということで長年やってきているのだから、そういうことで話が終わってしまう。

 嫌な言い方になってしまうが、奴隷とはそういう生き物だった。

 それも私を含め、両親やその周囲も含めて生粋の奴隷ともなれば、疑問すら浮かばないらしい。

 教育って大事だな、と前世の記憶がある私は思ったが、まぁ慣れてしまえばこの生活は悪くはなかった。

 ご主人様とやらはどうやら大層お優しい方らしく、奴隷に腹いっぱい食わせてくれるし、きちんと仕事をすれば両親のように子供を作らせてくれる。

 褒美の部分はあくまで奴隷同士の性交の方であって、彼らは出来た子供には興味を示すことはほとんどないのだが。

 私も一応、両親の顔を知ってはいるが、仕事を教えてくれた奴隷の方がよほど仲がいいくらいだ。


 この生活は、割と悪くなかった。

 煩わしい親族。血の繋がりなんてものは煩わしいと思ってしまう薄情な精神性は一度死んだ程度では変わらなかったらしく、仕事さえきちんとしていれば、大した干渉もされないこの生活は悪くはない。

 狼のような危険な動物を排除するのは専門の狩人達が行い、私達は草を貪る馬の群れを見ながらぼんやりとしているのが仕事だ。

 競馬のように一頭一頭、丁寧に管理しているわけではないのだ。

 何事もなければ、本当に馬を見ているだけで一日が終わってしまうほどであり、一頭ごとに色々な個性があり、見ていて飽きなかった。

 毎年毎年、いい感じに育ってきた馬はどこかへ送られていくのだが。

 その最後まで責任を持たない、持てない辺りが絶妙に気楽でいい。


 だがまぁ、一つの群れで十頭前後、毎年多少の増減はあるが十五から二十前後の群れがある牧場に勤めて(奴隷に勤めて、という言葉が相応しいのか知らんが)いれば、なんかとんでもない奴も出てくるものだ。

 走るのがとんでもなく速い、凄まじく力が強いなど色々あるが、今回の場合はとてつもなく太々しい、とでも言うべきだろうか。

 馬という生き物に限らないが、野生の動物というものはあまり横に寝ない。

 横に寝る事自体は出来るが、もし襲われた時に逃げにくいからだ。

 だというのにこいつは……めちゃくちゃゴロゴロしていた。

 馬の耳は竹の葉を切ったような形をしており、耳が向いている方向の音を四キロ先まで聞き分ける事が可能であり、それで外敵を察知する。

 同じ牧場の馬、と一口に言ったところで、よその群れはあくまでよその群れだ。

 人間がそばにいたとしても、時には群れ同士の争いになる場合もある。

 ……のだが、こいつは警戒一つせず、ゴロゴロと転がりながら、他の馬があまり手を出さないたんぽぽ(に似た花)をもちゃもちゃと貪っていた。

 この間抜け面はなかなかお目にかかれないレベルの間抜け面で、この牧場で最も役に立たない駄馬だ、と誰もが言っている。

 まぁ少し見方の違う私も、こいつは間違いなく駄馬だと思っているのだが。


 この魔力とやらがある世界で、馬の評価するのはなかなか難しい。

 まず前世と同じようにスピードだ。

 人間自体も何やら魔力で早く走れてしまう(足の辺りにぐっとやると、なんか早く走れるくらいのふわふわした感じで何とかなる)以上、乗り物としての馬が遅くては何の意味もない。

 次にスタミナだろう。

 一瞬だけ早くても意味はなく、それなりの距離を走れるというのは大事だ。

 そして、最後に「どれだけ魔力を受け入れられるか」となる。


 この世界には前世で言う所の、ファンタジーな生き物が存在している。

 ゴブリンやらオークやら、ドラゴンやら、だ。

 牧場の周囲は専門の狩人が守ってくれているから近くで見た経験はないのだが、晴れている日に遠くの空をゆっくりと飛ぶ巨大な何かを見たことがあった。

 あれは一体なんだったのだろうか。

 それはともかく、そんな世界に馬という生き物も適応しており、魔力を扱って更に速く、更に遠くまで走れるようになっている。

 だが、それではちょっと困るのは人間だ。

 生まれてすぐに角を切り落とし、実際に馬に乗る時に人間の魔力を与えて操作しやすくしているのだ。

 ただこれが問題で普通に走るのが速くても、いまいち人間の魔力を受け入れない馬はどうしても駄馬のレッテルが貼られてしまう。

 速さ+スタミナ×魔力=評価という形だろうか。

 しかも、更に難しいのは馬と人間個人の魔力の相性があり、Aさんの魔力はちっとも受け付けないのにBさんとは相性がいい、ということもある。

 なお乗馬技術や性格的な相性もあって、馬の評価は非常にややこしい話になっていく。


 それはそうと食っちゃ寝することだけは一人前といった様子でたんぽぽを貪るこいつは、全ての面で駄馬とされていた。

 本気で走らせてみようとしても注意散漫で散歩のような足取りでかっぽかっぽと呑気に歩き、鎧を着た騎士様が乗ってみれば非力でもう息も絶え絶えといった有様だ。

 魔力なんて誰が入れようとしても、これっぽっちも入りはしない。

 そんなこいつが牧場に残されているのは、その立派な馬体のお陰だろう。

 艶を孕んだ栗毛は鮮やかで、ピンと張った尻の筋肉は躍動を感じさせる。

 がっしりとした足はサラブレッドとはまた違う。鎧を着た人間だろうと簡単に蹴り殺してしまいそうな逞しさ。

 その逞しさも今は尺取り虫のように横たわったまま、地面を這いずり回るために使われているのだが。

 無駄に器用だ。


 ついでに言えば切り落とされた角も、またいい馬の証明をしている。

 額に広がる切り株のような角の跡は、目と目の間ギリギリまで広がり、いかにも太く、頑丈そうである。

 角が大きい、ということは魔力を取り込む器官が大きい、ということだ。

 つまり、本来なら砂漠に水を撒くように、たっぷりと人の魔力を取り込んでくれるはず……だった。

 まぁちっとも入らないのが現実なのだが。


「お前が真面目になる日が来るのかねえ」


 ぴょいと飛ぶバッタをがぶりと行ったこいつの頭を叩いてやれば、ぶひんと鼻で笑われる。

 やなこった、という意志が伝わってくる憎たらしさだ。

 多分……いや、こいつは間違いなく人間の言葉が理解出来ている。

 こいつの前で悪口を言えば、二度とその人間を近付けないし、馬房の手入れを手抜きする奴は絶対に許さない。

 最近では専属世話係として私が任命されているらしく、私以外が近付くと途端に不機嫌になるくらいだった。

 人間様にそこまでしてもらいながら、なんのやる気も見せない駄馬である。

 あまりに自由気ままで、自縛自縛で生きてきたという自負のある身としてはいっそ羨ましくすら……いや、どうだろうな。

 ここまで恥知らずに生きられると、あんま羨ましくないかもしれない。


 二歳になったこいつが、これからどうなるのか。

 そろそろ期待よりも心配の方が大きくなってきているのだが、なんとかして欲しい。

 そんなことを考えながら、私はこいつの角の先を撫でていた。

 存在していないはずの、角の先だ。

 器用なことに幻覚のような魔法を使って、角を切られることを避けやがったらしい。

 繁殖期の関係で、出産シーズンの夏はみんな本当に忙しいからね……。

 その中の一頭が生まれた途端、幻覚使って角切られないようにするとか誰も考えもしないわ。

 こいつは本当に馬なんだろうか。なんか凄い魔物が混ざってるだけなのではなかろうか。




 そんな風にのんびりと暮らしていた牧童には政治はわからぬ。

 だが、


「お嬢様が、この牧場一の駄馬をお求めだ」


「はあ」


 騎士様のお言葉くらいは理解出来た。

 騎士様と言っても、全身甲冑で完全武装しているわけではない。

 言葉こそ厳(いか)しいが、定年間際のしょぼしょぼとした部長といった感じで、声にもさほど力があるわけでもなかった。

 日暮れも間近。そんな時分だ。


「明日の朝までにな」


「はあ」


 ただ奴隷に連絡事項を伝えに来た。本人も心の底からつまらない仕事だ、と思ってるのがありありとわかる。

 下手すると奴隷の私より幸福度が低そうな、そんな人だ。

 それはともかく、


「ふーむ」


 駄馬である。

 いや、こいつは正真正銘の駄馬だ。

 人の言うことなんて、これっぽっちも聞く気はないし、のたのたたんぽぽを貪るのが好きな駄馬でしかない。

 お嬢様(が何者か、についてはちっとも知らないが)の道楽に付き合って、のんべんだらりと暮らすのはこの駄馬にとっては幸福なのかもしれなかった。


「ふーむ……ってなんだ、おい」


 唸る私に何を思ったか、この駄馬は頭をごつんごつんと打ち付けてくる。

 もちろん手加減されてはいて、伸びている角は避けてくれているのだが、馬の分厚い頭蓋骨とそもそも筋肉の量が全然違うのだから頭突きされるとなかなか痛い。

 力一杯殴り返したとしても、私の拳の方が痛むだけで、この駄馬のやつは一つも痛みを覚えやしないだろう。

 いつだって腹立たしく、憎たらしく、それでいて惜しい名馬だった。

 本気になれば風を巻き起こすかのように力強く走るに違いない。

 切られるのを嫌がって、伸びっぱなしのたてがみをたなびかせて力一杯、走る姿はきっと例えようもなく美しいはずだ。

 お嬢様のお遊びに付き合って、のそのそと歩くこいつなんて見たくない。

 悩んでいた時間は、さほどでもなかった。


「行けよ、お前」


 牧場を囲む柵は、大の大人の背丈ほどもあろうか。

 普通の馬では飛び越せない。逃がさない絶対の檻だ。

 そんな高さも、こいつにとってはなんてことはない。

 自由に走って、自由に生きて欲しい。

 それは奴隷の身には過ぎた望みかもしれないが、私は私だ。

 だったら、そうであるべきだと思う。

 ちょっとした折檻を受けるかもしれないが、駄馬なんぞいくらでもいるのだ。

 真の駄馬ナンバーワンから、ナンバーツーになるだけで、駄馬をお求めのお嬢様にとっては大して変わるまい。

 だったら、


「走れよ、お前は」


 これだけ賢い馬だ。

 ちっとも人に馴染まず、そのくせ、私のそれなりに長い奴隷牧童生活の中でも見たことのない素晴らしい馬だ。

 ひょっとしたら人に仇なすかもしれない。

 だが、こんなちっぽけな世界の片隅でこの馬が腐っていくのは、とてもとてももったいない気がする。


 私はじっと、このどうしようもない駄馬を見つめた。

 このどうしようもない駄馬も、私をじっと見つめていた。

 こっちの言葉はわかるくせに、向こうの言葉がわからないのはずるいではないか、とは常々思っていたが、どういうわけか今この時だけは何故かはっきりとわかった。

 つまり、


『心底めんどくせえ』


 だ。

 ……なんで?

 ごつん、と響く鈍い音は頭突き。自分を抱き締めるように動く身体は反射だ。

 なんでこんなタイミングで頭突きされてんだ、という疑問で動き出しが遅れたせいで、この駄馬風情にあっさりといいようにやられている。


「お前、乙女の股に気安く……!」


 素早く地面すれすれにまで下げられた駄馬の頭が私の股の間に突っ込まれたかと思えば、勢いよくぐいと上がった。

 すでに抵抗を諦めていた私は、ごろごろと駄馬の身体の上を転がり、その背に座らせられてしまう。


「お前なあ……行けよ、私のことなんか気にせず」


 両の足で挟む駄馬の胴は、力に満ちている。

 熱があり、張りもいい。

 力を持て余して、今この瞬間にでも走り出してしまいそうな、そんな身体だ。

 こんな狭い牧場になんか未練はないし、私を振り返りもしない。

 そのくせ走らない。こいつは本当に駄馬だ。


「着いてこい、とでも言ってるのかね」


 そう言われていると思えば、なんとも困ったことに牧場にしがみつく理由もなかった。

 居心地が悪いわけでもないが、特別愛着があるわけでもない。

 親……まぁ私がいなくなっても元気にやっていくだろう。

 ここにいなければならない理由なんて、これっぽっちもなかった。

 こいつが広野を思うがままに駆ける姿は、きっと例えようもなく美しいに違いない。

 なんの制約もなく、ただ走るこいつはきっと誰もを魅了する。

 それは、確かに楽しみだ。

 そして、箱入りお嬢様に必要なものといえば、専属のお世話係か。


「……そうだなあ」


 ぼやくように、ぼやきそのものの声が私の口から漏れた。

 留まる理由もなく、進む理由はあり。

 なのに、火がつかない。

 燃え盛るような情熱はきっと永遠に失われ、この名馬の命を背負う羽目になろうとしているのに、ずしりと来るはらわたへの重さも感じない。


「寂しいなあ」


 困難と戦う理由が、私にはなかった。

 生まれてこの方、のんべんだらりと過ごしてきた。

 柵の向こうになにがあるんだろう、なんて頭の片隅で思うことはあっても、真剣に考えようともしてこなかった。

 魔法らしき物は使えても、すぐにファンタジーは日常に埋没する。

 それよりも、私は過去に沈み込む。

 今だって思い出すのは、前世のことだ。


「寂しいよ、すばるちゃん」


 初夏の星空に、プレアデス星団は見えなかった。

 それどころか知っている星座なんて、ひとつもない。

 私は、異世界に生きていた。

 死んで、生きている。

 死んだように、生きている。


「……行こうか、お前」


 人生を変える決断の重さも感じられないまま、私は決めた。

 返事は、苛立ったようないななき一つだった。

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